国内だけで毎年5000人弱の命を奪い、3兆2000億円前後の経済損失を与えるが、それでも人々から愛され重用されている地上最大の悪魔がいる。お気づきのようにそれは自動車だ。実は死亡事故より重い後遺障害を負った場合のその後の人生、逸失利益や治療費・介護料のほうがある意味極めて深刻、特に被害者が幼い子供や青年の場合、である事が指摘されている。最近でも児童の列に突っ込んだ京都の自動車など悲惨な事故は後を絶たない。事故じゃなく殺人だ。
何故最初にこの話をしたかというと、今全国で見られる無知で身勝手な放射能アレルギーと比べる為だ。自動車はこれほどの被害を与えても人はリスクと有用性を比べて、差し引きで大きな利益を認め活用している。交通事故事故は死亡事故の何倍にもなる。実際40秒に一件発生し、本人だけではなく家族も悲劇に巻き込む。それでも全体で見れば感情抜きの合理的な判断がされている。数字だけ見ると気が遠くなるほど膨大な数字にもかかわらずだ。
ところが、事が放射能になると多くの人は突然感情的になり、無知で合理的な判断が出来なくなるようだ。大震災で発生した3000万トンのがれきの83%が仮置場に搬入されたが、がれき処理は岩手県が21%、宮城県が28%しか進んでないという。宮城県は大幅に遅れの計画を見直し県内処理を増やすと先日報じられた。大震災の復興の妨げになっているがれき処理を推進する為、国民全員が自らの問題として広域処理をしていこうという掛け声がむなしく響く。
がれき処理受け入れの反対理由は、健康にまったく影響のないレベルとされる残留放射能といえども、子供には更に良い環境を与えたいという親の気持ちや風評被害を恐れる地場産業の人達の声を反映したものだといわれる。受入を表明した自治体は住民の反対を受け、普段復興支援に歯切れの良い発言をしていた自治体首長や議員連中も、リーダーシップがなくなってしまう。汚い言葉で申し訳無いが、「お前ら日本人か、口先だけの支援か」と悪態をつきたくなる。
先月末には環境省から放射能汚染された焼却灰や汚泥など「指定廃棄物」を埋める最終処分場の候補地として伝えられ、高萩市長が「断固反対」と吼える姿を報じるニュースが流れた。あ、これはがれきの広域処理受け入れ反対を支持することになるな、と思った。気持ちは分からないでも無いが、こちらの方は明らかに危険な放射能汚染物が行き場を失い寧ろ長期的には住民の安全を脅かす事になる。橋本県知事は摩擦を恐れ説得するより地元の意向に従うと言い、それが一方では県民の安全を守る責任を放棄する事になる微妙な立場にあるように感じる。
3.11以来、事が放射能となると理性を失い合理的な判断が出来なくなる状況を何度も見てきた。「何が何でもの反原発」は一部の原理主義者の反対運動だったのが、3.11を境に国民的な運動になった。先に政府が主催した討論型世論調査では国民の70%が原発ゼロを主張した。政府はこの国民の声を無視するわけにはいかず、先に投稿したように将来どちらにも軌道修正できる「粗雑な原発ゼロ方針」を打ち出した。申し訳ないけど、本当に「粗雑」だ。
それでも私は現状の原発ゼロの熱気を配慮した粗雑だけど止むを得ない賢いやり方だと一定の評価をした。だが、意外にもマスコミは私以上に天邪鬼だった。一旦政府が方針を打ち出すと、放射能の危険さを撒き散らしたマスコミ連中が今度は「矛盾だらけの原発ゼロ」方針と批判し始めた。実はその通りなのだが、国民の7割が反対する政策を政府にやれというのは中々難しい。元とは言えばマスコミがこの風潮を助長した。
いずれにしろこの国の放射能アレルギーは国を誤まらせる強い力がある。それこそ無駄なエネルギーを消費させ、政治経済を機能させない。1年分の放射線の許容度が医療用の放射線1回分、自然発生の放射線量と同程度なんていう極めて厳しい規制値を作らせ、更にもっと少ない方が良いという風潮が、結局のところ上記のがれき処理の遅れや処分場を作らせせず、住民を困難な立場に追い込んでいく。震災復興を遅らせ終いには国を誤らせると私は恐れる。■