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当ブログ主は酒が飲めない体質でありぐい-と呑むことはないが・・・ 若い頃、萩や北九州などにある窯元を訪れた記念にと当窯のぐい呑みを求めていた。
萩焼の萩では岡田裕や無名の作品、深川萩では坂田泥華、田原陶兵衛、山口萩では大和松緑などのぐい呑みを求めた。また、上野焼では高鶴元、熊谷保興、企救焼では熊谷光峰などのぐい呑みを求めていた。
正月に一同が会した時に使用するのみ以外は物置入れの片隅に眠っているのである。
農業用物置に親時代に農作業や山仕事で使用していた懐かしいオイコがあったが、背負い紐と背覆いが無くなっている。かすかな記憶ではオイコやニコと呼称していたようである。オイコは枝木のある木を加工して作っており枝木部分は荷を乗せる腕木としている。
毛利元就の里、吉田に祀られている清神社に参詣したところ境内の桜は満開であり見頃であった。毛利元就の三矢の教訓に因んだ清神社守矢(サンフレッチェ)を授かるのが目的で参詣した。春休みで博多からの三人孫兄弟の一人が今日帰っていくので三矢の教えのように願って・・・
昨日、営業運転中の蒸気機関車で最も古い「SL人吉」の営業運転が終了したと報道されていた。画像の銘文にみられるように大正11年(1922)に製造された「8620形58654号機」の蒸気機関車のようである。
平成28年(2016)7月に電動自転車での人吉市内の観光を終えて人吉駅に着いてみるとSL人吉がホームに停車していた。もう少し後の列車を予定していたが乗車が可能であったので人吉駅から熊本駅まで乗ったことが懐かしく思い出されるのである。
当ブログ主は若い頃には城に興味を持っており、各地の城跡や山城を巡っていたものである。古くからの城友達から城郭移築建造物大全「西日本編」という大著をこのほど頂戴した。当方が若い頃作図していた安芸高田市の法円寺三菱窟を掲載して頂いたのである。
物入れの片隅にあったスクラップ帳にラジオ少年であった頃のQSLカードがあった。下画像のような5球3バンドのラジオを制作して各地の放送を受信して受信状態や内容などを報告したら送ってもらえたものである。「RADIO AUSTRALIA」「VOICE OF FREE KOREA」「VOICE OF AMERICA」「北京放送」など短波で海外の日本語放送を聞いていたこともあった。