バイデン大統領はJuneteenth(6月19日)奴隷解放記念日を連邦政府の祝日にする法案に署名した。この機会に歴史を紐解くと、1865年のこの日に南北戦争で北軍がテキサス州に進軍し奴隷解放の連邦政府命令を読み上げた、これを記念する連邦政府の祝日にしたということだ。
「おや、なんで今頃?」と思われる読者が多いと思う。実は私もそうだ。初めはJuneteenthの意味すら良く分からなかった。米国で働いた頃にこの言葉に出くわした記憶が無いのだ。だが、私が米国に赴任した1995年に異様な経験をした思い出がある。職場の一部で異様な動きがあった。
それは黒人フットボールの名選手が引退後白人の美人妻を殺害した疑いで裁判にかけられ一審で無罪になった時の事である。その日仕事中に判決が下りた瞬間現場の黒人ワーカーから歓声が上がり、一方で白人主体のオフィスは静かだったと報告が上がった。
最初一体何が起こったのか訝った私は事情を聞いて納得したが、それ以降私はその話題に一切触れなかった。触れたくなかった。米国人社員も職場では大っぴらにこの話題に触れなかった記憶がある。北西部のワシントン州だったせいと思う。だが、テレビではこのニュースで終日もちきりだった。
人種差別という言葉は日常会話ではいわば禁句だった気がする。当時は「差別」と言えば女性差別に対抗して「ウーマンリブ(女性解放)」の方がメインテーマだった。米国赴任前の教育でも例えば職場に雑誌プレイボーイを持ち込むのは絶対ダメ、訴えられると脅かされた。
同じような経験をもう一度した。それはノーベル平和賞を受賞したキング牧師(MLKマーチン・ルーサー・キング)に敬意を示す祝日1月20日が制定された。だが、州レベルでは承認されない州があり、郡や都市によっても必ずしも祝日扱いされておらず日本人には理解できない状況だった。
米国に住み仕事をする人は是非このような状況を知っておいて損はないと思う。特に色々な地域の会社や人達と連携して仕事をするような時には、ある日突然知識のないまま複雑な状況にぶつかり判断に迷うような事態にぶつかる。
経験不足の私は何事にも「曖昧作戦」だった。人種差別よりも日本人社員がセクハラした訴えに困った。人事担当から報告を聞いても、決定的な善悪判定をせずただ人事責任者をフォロウし、無責任にも流れに任せた。それ程の知識もなく間違った判断をする恐れを避けた無能な責任者で通した。■
「おや、なんで今頃?」と思われる読者が多いと思う。実は私もそうだ。初めはJuneteenthの意味すら良く分からなかった。米国で働いた頃にこの言葉に出くわした記憶が無いのだ。だが、私が米国に赴任した1995年に異様な経験をした思い出がある。職場の一部で異様な動きがあった。
それは黒人フットボールの名選手が引退後白人の美人妻を殺害した疑いで裁判にかけられ一審で無罪になった時の事である。その日仕事中に判決が下りた瞬間現場の黒人ワーカーから歓声が上がり、一方で白人主体のオフィスは静かだったと報告が上がった。
最初一体何が起こったのか訝った私は事情を聞いて納得したが、それ以降私はその話題に一切触れなかった。触れたくなかった。米国人社員も職場では大っぴらにこの話題に触れなかった記憶がある。北西部のワシントン州だったせいと思う。だが、テレビではこのニュースで終日もちきりだった。
人種差別という言葉は日常会話ではいわば禁句だった気がする。当時は「差別」と言えば女性差別に対抗して「ウーマンリブ(女性解放)」の方がメインテーマだった。米国赴任前の教育でも例えば職場に雑誌プレイボーイを持ち込むのは絶対ダメ、訴えられると脅かされた。
同じような経験をもう一度した。それはノーベル平和賞を受賞したキング牧師(MLKマーチン・ルーサー・キング)に敬意を示す祝日1月20日が制定された。だが、州レベルでは承認されない州があり、郡や都市によっても必ずしも祝日扱いされておらず日本人には理解できない状況だった。
米国に住み仕事をする人は是非このような状況を知っておいて損はないと思う。特に色々な地域の会社や人達と連携して仕事をするような時には、ある日突然知識のないまま複雑な状況にぶつかり判断に迷うような事態にぶつかる。
経験不足の私は何事にも「曖昧作戦」だった。人種差別よりも日本人社員がセクハラした訴えに困った。人事担当から報告を聞いても、決定的な善悪判定をせずただ人事責任者をフォロウし、無責任にも流れに任せた。それ程の知識もなく間違った判断をする恐れを避けた無能な責任者で通した。■