まいうー!
今の日本人の話し方は、助詞をはっきり言わない、正しい助詞を使っていない、誤った助詞を言ってしまっても言い直さない、というように、完全に聞き手に甘えていて、それが話の流れを予測しにくくしています。日常会話ならそれでもいいですが、講演やプレゼンでこれは許されません。しかし、ふだん助詞に気をつけていないので、きちんと言わなければいけない場面でも言えないということになります。
例えば、テープ起こしをしていて、「検討していくことを明確に位置づけられました」と聞こえ、「位置づけられました」が敬語だとすると「検討していくことを」もありえるので、とりあえずそのままにしておいて話を最後まで聞き、やはり「を」ではなく、「検討していくことが」だと分かり、そこへ戻って「を」を「が」に修正する、こんなことはしょっちゅうです。たかが助詞、されど助詞、正しくなければやはり困るのです。
では、今日のお気に入りワード。料理を試食している人に感想を尋ねたら、いい大人が「普通においしい」と答えました。すると、司会者が少し慌てて「え? 普通ですか?」、これはちょっと笑えましたね、お気に入りワードです。若い人が「普通にうまいっす」と言ったのならそのまま聞き流されるのでしょうが、40歳を過ぎた人が言えば突っ込まれるのだな~と、妙に納得した面白いシーンでした。
今の日本人の話し方は、助詞をはっきり言わない、正しい助詞を使っていない、誤った助詞を言ってしまっても言い直さない、というように、完全に聞き手に甘えていて、それが話の流れを予測しにくくしています。日常会話ならそれでもいいですが、講演やプレゼンでこれは許されません。しかし、ふだん助詞に気をつけていないので、きちんと言わなければいけない場面でも言えないということになります。
例えば、テープ起こしをしていて、「検討していくことを明確に位置づけられました」と聞こえ、「位置づけられました」が敬語だとすると「検討していくことを」もありえるので、とりあえずそのままにしておいて話を最後まで聞き、やはり「を」ではなく、「検討していくことが」だと分かり、そこへ戻って「を」を「が」に修正する、こんなことはしょっちゅうです。たかが助詞、されど助詞、正しくなければやはり困るのです。
では、今日のお気に入りワード。料理を試食している人に感想を尋ねたら、いい大人が「普通においしい」と答えました。すると、司会者が少し慌てて「え? 普通ですか?」、これはちょっと笑えましたね、お気に入りワードです。若い人が「普通にうまいっす」と言ったのならそのまま聞き流されるのでしょうが、40歳を過ぎた人が言えば突っ込まれるのだな~と、妙に納得した面白いシーンでした。