都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」
7/19~10/29
東京国立近代美術館で開催中の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」を見てきました。
戦後、「持ち家政策」などにより、数多く建てられた個人住宅には、建築家の手が加わることも少なくありませんでした。
そうした建築家の設計した住宅建築を紹介する展覧会です。建築家の数は全56組。ただし必ずしも通史的な展開ではありません。13のテーマを設定することにより、住宅の特質、ないし社会との関わり、または人の暮らしの変化などを、多様に浮かび上がらせていました。
冒頭のテーマは「日本的なるもの」です。「日本の家の起源はない」(解説より)との立場から、いかに建築家らが「日本的なもの」を、相対化しようとした経緯を紹介しています。高床式で、寝殿造をモダニズムから再検証した丹下健三の自邸のほか、レーモンドの自邸などが取り上げられていました。
続くテーマは、「プロトタイプと大量生産」です。住宅不足の時代、人々の旺盛な欲求に応えるため、プレハブが用いられ、ハウスメーカーが次々と参入します。住宅が工業製品と化し、大量生産される時代に入りました。例えば、1971年に第一号が誕生したセキスイハイムは、3年後の1974年、早くも5000戸も販売を達成します。と同時に、建築家らも最小限の住宅のプロトタイプを考案しました。
1960年頃から、住宅にコンクリートが使われるようになります。テーマ3の「土のようなコンクリート」です。東孝光の自邸、「塔の家」も、よく知られた建物ではないでしょうか。内外ともに、コンクリートの打ちっ放しです。写真やスケッチなどが展示されていました。
このような住宅の産業化に反発し、「住宅は芸術である」と唱えたのが、建築家の篠原一男でした。*テーマの4「住宅は芸術である」
篠原は、「人間らしい生活、響きのある空間を守る」(解説より)べく、住宅を芸術として捉えようと考えました。45度の角度の屋根が特徴的なのが、「谷川さんの住宅」です。施主は詩人の谷川俊太郎で、篠原は、室内にも垂直の柱に方杖を45度でかけました。床はなんと土だったそうです。
坂本一成「坂田山附の家」 1978年 神奈川県中郡大磯町
伊東豊雄「小金井の家」 1979年 東京都小金井市
伊東豊雄と坂本一成の2人の建築家に着目したのが、「閉鎖から開放へ」(テーマ5)でした。70年代初頭、公害の問題などに見舞われていた都市において、2人の建築家は、閉鎖性の際立つ家を設計します。しかし数年後に批評し、原初的な家を建築しました。それは当時、工場や倉庫にも見えたことから、「記号的」とも捉えることが出来るそうです。
左上:山下和正「顔の家」 1974年 京都市中京区
一方で、70年代には変わった家も登場しました。キーワードは「遊戯性」(テーマ6)です。山下和正の「顔の家」の構えは、まさしく顔で、それぞれ目が窓、鼻が換気口、口は入口の機能を有しています。グラフィック・デザイナーの施主が、人目をひくために望んで建てた家だそうです。
アトリエ・ワン「ポニー・ハウス」 2008年 神奈川県相模原市
暮らしと環境が調和して、初めて「生き生きとした空間」(解説より)が現れます。それに取り組んだ建築家の仕事に着目したのが、「新しい土着」(テーマ7)でした。アトリエ・ワンの「ポニー・ガーデン」も興味深いのではないでしょうか。その名が示すように、ポニーと生きるための家です。建物の一方の全てが、ポニーの生活する庭を向いています。
藤森照信「ニラハウス」 1997年 東京都町田市
美術家の赤瀬川原平の自宅である「ニラハウス」も楽しい住宅でした。設計したのは藤森照信で、屋根一面に鉢植えのニラが置かれています。さらに塀の上にも草が生えていました。しかし工事が困難なため、工務店は施工を渋ったそうです。そこで藤森は、友人に手伝いを呼びかけます。有志は、「縄文建築団」と称されるようになりました。
家とは家族の有り様を反映します。建築家らも、夫婦、家族、ほか多様なカップルのほか、職住一体の家など、多様な場を提供しました。*テーマ8「家族を批評する」
アトリエ・ワン「ハウス&アトリエ・ワン」 2005年 東京都新宿区
アトリエワンの「ハウス&アトリエワン」に目が留まりました。建築家夫妻の自邸兼事務所で、土地の間口が狭く、通称、旗竿地に建てられています。住居とオフィスを、一つの建物の中へ混ざり合うように設計しているのが特徴です。バルコニーや屋上には、半外部空間が作られ、内と外、外と内との関係を意識しています。
石山修武「開拓者の家」 1986年 長野県上田市
自給自足ならぬ、自らの手で家を建てる人々に目を向けたのが、「脱市場経済」(テーマ9)でした。石山修武の「開拓者の家」はどうでしょうか。施主は農家で、標高1000メートルの高原に位置します。施主は、溶接を含め、ほぼ全てを施工したそうです。今も手を常に入れているため、完成はありません。
岡啓輔「蟻鱒鳶ル」 2005年〜 東京都港区
岡啓輔も、自邸の設計から施工を一人で行いました。2005年に着工したものの、手が届く範囲のみで打設をしているため、10数年経った今も建設中です。おそらく年月とともに、家自体も変容していくのではないでしょうか。
日本の住宅建築の一つの特徴として挙げられるのが、「軽さ」でした。それは、単に量感としての軽さにとどまらず、ともすると軽薄とも捉えられない「意味としての軽さ」もあります。*テーマ9「さまざまな軽さ」
長谷川逸子「松山・桑原の住宅」 1980年 愛媛県松山市
長谷川逸子は、「松山・桑原の住宅」において、パンチングメタルのスクリーンを採用することにより、空の色や上の内部の明かりを透かして、軽やかさを表現しました。
長谷川豪「経堂の住宅」 2011年 東京都世田谷区
屋根を、壁の端の点で受けているように見えるのが、長谷川豪の「経堂の住宅」でした。屋根の裏、天井面が光を反射するため、まるで浮いているようにも感じるそうです。こうした浮いていることも、軽さへと繋がります。
「感覚的」も一つのキーワードです。1970年頃に、「感覚的とあえて呼びうる空間を持つ家が登場」(解説より)しました。そうした家々は、特に2000年以降、周辺環境、ないし都市との積極的な関わりが求められるようになりました。*テーマ11「感覚的な空間」
西麻貴+百田有希「二重螺旋の家」 2011年 東京都台東区
個性的とも呼べるのが、大西麻貴+百田有希の「二重螺旋の家」でした。台東区内の旗竿地に建つ家の内部は、螺旋構造になっています。階段ばかりで、明るい場所と暗い場所が混在しています。よって住人は、気分により、まさしく感覚的に場所を選ぶことが出来ます。螺旋は、内部を一つの長い空間として連続させ、旗竿地では通常、引き出しえない奥行きを生み出しました。
かつて不便だとされた町家も、土地の細分化の進む現代こそ、再び注目されていくのかもしれません。*テーマ12「町家:まちをつくる」
安藤忠雄「住吉の長屋」 1976年 大阪市住吉区
あまりも有名なのが、安藤忠雄の「住吉の長屋」でした。建物は三等分されていて、1階は玄関と居間、吹き抜け、そしてダイニングと浴室に分けられています。中央の中庭には屋根がありません。よって雨天時は、家の中にも関わらず、傘をさす必要があります。いわゆる狭小住宅ながらも、外部環境を引き込むため、あえて3分の1を吹き抜けとにした構造は、当時、大いに物議を醸しました。
藤本壮介「House NA 2011」 東京都杉並区
ラストのテーマは「すきまの再構築」です。先の町家と同様に、小さな土地、すなわち「すき間」を肯定的に捉え直した、建築家の活動を紹介しています。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
実寸大模型も見どころの一つです。それが、1952年に清家清が設計した、「斎藤助教授の家」でした。建物の南面と縁側、居室、食事室、客間の内部空間が再現されています。オリジナルの家具も付いていて、靴を脱いで、内へ入ることも出来ました。
清家清「斎藤助教授の家」 1952年 東京都大田区
家は元々、傾斜地にあり、コストの観点からか、既存の基礎を利用して建てられました。そのために、一部が片持ち式の構造で、浮いています。基礎の一部がテラスに連続していたそうです。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
畳と障子、そして襖が幾何学面を構成しています。実際の家自体は既に失われましたが、竣工時の資料をもとに、建材の資材や色彩なども再現されました。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
扉や障子を動かすことは出来ませんが、家の中の椅子には座ることも可能です。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
模型の裏側には、建築関係のカタログが設置されていました。自由に閲覧出来ます。
何か一つのストーリーがあるわけではなく、むしろテーマは多面的で、必ずしも取っ付きやすい展覧会とは言えません。しかし模型、図面、写真は多く、戦後の住宅建築を丹念に辿っていたのは事実でした。作品のボリュームもあり、1つ1つ追っていくと、観覧に時間がかかります。見応えは十分でした。
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」会場風景
昨年にローマの「MAXXI国立21世紀美術館」、また今年3月にロンドンの「バービカン・センター」で開催された国際巡回展です。いわば国内への凱旋展でもあります。
テーマ4以降の展示室の撮影が可能です。10月29日まで開催されています。
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
会期:7月19日(水)~10月29日(日)
休館:月曜日。
*但し9/18、10/9は開館。9/19(火)、10/10(火)は休館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜・土曜日は21時まで開館。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般1200(900)円、大学生800(500)円、高校生以下、65歳以上無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*5時から割引:一般1000円、大学生700円。(金・土曜の17時以降は割引料金を適用。)
*リピーター割引:本展使用済み入場券を持参すると、2回目以降は特別料金で観覧可。(一般500円、大学生250円)
*本展の観覧料で当日に限り、「MOMATコレクション」も観覧可。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」
7/19~10/29
東京国立近代美術館で開催中の「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」を見てきました。
戦後、「持ち家政策」などにより、数多く建てられた個人住宅には、建築家の手が加わることも少なくありませんでした。
そうした建築家の設計した住宅建築を紹介する展覧会です。建築家の数は全56組。ただし必ずしも通史的な展開ではありません。13のテーマを設定することにより、住宅の特質、ないし社会との関わり、または人の暮らしの変化などを、多様に浮かび上がらせていました。
冒頭のテーマは「日本的なるもの」です。「日本の家の起源はない」(解説より)との立場から、いかに建築家らが「日本的なもの」を、相対化しようとした経緯を紹介しています。高床式で、寝殿造をモダニズムから再検証した丹下健三の自邸のほか、レーモンドの自邸などが取り上げられていました。
続くテーマは、「プロトタイプと大量生産」です。住宅不足の時代、人々の旺盛な欲求に応えるため、プレハブが用いられ、ハウスメーカーが次々と参入します。住宅が工業製品と化し、大量生産される時代に入りました。例えば、1971年に第一号が誕生したセキスイハイムは、3年後の1974年、早くも5000戸も販売を達成します。と同時に、建築家らも最小限の住宅のプロトタイプを考案しました。
1960年頃から、住宅にコンクリートが使われるようになります。テーマ3の「土のようなコンクリート」です。東孝光の自邸、「塔の家」も、よく知られた建物ではないでしょうか。内外ともに、コンクリートの打ちっ放しです。写真やスケッチなどが展示されていました。
このような住宅の産業化に反発し、「住宅は芸術である」と唱えたのが、建築家の篠原一男でした。*テーマの4「住宅は芸術である」
篠原は、「人間らしい生活、響きのある空間を守る」(解説より)べく、住宅を芸術として捉えようと考えました。45度の角度の屋根が特徴的なのが、「谷川さんの住宅」です。施主は詩人の谷川俊太郎で、篠原は、室内にも垂直の柱に方杖を45度でかけました。床はなんと土だったそうです。
坂本一成「坂田山附の家」 1978年 神奈川県中郡大磯町
伊東豊雄「小金井の家」 1979年 東京都小金井市
伊東豊雄と坂本一成の2人の建築家に着目したのが、「閉鎖から開放へ」(テーマ5)でした。70年代初頭、公害の問題などに見舞われていた都市において、2人の建築家は、閉鎖性の際立つ家を設計します。しかし数年後に批評し、原初的な家を建築しました。それは当時、工場や倉庫にも見えたことから、「記号的」とも捉えることが出来るそうです。
左上:山下和正「顔の家」 1974年 京都市中京区
一方で、70年代には変わった家も登場しました。キーワードは「遊戯性」(テーマ6)です。山下和正の「顔の家」の構えは、まさしく顔で、それぞれ目が窓、鼻が換気口、口は入口の機能を有しています。グラフィック・デザイナーの施主が、人目をひくために望んで建てた家だそうです。
アトリエ・ワン「ポニー・ハウス」 2008年 神奈川県相模原市
暮らしと環境が調和して、初めて「生き生きとした空間」(解説より)が現れます。それに取り組んだ建築家の仕事に着目したのが、「新しい土着」(テーマ7)でした。アトリエ・ワンの「ポニー・ガーデン」も興味深いのではないでしょうか。その名が示すように、ポニーと生きるための家です。建物の一方の全てが、ポニーの生活する庭を向いています。
藤森照信「ニラハウス」 1997年 東京都町田市
美術家の赤瀬川原平の自宅である「ニラハウス」も楽しい住宅でした。設計したのは藤森照信で、屋根一面に鉢植えのニラが置かれています。さらに塀の上にも草が生えていました。しかし工事が困難なため、工務店は施工を渋ったそうです。そこで藤森は、友人に手伝いを呼びかけます。有志は、「縄文建築団」と称されるようになりました。
家とは家族の有り様を反映します。建築家らも、夫婦、家族、ほか多様なカップルのほか、職住一体の家など、多様な場を提供しました。*テーマ8「家族を批評する」
アトリエ・ワン「ハウス&アトリエ・ワン」 2005年 東京都新宿区
アトリエワンの「ハウス&アトリエワン」に目が留まりました。建築家夫妻の自邸兼事務所で、土地の間口が狭く、通称、旗竿地に建てられています。住居とオフィスを、一つの建物の中へ混ざり合うように設計しているのが特徴です。バルコニーや屋上には、半外部空間が作られ、内と外、外と内との関係を意識しています。
石山修武「開拓者の家」 1986年 長野県上田市
自給自足ならぬ、自らの手で家を建てる人々に目を向けたのが、「脱市場経済」(テーマ9)でした。石山修武の「開拓者の家」はどうでしょうか。施主は農家で、標高1000メートルの高原に位置します。施主は、溶接を含め、ほぼ全てを施工したそうです。今も手を常に入れているため、完成はありません。
岡啓輔「蟻鱒鳶ル」 2005年〜 東京都港区
岡啓輔も、自邸の設計から施工を一人で行いました。2005年に着工したものの、手が届く範囲のみで打設をしているため、10数年経った今も建設中です。おそらく年月とともに、家自体も変容していくのではないでしょうか。
日本の住宅建築の一つの特徴として挙げられるのが、「軽さ」でした。それは、単に量感としての軽さにとどまらず、ともすると軽薄とも捉えられない「意味としての軽さ」もあります。*テーマ9「さまざまな軽さ」
長谷川逸子「松山・桑原の住宅」 1980年 愛媛県松山市
長谷川逸子は、「松山・桑原の住宅」において、パンチングメタルのスクリーンを採用することにより、空の色や上の内部の明かりを透かして、軽やかさを表現しました。
長谷川豪「経堂の住宅」 2011年 東京都世田谷区
屋根を、壁の端の点で受けているように見えるのが、長谷川豪の「経堂の住宅」でした。屋根の裏、天井面が光を反射するため、まるで浮いているようにも感じるそうです。こうした浮いていることも、軽さへと繋がります。
「感覚的」も一つのキーワードです。1970年頃に、「感覚的とあえて呼びうる空間を持つ家が登場」(解説より)しました。そうした家々は、特に2000年以降、周辺環境、ないし都市との積極的な関わりが求められるようになりました。*テーマ11「感覚的な空間」
西麻貴+百田有希「二重螺旋の家」 2011年 東京都台東区
個性的とも呼べるのが、大西麻貴+百田有希の「二重螺旋の家」でした。台東区内の旗竿地に建つ家の内部は、螺旋構造になっています。階段ばかりで、明るい場所と暗い場所が混在しています。よって住人は、気分により、まさしく感覚的に場所を選ぶことが出来ます。螺旋は、内部を一つの長い空間として連続させ、旗竿地では通常、引き出しえない奥行きを生み出しました。
かつて不便だとされた町家も、土地の細分化の進む現代こそ、再び注目されていくのかもしれません。*テーマ12「町家:まちをつくる」
安藤忠雄「住吉の長屋」 1976年 大阪市住吉区
あまりも有名なのが、安藤忠雄の「住吉の長屋」でした。建物は三等分されていて、1階は玄関と居間、吹き抜け、そしてダイニングと浴室に分けられています。中央の中庭には屋根がありません。よって雨天時は、家の中にも関わらず、傘をさす必要があります。いわゆる狭小住宅ながらも、外部環境を引き込むため、あえて3分の1を吹き抜けとにした構造は、当時、大いに物議を醸しました。
藤本壮介「House NA 2011」 東京都杉並区
ラストのテーマは「すきまの再構築」です。先の町家と同様に、小さな土地、すなわち「すき間」を肯定的に捉え直した、建築家の活動を紹介しています。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
実寸大模型も見どころの一つです。それが、1952年に清家清が設計した、「斎藤助教授の家」でした。建物の南面と縁側、居室、食事室、客間の内部空間が再現されています。オリジナルの家具も付いていて、靴を脱いで、内へ入ることも出来ました。
清家清「斎藤助教授の家」 1952年 東京都大田区
家は元々、傾斜地にあり、コストの観点からか、既存の基礎を利用して建てられました。そのために、一部が片持ち式の構造で、浮いています。基礎の一部がテラスに連続していたそうです。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
畳と障子、そして襖が幾何学面を構成しています。実際の家自体は既に失われましたが、竣工時の資料をもとに、建材の資材や色彩なども再現されました。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
扉や障子を動かすことは出来ませんが、家の中の椅子には座ることも可能です。
清家清「斎藤助教授の家」 原寸大模型
模型の裏側には、建築関係のカタログが設置されていました。自由に閲覧出来ます。
何か一つのストーリーがあるわけではなく、むしろテーマは多面的で、必ずしも取っ付きやすい展覧会とは言えません。しかし模型、図面、写真は多く、戦後の住宅建築を丹念に辿っていたのは事実でした。作品のボリュームもあり、1つ1つ追っていくと、観覧に時間がかかります。見応えは十分でした。
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」会場風景
昨年にローマの「MAXXI国立21世紀美術館」、また今年3月にロンドンの「バービカン・センター」で開催された国際巡回展です。いわば国内への凱旋展でもあります。
【美術館】担当者が教える #日本の家展 の見どころ②展示デザインは建築家ユニットのアトリエ・ワン。彫刻台も凝っています。「土のようなコンクリート」という章ではコンクリート風の塗料を使用。またある模型の台座では、なんと鉄板を使用しています。 pic.twitter.com/7Ba0cBkeit
— 【公式】東京国立近代美術館 広報 (@MOMAT60th) 2017年8月13日
テーマ4以降の展示室の撮影が可能です。10月29日まで開催されています。
「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」 東京国立近代美術館(@MOMAT60th)
会期:7月19日(水)~10月29日(日)
休館:月曜日。
*但し9/18、10/9は開館。9/19(火)、10/10(火)は休館。
時間:10:00~17:00
*毎週金曜・土曜日は21時まで開館。
*入館は閉館30分前まで
料金:一般1200(900)円、大学生800(500)円、高校生以下、65歳以上無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
*5時から割引:一般1000円、大学生700円。(金・土曜の17時以降は割引料金を適用。)
*リピーター割引:本展使用済み入場券を持参すると、2回目以降は特別料金で観覧可。(一般500円、大学生250円)
*本展の観覧料で当日に限り、「MOMATコレクション」も観覧可。
場所:千代田区北の丸公園3-1
交通:東京メトロ東西線竹橋駅1b出口徒歩3分。
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