「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」 東京ステーションギャラリー

東京ステーションギャラリー
「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」 
4/29~6/18



東京ステーションギャラリーで開催中の「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」のプレスプレビューに参加してきました。

スイスの芸術家、アドルフ・ヴェルフリは、全25000ページにも及ぶ絵を描き続けることで、自らの君臨する王国を築き上げました。

生まれはベルン郊外、1864年のことです。父は酒に溺れ、母は病弱という家庭でした。貧しいゆえに幼い頃から里親を転々とします。11歳で両親を亡くし、一度は農場などで働きますが、暴行未遂事件を起こし、2年間の刑に服しました。さらに別の事件で精神鑑定を受け、統合失調症の診断を受けます。31歳で病院に収容されました。

ヴェルフリが絵を描き出したのは、収容後、4年ほど経ってからでした。医師から鉛筆と新聞用紙を与えられます。もちろん美術の教育は受けていません。はじめはあくまでも「自発的」(解説より)でした。


アドルフ・ヴェルフリ「前掛けをした神の天使」 1904年 ほか

最初期に制作されたのは計300点です。しかし当初は残すという観点がなかったのでしょう。現存するのは50点に過ぎません。一部に彩色があるものの、鉛筆ゆえにほぼモノクロームです。ともかく細部の描きこみが緻密で凄まじい。余白を埋めつくさんとばかりに描いています。

ヴェルフリ自身、鉛筆画を「楽譜」と呼び、そこに出身地の地名を意味する「シャングナウの作曲家」という署名を記しました。円形や人がフレームの中へ装飾的に収められています。むろん実際に演奏可能な楽譜ではありません。あくまでもヴェルフリの中でこそ再生することが出来る楽譜です。


アドルフ・ヴェルフリ「『揺りかごから墓場まで』第4冊 デンマークの島 グリーンランドの南=端」 1910年

その後、ヴェルフリは「揺りかごから墓場まで」のシリーズの制作に着手。全3000ページ弱の一大叙事詩を作り上げます。


アドルフ・ヴェルフリ「『揺りかごから墓場まで』第4冊 北=アマゾンの大聖堂=ヘルヴェチア(スイスの擬人像)=ハル(響き)」 1911年

主人公は少年ドゥフィです。ドゥフィとはヴェルフリの名、アドルフの愛称でした。その彼が世界中を旅し、自然や都市をはじめ、地形や距離などを記述し、体系化した上で、目録のようにまとめ上げました。つまり少年ヴェルフリの冒険物語です。彼は各地を地を歩いては、これまでにない新たな発見を成し遂げます。また時に困難に襲われるも、見事に乗り越えていきました。実際のヴェルフリの少年期は「悲惨」(解説より)なものでした。つまりそれを打ち消すべくスペクタクルな物語を創造したわけです。


アドルフ・ヴェルフリ「『揺りかごから墓場まで』第4冊 氷湖の=ハル(響き) 巨大=都市」 1911年 ほか

この頃は色鉛筆も多用したのか、彩色がかなり豊かです。詩と表による散文形式に音符が加わります。戦いあり、破壊あり、惨劇ありの物語です。その意味ではドラマチックです。絵画自体も初期作より表情豊かで躍動感もあります。画は極めて密です。膨大な情報を記しています。


手前:アドルフ・ヴェルフリ「『揺りかごから墓場まで』第5冊 アリバイ」 1911年

「揺りかごから墓場まで」の中でも一際巨大な「アリバイ」が圧巻です。全長5メートル弱。巻物状に物語が連続しています。よどみなくモチーフが増殖しては、互いに絡み合っています。まるでモザイク画や万華鏡を覗き込むかのようでした。

さてヴェルフリは冒険の成功だけでは飽き足りません。今度は未来を予言すべく、新たなシリーズの制作します。それが「地理と代数の書」でした。


アドルフ・ヴェルフリ「『地理と代数の書』第12冊 象による取るに足らない私の救済」 1914年

ここで彼は「聖アドルフ巨大創造物」なる王国を築きあげます。元手は「聖アドルフ資本資産」です。資金力は無尽蔵でした。資産の利子で地球の全てを買い上げ、支配し、宇宙にまで勢力を伸ばします。と、同時に地名も改称されます。スイスは「聖アドルフ森」、海は「聖アドルフ洋」などと改められました。彼のための森であり、海であることを意味するのかもしれません。宇宙へは「巨大透明輸送機」によって進出が果たされました。


アドルフ・ヴェルフリ「『地理と代数の書』第13冊 全能なる=巨大な=汽船 聖アドルフの揺りかご」 1915年

「聖アドルフの資本資産」の富は2000年を超えても増え続けます。まさに無限拡張の王国です。よって数も拡張し、新たな単位が設定されました。最大の単位は怒りの意を示すツォルンでした。

「聖アドルフ巨大創造物」にてヴェルフリは聖アドルフ2世を名乗ります。ここに全てを統治する王者として君臨しました。


アドルフ・ヴェルフリ「『歌と舞曲の書』第15冊 父なる=神=聖アドルフの=ハープ」 1917年 ほか

この祝祭曲として描かれたのが「歌と舞曲の書」です。全7000ページ。ドレミファの音階で、ポルカ、マズルカ、行進曲などを作曲します。音楽書のゆえに描画は控えめです。代わって雑誌の切り抜きのコラージュが登場します。ヒロイズム、美、快楽、そして富などの要素を好んで利用しました。いずれも実際にヴェルフリが得られなかったものと言っても良いかもしれません。現実は物語によって次々と書き換えられています。


アドルフ・ヴェルフリ「『葬送行進曲』 無題(恐竜)」 1929年 ほか

晩年は自らのレクイエムの作曲にも乗り出しました。「葬送行進曲」です。こちらも8000ページと膨大です。より絵の部分は減ります。コラージュのほか、抽象的でかつ音声的なリズムを描きました。「葬送行進曲」は未完です。ヴェルフリは制作の途中、病にて亡くなりました。時は1930年、66歳でした。死を間際にして涙を流しながら絵を描けないことを嘆いたそうです。さぞかし無念だったに違いありません。

「アドルフ・ヴェルフリ:二萬五千頁の王国/国書刊行会」

死から15年経過した1945年、ヴェルフリは画家のジャン・デュビュッフェにより、いわゆるアール・ブリュットの芸術家として紹介されました。今ではアウトサイダーアートの先駆的存在として位置付けられています。


「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」会場風景

このスケールにてヴェルフリの芸術が紹介されるのは日本で初めてのことです。また一見、自在に描いているようなモチーフにも、帯や平面処理、ないし環の部分に一定のルールが存在します。その部分を解説する「ヴェルフリの形態語彙」と題したシートも会場で配布されています。あわせて参照するのも良さそうです。

ヴェルフリの膨大な絵画世界に入り込むことは容易ではありません。暗号、ないし記号的な描写も多数。読み解くことは困難です。ただそれでも少年期の冒険にはじまり、無限の富を築き、世界を支配し、宇宙を目指し、さらに音楽家として活動しようとしたヴェルフリの野心は、確かに絵画の中で実現しています。その大胆でかつあまりにも旺盛な想像力には圧倒されるものがありました。

6月18日まで開催されています。

「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」 東京ステーションギャラリー
会期:4月29日(土)~6月18日(日)
休館:月曜日。但し5月1日は開館。
料金:一般1100(800)円、高校・大学生900(600)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
時間:10:00~18:00。
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで
住所:千代田区丸の内1-9-1
交通:JR線東京駅丸の内北口改札前。(東京駅丸の内駅舎内)

注)写真は報道内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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