『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

フェイジョアの花が

2018年06月14日 | 「廿日市地区」ぶらり








 

近所に見かけない綺麗な花が咲いており、尋ねてみるとフェイジョアの花ということで初めて見るものである。ネットによると熱帯性の果樹のようであり果実にはパイナップルとバナナの中間の様な芳香があり、生食またはジャムやゼリーなどの加工食品、果実酒などに利用されるようで、果実を是非食してみたいものだ。

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梅雨太郎さん

2018年06月13日 | 「廿日市地区」ぶらり









 

梅雨の合間、梅雨太郎さんに会いに行ったが見ることは出来なかった。江戸期の地誌には「異石-上平良村石か小屋にあり、石罅に雙蛇を栖しむ、梅雨の後、去て見えず、此石犯すものは祟ありといふ」とある。かつて水商売の人や安産祈願でお参りする人もあったようである。近くにある梅雨太郎水と言われている清水を汲みに2組の方がおられたが、この時期の梅雨太郎水は梅雨水のような気がするが・・・

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田植え民具の色々

2018年06月12日 | 「廿日市地区」ぶらり


三角枠


六角枠


筋引き


筋・交点付け

 

温暖で田植えが遅い平良地区ではほとんどの田んぼも植え付けは終わっているようである。以前にも紹介したことがあるが、当ブログ主が徘徊中にみかけたかつて使用されていた田植え民具を紹介する。
所持している三角枠は印ケ所に植え付けて手前に回転させていくのであるが、後すだりと早乙女の植え付けスピードの差があるので効率的ではなかった。六角枠は押して回転させ碁盤の目状に跡を付けるので植え付けは前進で効率的に出来た。
筋引きは引いて筋を付けるものと押して筋を付けるものがあり、筋上に植えるのであるが間隔は不揃いとなった。隠岐ではババ引きと言って縦筋と横筋の碁盤目状に筋をつけているようである。筋・交点付けは吉和地区で普及していたようであり、六角枠と筋引きを合わせたような民具で引っ張って行くと縦筋と交点の跡が付いていくものである。

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御手洗川の橋-国広一本橋

2018年06月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

国広一本橋は人道橋でありかつて里道があって一本橋とあるので丸木橋が架かっていたのであろうか。現在接続する里道はみられないが周辺の土地が改変されたのかも知れない。

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廿日市環状線道路改良工事の今

2018年06月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


上平良地区の速谷高架下交差点から宮内黒折地区に通じる廿日市環状線の道路改良工事が10月31日までの工期で行われている。
環状線の側道の一部工事であろうか市道の第2路線沿いで行われており部分的な工事のようである。

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久井稲荷神社の玉垣

2018年06月09日 | 旅行






 
先月、かつて杭の牛市の町で栄えていたという三原市久井町にある久井稲荷神社を参詣した。長い石段の脇に当ブログ主は見たことがない玉垣があった。通常、笠石方向(長手方向)の直角面の親柱、子柱に寄進者の名前が刻されているが、ここの玉垣には所々子柱が45度向きに設置されている。石段を登るときに子柱の寄進者名が見えやすくなっており、意図的なものか遊び心で設置されたのかは定かでない。

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御手洗川の橋-砂原橋

2018年06月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


市道国広線で御手洗川に架かる砂原橋は銘板によると昭和60年(1985)3月に架橋されたようである。市道国広線は江戸期の西国街道であり、この場所には砂原大橋が架けられていたところで、地誌によると長さ八間、幅二間の土橋が架けられていた。

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茅葺屋根三棟

2018年06月07日 | 建造物







 


先日、三原市大和町の
茅葺屋根の寺院を紹介したが、その近くに茅葺屋根の民家があった。棟部分の痛みなどから雨漏りしているものとみられ消滅へと辿っていくのだろうか。(上画像)同じ大和町平坂地区にある棲真寺周辺は棲真寺公園として整備されておりその一角に茅葺屋根の写経堂があった。由来表示板によると福田地区にあった老朽化していた説教場を平成8年(1996)にこの地に移築復元し写経堂とされたようである。(中画像)先々月、見島に行く途中萩市下横瀬地区でみられた茅葺屋根の民家であるが相当痛みが進んでいるようであった。(下画像)

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大洗磯前神社本殿の茅葺屋根

2018年06月06日 | 建造物




 


先日、茅葺屋根の寺院を紹介したが、先月参詣した茨城県大洗町ある大洗磯前神社の本殿妻側の屋根は美しいカーブを描いて刈込された茅葺が特徴的である。
本殿は一間社流造りで江戸初期に造営され享保15年(1730)に現在地に還座再興されたようであり、茨城県の指定文化財のようである。

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佛狼機砲(国崩し)

2018年06月05日 | 旅行

靖国神社遊就館の佛狼機砲(国崩し)

 臼杵城跡の佛狼機砲・大分市歴史資料館の佛狼機砲(図録より)


先月、靖国神社に参詣し遊就館に展示してある佛狼機砲(国崩し)を見物することが出来た。
平成25年(2013)に大分市歴史資料館で佛狼機砲(国崩し)の複製品が展示してあったのを見物し、平成27年(2015)に臼杵城跡に設置されている佛狼機砲(国崩し)の複製品を見物した。佛狼機砲(国崩し)は天正4年(1576)に大友宗麟がポルトガルより入手し臼杵城の備砲としていたようであるが、現在は靖国神社の遊就館に展示されているので実物を見てみたいと思っていた。
文禄・慶長の役で寺社の梵鐘が供出されたことは複数の資料にみられ、廿日市の鋳物師が国崩しを鋳造していたことが資料から伺うことができるのである。 参照「安芸国鋳物師の鋳造活動」 

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茅葺屋根の寺院

2018年06月04日 | 建造物













先日、同好者と三原市大和町和木地区にある専徳寺を参詣した。大きな伽藍の寺院で本堂は箱棟の付いた茅葺屋根であり、庫裡及びその渡り廊下も茅葺屋根であった。茅葺屋根の本堂は津和野町の永明寺で見たことがあるが庫裡及び渡り廊下も茅葺屋根というのは珍しいのではなかろうか。
かつて近くにある見正寺の本堂も茅葺屋根であったが現在は瓦葺き屋根とされていた。

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御手洗川の橋-宮内橋

2018年06月03日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


県道30号廿日市佐伯線で御手洗川に架かる宮内橋で銘板によると1969年(昭和44年)3月に架橋されたようである。橋の上流側には㈱水みらい広島とある表示板があり水道管橋が架けられている。
水みらい広島は、広島県と、水・環境の総合事業会社水ingが出資した民間主体による水道事業運営会社のようである。

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私の名前は?

2018年06月02日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


先日、平良小学校の運動会に行く途中可愛ケ丘公園を通っていたら見たことのない花が咲いていた。
この公園は管理が行き届いてないようで、雑草の中の鮮やかで綺麗な花は目に留まった。ネットで調べてみると外来の花のようで「アルストロメリア」また「アストロメリア」ともあったが正式名称は・・・

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御手洗川の橋-玉野井橋

2018年06月01日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


市道の串戸畑口線の玉野井橋北詰交差点から野坂中学校方面に向かう地御前宮内線で御手洗川に架かる玉野井橋で銘板によると2007年(平成19)2月に架橋されたようである。

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