西日本豪雨の後この地に住んでいる人達は具体的に何を経験し何を思ったか、最初に投稿したようにメディアの報道には限界があると感じていたので、機会あるごとに誰彼かまわず聞いて見た。私の知りたがり屋は生まれつきか、或いは仕事で身についたものか分からないが、気になってしょうが無かった。こうなると病気なのかも?
先の投稿で指摘した肱川上流のダムの放流と告知の方法の適否については、予想以上に問題視されその後全国ニュースでも何度か取り上げられた。ここでは批判的な声が多い中、現場で対応した消防団員の意見を聞くとリーダー格は思ったより慎重な意見だった。身内意識があるのだろうか。
ルールに従って放流したこと自体に問題はない、ダムが壊れたら市全体が水に浸る絶対に避ければならない事態になったろう。それはそうだが、状況に応じた弾力的な放流の仕方があったはずだ。その判断には専門家が指摘するように、ダムの目的が「治水」と「利水」によって微妙に異なると思う。
2日前に肱川沿いをジョギングした時、大洲市の新興商店街の洪水の原因になった氾濫をリアルタイムで見た人に会った。予讃線海回りの五郎駅の前で肱川と矢落川が合流するが、そこでダムから放流され肱川の圧倒的な水量に矢落川が押されて逆流したため堤防を越えて氾濫が起こった。大洲盆地は海抜が低く川は曲がりくねって流れ、悪いことに満潮時にダム放流され水位が上がっていたという。
堤防の一部が決壊したのではなく、見かけ上「異状に幅広い堰」を乗り越えて泥水が流れて来て大洲盆地の低地部を水浸しにした。その人は肱川の上流の若宮付近の堤防から見ていたそうだ。その時、若宮付近では階段7段分下方を濁流が流れていたという。
逆流の現場は予讃線の低い橋から上流までの100-200mが一段と低くなっており(上記の消防団員は二段線と呼んだ)、その低い堤防を越えて一気に商店街に流れ込んだらしい。私はその考えはオカシイ、JR線を守るより人の命の方が大事だろうと言った。今後見直されるだろうだと思う。
洪水になったのは主に東大洲・徳の森と呼ばれ、かつて盆地の田畑があった低地で緩やかな傾斜がある。新興商店街は旧市街地よりも低く、その中でも浸水が床下が床上か、或いは玄関までか微妙な違いがあった。家の土台の高さはまちまちで、その微妙な差で浸水したりしなかったりしたそうだ。
それは、車も同じだった。同じ駐車場に止めておいても、車高の低い乗用車は全滅している中で、トラックは無事だったと車を移動中の若者が教えてくれた。洪水の中作業を続けていたら気が付くと後に停めた消防自動車が水に浸かり使い物にならなくなったという。何てドジなと言おうとしたが、それだけ水位の上がり方が早かった、危なかったと聞いて口をつぐんだ。こうなると修理のしようがなくなるという。1台約500万円だそうだ。
大洲駅の近くの遠縁の商店は東京にいる時から無事だと電話で確認していた。2日前にジョギングを兼ねて顔を見に出掛けたが、子供の時訪問した記憶がある程度で道に迷った。駅の近くで3人の女学生に聞くと、スマホで簡単に探し出してくれ親切にも迷路みたいな道を案内してくれた。高2だそうで、私の馬鹿な冗談に一々反応してくれた。
見知らぬ人に口を利かないよう教育を受けたようで、東京府中市の子供達は挨拶をしなくなったので、彼女達の自然な対応は新鮮であり嬉しかった。商店の女主人は同い年だが若々しく元気だった。直ぐ近くまで水が迫ってきたが無事だったらしい。彼女は夫に死なれ商店を続けるか迷っていたが、今は働いてくれる若い子が見つかり当面店を続けることにしたという。
帰りに浸水を免れたというカフェを経営する若い男性と言葉を交わした。浸水しても可笑しくない立地だったが高めの土台だったのが幸いしたという。フランチャイズ店と異なり独立して商店を経営する友人たちは、洪水に懲りて店を畳む人が増えると心配していた。彼等は昔から住んでいた訳ではないので、二度と同じ苦労はしたくないという気持ちはよく分かる。
フランチャイズ店も1階が完全に水没したようなスーパーは復旧に苦戦しており、当初ネットで宣言していた再開日程を延期している。ニトリのように商品を限定して取り敢えず店を開けたところもあるという。やむを得ず、今日も隣町のスーパーまで1週間分の食料の買い出しに出掛けた。5日前と同じく凄い人出だった。だが、馴染みの店より2-3割は高くついた。■
先の投稿で指摘した肱川上流のダムの放流と告知の方法の適否については、予想以上に問題視されその後全国ニュースでも何度か取り上げられた。ここでは批判的な声が多い中、現場で対応した消防団員の意見を聞くとリーダー格は思ったより慎重な意見だった。身内意識があるのだろうか。
ルールに従って放流したこと自体に問題はない、ダムが壊れたら市全体が水に浸る絶対に避ければならない事態になったろう。それはそうだが、状況に応じた弾力的な放流の仕方があったはずだ。その判断には専門家が指摘するように、ダムの目的が「治水」と「利水」によって微妙に異なると思う。
2日前に肱川沿いをジョギングした時、大洲市の新興商店街の洪水の原因になった氾濫をリアルタイムで見た人に会った。予讃線海回りの五郎駅の前で肱川と矢落川が合流するが、そこでダムから放流され肱川の圧倒的な水量に矢落川が押されて逆流したため堤防を越えて氾濫が起こった。大洲盆地は海抜が低く川は曲がりくねって流れ、悪いことに満潮時にダム放流され水位が上がっていたという。
堤防の一部が決壊したのではなく、見かけ上「異状に幅広い堰」を乗り越えて泥水が流れて来て大洲盆地の低地部を水浸しにした。その人は肱川の上流の若宮付近の堤防から見ていたそうだ。その時、若宮付近では階段7段分下方を濁流が流れていたという。
逆流の現場は予讃線の低い橋から上流までの100-200mが一段と低くなっており(上記の消防団員は二段線と呼んだ)、その低い堤防を越えて一気に商店街に流れ込んだらしい。私はその考えはオカシイ、JR線を守るより人の命の方が大事だろうと言った。今後見直されるだろうだと思う。
洪水になったのは主に東大洲・徳の森と呼ばれ、かつて盆地の田畑があった低地で緩やかな傾斜がある。新興商店街は旧市街地よりも低く、その中でも浸水が床下が床上か、或いは玄関までか微妙な違いがあった。家の土台の高さはまちまちで、その微妙な差で浸水したりしなかったりしたそうだ。
それは、車も同じだった。同じ駐車場に止めておいても、車高の低い乗用車は全滅している中で、トラックは無事だったと車を移動中の若者が教えてくれた。洪水の中作業を続けていたら気が付くと後に停めた消防自動車が水に浸かり使い物にならなくなったという。何てドジなと言おうとしたが、それだけ水位の上がり方が早かった、危なかったと聞いて口をつぐんだ。こうなると修理のしようがなくなるという。1台約500万円だそうだ。
大洲駅の近くの遠縁の商店は東京にいる時から無事だと電話で確認していた。2日前にジョギングを兼ねて顔を見に出掛けたが、子供の時訪問した記憶がある程度で道に迷った。駅の近くで3人の女学生に聞くと、スマホで簡単に探し出してくれ親切にも迷路みたいな道を案内してくれた。高2だそうで、私の馬鹿な冗談に一々反応してくれた。
見知らぬ人に口を利かないよう教育を受けたようで、東京府中市の子供達は挨拶をしなくなったので、彼女達の自然な対応は新鮮であり嬉しかった。商店の女主人は同い年だが若々しく元気だった。直ぐ近くまで水が迫ってきたが無事だったらしい。彼女は夫に死なれ商店を続けるか迷っていたが、今は働いてくれる若い子が見つかり当面店を続けることにしたという。
帰りに浸水を免れたというカフェを経営する若い男性と言葉を交わした。浸水しても可笑しくない立地だったが高めの土台だったのが幸いしたという。フランチャイズ店と異なり独立して商店を経営する友人たちは、洪水に懲りて店を畳む人が増えると心配していた。彼等は昔から住んでいた訳ではないので、二度と同じ苦労はしたくないという気持ちはよく分かる。
フランチャイズ店も1階が完全に水没したようなスーパーは復旧に苦戦しており、当初ネットで宣言していた再開日程を延期している。ニトリのように商品を限定して取り敢えず店を開けたところもあるという。やむを得ず、今日も隣町のスーパーまで1週間分の食料の買い出しに出掛けた。5日前と同じく凄い人出だった。だが、馴染みの店より2-3割は高くついた。■