◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

変な日本語、その18、「~しかねる」。

2007-10-15 19:37:05 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
                      侵入しかねない
 「申し訳ないのですが、それはできないと思います」のつもりで「それはできかねないです」と言っているのを聞いたことがあります。「できない」と言いたいのだから、つい「~ない」と言ってしまう気持ちは分かるのですが、「それはできかねる」が正しい言い方ですね。「できない」ときっぱり言えないときに便利な言葉で、お客様の無理難題には、申し訳なさそうな表情で「それはお受けいたしかねます」と言えばいいのです。
 「できかねない」は、「そんな雑にやったら不良品ができかねないよ」と言えば、不良品ができるかもしれないという意味になり、「彼ならそんな危ないこともやりかねない」「過労で病気になりかねない」など、~しないとは言えない、よくない結果になるかもしれないというときに使いますね。
 またまたしつこく9月22日の記事から「真意をどこまで量りかねていたのか」ですが、「どこまで」と言いながら「量りかねて」と言ったのは、「量りかねて」が「とうとう量ることはできなかった」という意味であることをしっかり分かっていないからだとも考えられるのです。だって、こういう人は意外にちょこちょこいますからね~(^^;)。
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全部同じかいっ!!!

2007-10-14 19:26:20 | 言葉についてあれこれ
                     全部違うでしょ?!
 ディクテーションをやっていて、あるとき、医師が5人集まって話し合いをしている、その中で薬の名前らしき単語が5種類出てきました。文章にするためには表記をきちんと確認しないといけませんから、5種類、調べましたよ。そうしたら、なんと、5種類全部がある一つの薬剤のことだったのです。えーっ、なんで5人とも違う言い方するのーっ、んなあほなぁーっ! なんちゅう手間のかかることしてくれるんやぁぁぁ、ですよ、まったくもぉ。なぜみんな好き勝手な言い方をするのでしょうか。そんなことしてて間違いが起こらないわけがないと思っていたら、案の定、ありましたよね・・・。
 薬剤の呼び方は、薬剤そのものの一般名、製薬各社が出している製品固有の商品名、アルファベット略語、カタカナ語、日本語、実にさまざまで、そのうえ、商品名は一般名をちょっとひねったネーミングで、どれも似たり寄ったり。一般人向けの講演でも、インヒビターと言ったり阻害剤と言ったり阻害薬と言ったり、1人の人が、わずかの時間に、ですよ。とにかく表現がばらばらなのです。ひどいときは、A4の紙3枚ほどの資料の中でも表記がばらばら、これぐらい一つに統一できないのかなぁ~と何度思ったことか。
 一つの文書内では、文体はもちろん、使う単語(特に固有名詞)、単語の表記のしかた(漢字、平仮名、カタカナ、送り仮名)や言葉の雰囲気を統一する必要があります。ですが、ちゃんとそうなっている資料にはめったにお目にかかれませんねぇ。がさがさっと作って終わり、チェックなどしている暇はない?
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名乗る自己防衛、補足。

2007-10-13 19:27:10 | 言葉についてあれこれ
                     波乗りじゃないの?
 10月10日の記事「名乗らない自己防衛、名乗る自己防衛」をお読みくださったかたの中には、「姓名を名乗ってください」って重複じゃないの~? とお思いになったかたもいらっしゃるでしょう。「名乗る」とは、自分の姓名や身分を他人に告げることという意味で、「私は治納由気です」も「私はここに入院している患者です」も「名乗る」です。盲腸のときの話、今はもうそんなことはありえない、大昔の話ですよ。あのとき、「私が患者です。あなたが脈を計っているのは妹ですよ」とさっさと名乗れば、笑い死にしそうにならずに済んだかも。
 つまり、知りたいのが名前なら、「姓名を名乗ってください」と言うのが親切というものではないでしょうか。ましてや、入院しているということは、病気やけがで非常につらい状態にあるわけで、すごく具合の悪いときに「名乗ってください」なんて言われたら、「ここの患者や、見れば分かるやろ」なんて言っちゃうかも。あるいは、「治納由気ですぅ~、え~っとぉ、住所は○町のぉ○番でぇ~、ハムスターを飼っていてぇ~」とか・・・(^^;)。スタッフが読むマニュアルでも、「名乗っていただきます」より、「姓名(フルネーム)を名乗っていただきます」のほうが確実です。
 ただ、患者に面と向かって言うのなら、「ご自身で、名前を、フルネームでおっしゃっていただけますか」です。「姓名を名乗ってください」だと事務的で硬い感じがするので、患者にかける言葉としては適切ではないからです。「姓名を名乗っていただけますか」でも、まだ十分ではない感じがします。看護師の希望、患者の心得として、名乗るという意欲ということを書きましたが、そういう説明をするときに「名乗る」という言葉は使えても、患者と看護師との会話には現実に使われることはないでしょう。
 さて、ここに一つ問題があります。マニュアルに「姓名を名乗っていただき」と書いてあるのを読み、患者に向かって「名前をフルネームでおっしゃっていただけますか」とさらりと言える人がどれほどいるでしょうか。今、ちゃんとした日本語を話せる人はほとんどいません。話すことそのものを職業にしている人ですら変な日本語を話しています。そして、目や耳になじみのある言葉は口を突いて出る、つい言ってしまうもので、マニュアルの文字が言葉になって出てきますから、それを避ける工夫は必要です。そこまでひどいかなぁ~と疑問に思いますか? ひどいですよ( ̄‐ ̄)。「○△□」と言わないほうがいいのなら、「○△□」とは書かないほうがいい、というわけで、実に単純なことです。
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青信号になってもすぐに渡るな。

2007-10-12 19:31:25 | いろいろあれこれ
                       今のは信号無視?
 何だか随分前のドラマだな~、城島君が若いよ~と思いつつ、途中からついつい最後まで見てしまったドラマで、交通事故で死亡した子どもが横断歩道を渡っていたときの信号が青だったか赤だったかということが問題になっていました。それで思い出したのですが、大きな交差点でキーーーーーッというブレーキ音に驚いてそちらを見たら、大型の観光バスに向かって自転車に乗ったお父さんが「ばかやろー!」と怒鳴っていました。で、観光バスの前方を見ると、これまた自転車に乗った10歳ぐらいの男の子がバスに当たるか当たらないかというすれすれの位置にいました。歩行者の信号は青になった直後で、バスはすでに交差点の中にいたため、横断歩道をそのまま突っ切ろうとしたのです。
 信号待ちをしていた人のほとんどは、バスが交差点を抜けようとそのまま進んでくるのを見ていますから青になっても動かなかったのですが、その子どもだけがびゅっと飛び出したのです。1~2歩踏み出した歩行者もいるにはいましたが、バスは片側2車線のセンター寄りへ進みましたから、まだだいぶ距離がありました。歩行者は、1歩踏み出してからでも、目の前を通過するバスに気付いた時点で足を止めればそれで済むわけで、普通ならそのまま何事もなく通過するはずでしたが、なにしろ自転車ですから、バスのほうは慌ててブレーキをかけたのです。注意しながらゆっくり進んでいたので止まれたようですが、ブレーキがもうちょっと遅かったらぶつかっていたでしょう。
 そのとき、正直いって、バスに向かって大声で怒鳴っている父親がよくないと思いました。とても大事なことを我が子に教えていなかったのではないか、それで一方的にバスの運転手を責めるのはちょっと違うのではないか。そんな姿を子どもに見せるのはかえってこの子のためにならないのではないか。ここは、子どもに、「青になったからってすぐに飛び出してはいけない」と言ってやるべきではないのか。この子どもは、自分の行動が非常に危険なものであったことを知る機会を逃し、今後またどこかで同じ目にあうのではないか、自分の行動を振り返ることもなく、相手が悪いと決め付けて怒鳴り散らす人間になりはしないか、こんな余計な心配までしてしまいます。
 前にも、危険を察知する、予防するということについて書いたことがありますが、危険がいっぱいのこの世の中、信号が青になったら渡ってもいいと教えるだけでは不十分なのです。青になっても、左右の安全確認をしてから渡ろうということを徹底して教え、車が交差点内にいる場合はもちろん、そうでなくても、本当に車が停止していて、安全に渡れる状況になっているかどうか、右折してくる車や左折してくる車はちゃんと自分を見ているかどうか、確認しないといけないのです。交差点なのに車内のテレビを見ていて、横断している人に気付かないまま通過していくなんていうひどい運転手もいますからね。特に子どもは運転手から見えにくいということもありますから、自分の身を守るための方法を具体的に教えないといけませんね。
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24番の番号札でお待ちのお客様ぁ~。

2007-10-11 20:01:39 | いろいろあれこれ
                   呼ばれてさっと立ち上がる?
 以前、郵便局だか銀行だか忘れましたが、数百万円の預金を下ろしに来た○○さんの身に起きた悲劇、「○○さーん」と呼ばれてさっと立ち上がった人がカウンターでお金を受け取り、出ていったのですが、この人、実は○○さんではなく、○○さんになりすました泥棒だったのです。窓口の人は、○○さんとは別人であることに気づかずお金を渡してしまい、ずーっと待っていてしびれを切らした本物の○○さんが窓口の人に文句を言って、それでやっと事件に気づいたというわけです。○○さんは、「○○さーん」というのは聞こえたけれど、別の人がさっと立ち上がったので、今のは自分ではなかったのだと思ったそうです。
 通帳と判こを盗んで預金名義人になりすましてお金を引き出すとか、ネットの世界で別人になりすますとか、そういう話はよく聞きますが、窓口で手続きをして、自分の預金が目の前でまんまと持ち去られたことに全く気づかなかったなんていう話はあまり聞いたことがありません。もちろん、これはれっきとした犯罪であり、被害者のかたはとてもお気の毒なのですが、こんなこともあるのかぁ、犯人はすごいことを考えたものだなぁ、ものすごく珍しい名前でもない限り、絶対そんなことないとは言えないのだから、自分も気をつけないといけないなぁと思いました。○○さんと呼ばれたら、自分のことか、同姓の別人か、やはり確認しないといけませんね。
 このごろ、銀行や役所では番号札を出し、「24番の番号札でお待ちのお客様ぁ~」というように呼ぶようになり、上記のような手口は使えませんからなりすまし防止にもなって、番号札にはいろいろな利点があるのですね。
 私の名字はほとんどの人が違う読み方をするので、本当は○○なのですが、ポピュラーな読み方である△△さんと呼ばれても一応返事をして立ち上がり、自分のフルネームを名乗って確認します。名前や地名の読み方は非常に分かりにくく、ほとんどの人がこうであろうと思う読み方と違う場合、振り仮名は欠かせません。
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名乗らない自己防衛、名乗る自己防衛。

2007-10-10 19:13:54 | 言葉についてあれこれ
                    ハンドルは報ハム道だよ
 何だか随分前のドラマだな~、このごろやたら再放送が多いな~と思いつつ、途中から見たのについつい最後まで見てしまい、あることを思い出したので、自己防衛ということについて幾つか書こうと思いました。そのドラマの内容と直接関連した事柄については明後日に書きます。
 昔、東京で暮らし始めたとき、先輩から、「自宅の電話を取るときに名乗ったらだめだよ、『はい』とだけ言って、相手が『○○さんのお宅ですか』と言ったら『そうです』と言えばいいから。そうしないと後が大変だよ、変な電話いっぱいかかってきちゃうよ」とアドバイスされ、以来、地方都市に引っ越した今もそれをずっと守っています。
 実際、うちが○○だと分かっている人は「○○さんのお宅ですか」だし、セールスなら「奥様でいらっしゃいますか、本日は△△のご案内を・・・」だし、最近はめったにないけれど、いたずらなら無言か「はぁ~はぁ~」だし、「はい」だけで私だと確認できる人は「あ~、あたし、あのさ・・・」で話が始まるし、電話を受けた側がいきなり名乗る必要など全くない、むしろ自己防衛のためにはこちらから名乗らないほうがいいと考えています。これが「名乗らない自己防衛」です。
 ついでにいうと、受け手は「はい」ですよ、「もしもし」ではありません。「もしもし」は呼びかけの言葉で、「これから申す」という意味ですから、例えば、「もしもし、○○さんのお宅ですか、私は△△の□□と申します」というように使う言葉です。ましてや、電話を受ける側は、顔の見えない相手からいきなり話しかけられるわけですから、ひょっとして、振り込め詐欺の電話かもしれないのですから、とりあえず「はい」とだけ言って相手が何か言うのを待てばいいのです。実際、ネットで「名乗る」と入れて検索すると、「○○を名乗る不審者にご注意ください」とか、「○○と名乗る不審な男が・・・」とか、詐欺事件に関する内容ばかり出てきますからね。
 それから、「名乗っていただき」で検索すると、医療安全、リスクマネジメントに関する内容のものがたくさん出てきます。「患者さん誤認防止のために名前を名乗っていただき」とか、「患者様ご自身でフルネームを名乗っていただき」とか、「~でフルネームを確認し、さらに、患者様にも名前をフルネームで言っていただいております」とか、患者の取り違え事故を防ぐためにリスク管理マニュアル等にそういう文言をはっきりと記載し、いろいろ注意しているんだなぁということが分かります。
 「名乗る(名告るは常用漢字の音訓外)」とは、自分の姓名や身分を他人に告げること、という意味で、昔から現代に至る用法からいっても、この言葉自体に善悪や上下関係といった概念はないようです。「ここに姓名を書いてください」「ここに姓名を書いていただいて」と同様に、「姓名を名乗ってください」「姓名を名乗っていただいて」という言い方に違和感はありませんが、名乗る相手が「私」であってはいけないように思います。面と向かって、相手に、私に向かって名乗ってほしいということを伝えたいなら、「ご自身で、名前を、フルネームでおっしゃっていただけますか」というふうになります。「担当の者に姓名を名乗ってください」「担当の者に姓名を名乗っていただいて」と、第三者が言うなら、また、マニュアル等に書くなら、問題ありません。
 私が盲腸の手術をして入院していたとき、妹が見舞いに来てベッドに腰掛けていたのですが、私がトイレに行って部屋に戻ってくると、看護師さんが妹の脈を計っています。看護師さんは私に気付いてじっとながめてはいるのですが、そのまま妹の脈を計っています。しばらくして、きょとんとしている妹の顔を見て、パジャマ姿で立っている私を上から下までじーっと見て、普通の洋服を着ている妹をじーっと見て、その後は全員大爆笑です。私は苦痛にもだえながら大爆笑です。本当にもぉ~、傷口が開くかと思いましたよぉ~( ̄・ ̄;)。
 これが脈の計測だからよかったようなものの、注射だったらどうなったでしょうか? さすがにそのときは妹が抵抗するだろうとは思いますが・・・、当時は本人確認ということがあまりやかましくいわれておらず、採血でも、注射でも、私が半眠りの状態でもそのまま静かにす~っと済ませていったものですよ。でも、最近は事情が違いますね、医療現場の労働条件はますます厳しくなり、医療に関して素人の私でさえ予測できてしまうような、起こるべくして起こるというような医療事故も見られ、患者の側はというと、何か起きたら訴えるというふうに強気になるばかり。それで病院側がさまざまな工夫をするのはいいことですが、患者本人は何も協力しないというのは非常によくないことで、患者の側でも事故を防ぐ努力をしなければいけないのです。
 患者の側で考えても、協力してくれと言われるから、ではなく、己を守るためには、自分でできることは何でもやる、いわば「名乗る自己防衛」であり、これなら世の中の自己チューさんにもご納得いただけるのではないでしょうか。そもそも病気を治すのは患者本人であり、医師や看護師はその手助けをしてくれているのだと私は思うのです。治りたいと思うなら、患者本人にできることはやる、「誤認防止のため、投薬や注射などの前にはご自身で姓名をおっしゃってください」と言われたら、次からはいちいち言われなくても名乗るのが患者のあるべき姿だと思うのですが、どうでしょうか?
 もし私が看護師だったら、患者本人に治りたいという意欲を持ってほしいと願います。たとえ治らない病気だと分かっているような場合でも、QOLを少しでも向上させるため、余生をよりよいものにするため、そういう意欲を持って努力してほしいと願います。患者としては、病気をすれば気分も落ち込んで、呼ばれても返事をしたくないようなときさえありますが、看護師は、そうした願いを持っているがゆえに、自ら進んで名乗るというところから始めてほしいと思うでしょう。手を挙げて「はい、○○○○です、注射よろしく」なんて言ってもらえたらうれしいでしょうねぇ~(^^)。
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「アーサーとミニモイの不思議な国」と「ローグ アサシン」を見た。

2007-10-09 19:23:44 | いろいろあれこれ
                     ルビーなんかないよぉ
 「アーサーとミニモイの不思議な国」は、吹き替え版しかなかったのでしかたなくそれを見ました。実写の部分はレトロな雰囲気で、いい感じに年を取ったミア・ファローがすてきで、主役のフレディ・ハイモアは「チャーリーとチョコレート工場」のころとそんなに変わっておらず、ふむふむ、なかなかいいよ、と思いながら見ていました。これが、CGの部分になるとものすごくテンポが速く、置いてきぼりにされないように頑張って見ましたが、あれやってみたいなぁ~と思うようなわくわくするシーンもあったりして、けっこう楽しめました。レゲエ兄さん風のマックス役のトシ(タカ アンド トシ、丸刈りの細い人)が意外に上手でびっくり。展開と結末は想像どおりでしたが、気軽に楽しめますね。
 これと対照的な「ローグ アサシン」、見ましたよぉ、ジェット・リーが好きなので見たのですが・・・、血と暴力のシーンが苦手な私にはきつすぎました。ギャッと言って目をそらすようなシーンもありましたが、あまりにもそれらしいヤクザや日本風のお店が笑えて、ジョン・ローンは相変わらず格好いいし、久々にまあまあ格好いいケイン・コスギも見たし、ジェット・リーはやっぱりすごいし、満足感は一応あります。ジェイスン・ステイサムは、「トランスポーター」とは全く違う印象、当たり前だけど、ほとんど別人です。そして、えーーーーーっ、何や、それーーーーーっ、ありえん! という意外な結末でした。なにしろヤクザが登場するのですから、日本語のセリフもいっぱいあったのですが、なんか変な感じでしたよ( ̄‐ ̄)。
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「この法律違反に値する」って?

2007-10-08 19:08:03 | 気になる言葉、具体例
                     一見に値する三重塔
 アナウンサーが「○○法というのがありまして、この法律違反に値するのではないかということで」と真面目な顔でさらりと言ったとき、これを聞いた人のうち何割の人がおかしいと感じるでしょうか。私は、「法律違反」に「値」はおかしいと感じました。通常、「法律違反に当たる」と表現するものですが、この場合、「○○法というのがありまして、この法律に違反するのではないかということで」というのが自然な言い方です。
 ちなみに、「値する」というのは、それだけの値打ちがあるという意味で、「一見に値する」「称賛に値する」というような使い方をするものです。そういうことを理解していると、「法律違反」に「値する」が合わないということが分かるでしょう(^‐^)?
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「エアコンの設定を節約するとかぁ」って?

2007-10-07 19:43:45 | 気になる言葉、具体例
               28度ね、おいらのハウスは25度♪
 地球温暖化を防ぐため、ふだんの生活の中で一人一人に何ができるかを考えるというテーマの番組が少しずつ増えてきたように思いますが、街角でのインタビューに「エアコンの設定を節約するとかぁ」なんて答えている人を見ると、あ~、まだまだだなぁ~と思います( ̄н ̄)。この言葉に、この人の意識の低さが表れているからです。
 まず、「エアコンの設定を節約する」というのは、やはり日本語として成立していませんね。「エアコンの設定を28度にして電気(エネルギー)を節約する」というように言って初めてちゃんと成立するわけで、「28度にして電気(エネルギー)を」という肝心の部分が丸々抜けていることになります。それは、この人が、実際には28度に設定するということを実践していないからでしょう。そして、それが、エネルギー消費を抑え、CO2の排出量を抑えることにつながるということをはっきり認識していないのでしょう。
 言葉はその人を映しますから、ご注意召され。またまた9月22日の記事から、「真意をどこまで量りかねていたのか」ですが、「量りかねて」は「とうとう量ることはできなかった」という意味ですから、「どこまで」と言いながら、「量れなかったんだろぉ、どうせぇ」という気持ちがこの言葉に表れている?
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量る、計る、どっち?

2007-10-06 19:11:30 | 言葉についてあれこれ
                     もういい? 量れた?
 9月22日の記事のタイトルは「『真意をどこまで量りかねていたのか』って?」でした。「量る」は、重さや容積を計量するというときに使う漢字で、「分量を量る」というのはすぐ納得していただけると思うのですが、「相手の気持ちを量る」というのはどうですか。「相手の気持ちなどを察すること」という意味の「推量」、「推し量る」だから「相手の気持ちを量る」で、手元の表記辞典にも「相手の心中を量る」という例が載っています。IMEの変換でも、「相手の気持ちを量る」という例文が出てきますし、ATOKでも「量る」です。以上のような理由で「量る」にしたのですが、手元の国語辞典には「真意を計る」も載っています。ですから、「計る」も、間違いであるとは言い切れません。
 また、「はかりしれない」については、表記辞典には「量り知れない」と書かれています。でも、私は、これには違和感があって、多くのメディアが使っている「計り知れない」がいいように思います。「計る」には「推し量る」という意味もあり、IMEもATOKも「計り知れない」であり、「量り知れない」はありません。使い分けの難しい漢字というのがあって、数冊の辞書を見ると意見が分かれていることすらありますから、自分なりに考えて一つ選び、選んだらそれをずっと使うという姿勢でいるのがいいですね。ただ、何か理由があって別の漢字をあえて使うということはありますし、理由があればそれは許されることだと思います(^‐^)。
 ところで、先日、「○○さんのほうが有名だと想います」というテロップを見たのですが、これはちょっと・・・「想う」がもったいない。本当は、亡き友、恋しい人、懐かしい故郷を「想う」というときに使う漢字ですね、常用外ですけれど。昨日、夕方のニュースで、「名誉を棄損した」と書いてあるフリップを見て、キャスターが「これ、字が間違ってますね」と言ったので、よくあることだと思いつつ辞書で確認してみたところ、おなじみの「毀損」は常用漢字外で、「棄損」でいいのですね、ふーむ。「真意をどこまで量りかねていたのか」のテロップは「真意をどこまではかりかねていたのか」と、平仮名でした、チャンチャン♪
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怪談ばなし、怪談噺、怪談話。

2007-10-05 18:38:01 | 気になる言葉、具体例
                      うらめしや~
 落語協会の説明によると、落語というのは、日本の代表的な大衆芸能の一つで、1人の演者(落語家)が、着物を着て座布団に座り、主に登場人物の会話を中心に話を進め、最後に落ち(サゲともいう)をつけてお客様に楽しんでもらう話芸なのだそうです。滑稽噺、人情噺、芝居噺、怪談噺といったジャンルがありますが、講談でも、怪談噺は一つの重要なジャンルであるようです。
 さて、落語も講談も関係ない、ただの怖い話のことを「かいだんばなし」と言う人たちは「怪談話」だと思っているようで、実際、ちょっと検索してみてもやはり「怪談話」がたくさん出てきますが、そもそも「怪談」の意味が「化け物や幽霊の話」なのですから、「話」は余計です。思い出してみてください、私たちはごく普通に「怪談」って言ってませんでしたか? 「かいだんばなし」は、「噺」だからこそ成立している言葉なのです。
 今年は随分暑かったので、怪談でもやって涼もうじゃないかという人が大勢いただろうと思いますが、さすがにもう怪談のシーズンは終わったようですね、風がさわやかで、すっかり秋です。金木犀も香り始めました。(^・・^)ほぐほぐ。
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「いつ爆発するんじゃないかって」って?

2007-10-04 19:27:03 | 気になる言葉、具体例
                       爆発しそ~
 若い役者のセリフで、「いつ爆発するんじゃないかってびくびくして」というのを聞きました。この人は、恐らく台本を何度も読んで稽古したでしょう、なのに、読んでいておかしいと思わなかったのでしょうか。正しくは、「いつか爆発するんじゃないかってびくびくして」もしくは「いつ爆発するかとびくびくして」ですが、どちらが本当にふさわしいセリフなのか、前後をずっと見ていたわけではないので分かりません。
 台本のセリフは一字一句書いてあるとおりに読まないといけないということなのか・・・、でも、堂々と意見を言えそうな大ベテランのセリフでもおかしいことがよくあります。また、特定の人のセリフだけが突出しておかしくて、この人は台本に書いてあるとおりにしゃべることすらできていないのではないかと思うこともあります。
 そして、言葉そのものもそうですが、このごろ、セリフの間(ま)がおかしい役者が増えて、とにかくしゃべるのが下手、演技が上手だとか下手だとかいうレベルにすら達していません。役者も脚本家も、もっと日本語の基礎を勉強してください、って、いっぺん面と向かって言ってみたいわぁ( ̄‐ ̄)。
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少しは形を気にしてほしいな。

2007-10-03 19:59:30 | 言葉についてあれこれ
                    この手の形がたまらない~
 地方のアナウンサーの中には、一般人より日本語能力の低い人が大勢います。もちろん、中央にもけっこういますけど。ローカルの生活情報番組を担当しているAさんは毎回必ず変なことを言います。多分、原稿を読んでいるのだと思うのですが、ということは、その原稿の日本語がおかしいということになります。もしもAさんが書いているのだとしたら、書く能力もないということになりますから救いようがありません。他人が書いたものを読んでいるのだとしたら、それがおかしいということに全く気づかない、つまり、日本語のレベルがそれだけ低いということか、あるいは、おかしいかおかしくないかということを気にしていない、渡されたものを次々とただ読んでいるだけということになります。
 Aさんが、どういう立場で、どういう力関係の中で仕事をしているのかは知りませんが、もしも間違いに気づいているのなら、できることなら直してほしい。ひょっとして、直したいけど直せないのかな? でも、Aさんに限らず、ほかのアナウンサーもそうですし、ナレーター、タレント、役者など、Aさんのように「渡された原稿や台本を書いてあるとおりに読むこと」が仕事であると思っている人は大勢いるようです。
 さて、妊婦さんが公共交通機関に乗って、座りたいけれど空席がない、でも、周囲の人に一目で妊婦だと分かるほどおなかが出ているわけでもないから譲ってもらえないということがあります。妊婦が万が一バスの中で転倒したりしたら大変なことになりますから、座りたい、でも、「私は妊婦だから席を譲ってください」と言うわけにもいかない。そこで登場したのが○○というわけで、Aさんが、その○○を手に持って「妊娠であることを周りにさりげなく伝える○○」と言いました。正しくは、「妊婦であることを」もしくは「妊娠中であることを」ですね。このくらいは気づいて直してもいいと思うのですが・・・。
 そういえば、先日、久しぶりにBさんが出ているローカル番組を見ました。Bさんは、私が知っている範囲で最も日本語の下手なアナウンサーです。間違いなく、一般人より下手です。やはり変な日本語を連発し、ちっとも変わってないなぁ、先輩アナウンサーたちは一体何をやってるんだ? と思いながら見ていたら、ゲストに向かって「天皇両陛下にお会いされたときに」なんて言いましたよ。正しくは、「天皇、皇后、両陛下にお会いになったときに」です。「皇后」を言わずに「両陛下」はおかしいですし、「お会いした」は謙譲語で、「した」を「された」にしたからといって尊敬語にはなりません。この人、どうにかして~っ( ̄д ̄)。
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「のんびりばかりもしていられない」って?

2007-10-02 19:06:05 | 気になる言葉、具体例
                      寝てばかりいるよ
 これを聞いたとき、ん? と引っ掛かって、偶然、立て続けに「安心ばかりもしていられない」というのを聞いてやはり変だと思い、ちょっと考えてみました。「泣いてばかりいる子猫ちゃん~♪」はみんな歌ったことがありますよね。泣いてばかりいる、泣いてばかりもいられない、寝てばかりいる、寝てばかりもいられない、遊んでばかりいる、遊んでばかりもいられない、でしょう? で、「のんびりばかりもしていられない」というのはおかしくないですか? 「のんびりしてばかりもいられない」でしょう? 「安心ばかりもしていられない」ではなく、「安心してばかりもいられない」でしょう?
 マンガばかり読んでいる、好物ばかり食べている、外出ばかりしている、「マンガ」「好物」「外出」は名詞で、その後に「読む」「食べる」「する」という動詞が来る、これはいいのですが、「のんびりする」「安心する」というのはサ変動詞(サ行変格活用の複合動詞)ですから、動詞の真ん中に「ばかり」を割り込ませるのはやはりおかしいですね。
 あ、「外出する」ってどうなの~? って思いました? 「外出する」はサ変動詞ですが、「外出をする」「外出が多い」「外出を控える」と言ってもおかしくないですよね、ですから、「外出ばかりしている」というときの「外出」は名詞で、外出+ばかり+している、という形でいいのです。でも、「のんびりをする」「安心をする」とは言いませんね、「のんびりする」「安心する」と一気に言ってサ変動詞になりますから。
 あ、「安心をする」って言うよ~、って思いました? 確かに「安心」は名詞で、「安心を形に」といった言い方は別におかしくありませんが、実際、「安心して暮らせる」というサ変動詞、「それなら安心だ」という形容動詞として使うことのほうがずっと多いですよね。「それなら安心だ」の「安心だ」は形容動詞の終止形ですよ。それでも「安心ばかりもしていられない」と言いたいかたはどうぞご自由に。でも、「のんびりばかりもしていられない」だけはやめてください。お願いします m(_ _)m。
 余談ですが、「安心をする」に違和感のない人は、国会中継とか、政治家の発言をよく聞いている人なのかな~と想像します。政治家って、「お答えをしたい」「尽力をする」「開始をする」「実現をさせたい」「充実をさせる」というように、不要な「を」を入れる傾向が強いですからね( ̄‐ ̄)。
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言葉の形と心ということ。

2007-10-01 18:56:27 | 電子書籍(でじたる書房)
                   日本語に未来はあるのだろうか?
 真心のこもった手紙というのは、たとえ文章が稚拙でも伝わるものがあって、極論すれば、誤字だらけだろうが、句読点の打ち方がおかしかろうが、形はどうでもよろしいということで、実際、大事なのは心だとか、ふだんのコミュニケーションだとか、伝えたいという熱意だとか、そういった話はよく聞きます。それはそのとおり、否定するつもりはないのですが、それはそれ、これはこれ、事実だけを淡々と伝えることが役目の人の場合はどうでしょうか。その瞬間に口から出た言葉がすべてですから、その言葉をもって要点が正確に伝わるということが大切なわけで、言葉の基本の形、誤解を招かない話し方が必要なのではないでしょうか。
 今、人前で話すことが職業の人たちですら非常に怪しい日本語を話しているのですから、もはや心がどうだとかいうような悠長なことを言っていられる場合ではないのです。形も発音もどんどん崩れ、たとえ伝えたい心があっても、熱意があっても、伝わらないものはやはり伝わらないのです。映像や資料の助けを借りてどうにかこうにか言いたいことだけは分かるということはもちろんありますが、聞いているほうは大変です。でも、いつもいつも分かるわけではありませんし、第一、聞き手は、話し手の真意をいつも正確にくみ取ることができる人ばかりでもありません。寛容な心で話をきちんと理解しようと努力する人ばかりでもありません。
 おかしな日本語で話していて、自分の話し言葉が誤解を招かないものであるかどうかを気にかけることもない人たちは、聞き手に甘えているのです。ずっと聞いていれば分かるだろう、表情を見ながら聞いているんだから分かるだろう、資料があるんだから分かるだろう、日本人なんだから分かるだろう、そんなふうに甘えているのです。でも、ほとんどの人がきちんと話せないということは、ほとんどの人がきちんと受け止められないということでもあります。ここを忘れていませんか?
 でじたる書房は http://www.digbook.jp です。
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