かぶれの世界(新)

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私が愛し損ねた人(3)

2024-01-21 18:45:06 | 日記・エッセイ・コラム
三番目に愛し損なった人は私を動転させた。工場をカリフォルニア州に移転させた時、現場で働く従業員と対峙し個々に対応してくれたのが人事課長の彼女だった。フランス系米国人で人事(HR)領域の経験を積んだプロのマネージャだったと思う。

日本人スタッフが引き起こした問題を、何度か彼女から報告を受けた。加州本社で開催した会議の席上で、私の頼りにしていた日本人スタッフが、女性営業マネージャを泣くまで論理的に追い詰めたのはハラスメントだと訴えられたという。私は答えに困り取り敢えず日本人スタッフに事情を聴くと答えた。しかし、それ以上のアクションをとらず沈静化を待った。

別の日本人スタッフが直ぐ近くの席に座る女性の部下に対し、メールでのみ指示し口を利かなかったので部下からハラスメントと訴えられたという。私は困ったものだと思ったが何もしなかった。又、ある時は某従業員が賃金が公平でないと州の労働委員会に訴え対応していると。報告を受けても私はどう応すればいいか分からず、話を聞くだけで何も出来なかった。

もっと大変だったのはカリフォルニアへの工場移転で、殆どの従業員は実質上の退職を迫られ、彼女はその対応に追われたことだと思う。州を越えた移転は実質上首切りと同じで、会社によっては人員整理の手段に使っていると聞いたことがある。何度も彼女に助けて貰った。

一段落着いたところで私は労をねぎらう積りで、週末に彼女を食事に誘った。土地に詳しい人の助言を受け郊外の洒落たレストランに彼女と行き昼食をとった。そこで印象に残っているのは、レストランの庭に放し飼いの鶏がいて足下をチョロチョロしたことだ。庭のテーブルで二人で笑いながら鶏肉料理を食べた。

彼女を家まで送り届け、これで終わったと思った。だが、翌日の朝廊下で幹部と生産管理状況の確認すべく立ち話をしていた時に事件が起こった。彼女が私がいるのを見つけて大声で「xxさーん」と叫び駆け寄って来て、患部連中の見ている前で私に抱きついた。私はお早うと静かに応え彼女が離れて行くのを待った。患部連中は一言も口を利かず離れて行った。

それ以降、私は何もなかったように彼女に接した。彼女も私の冷たい反応を理解したようだ。私は誰か幹部を加えて食事会に誘うべきだったと思う。正直言うと私に下心があったのかもと思い、彼女に申し訳ないと思う。

だが、そう言いながら二人の食事した。私のスケベ心が彼女を傷つけることになった。彼女はカリフォルニア州への移転が終ったところで黙って退職して行った。思い出すと胸が痛む。半年後に私も日本に帰任した。■
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私が愛し損ねた人(2)

2024-01-21 11:18:33 | 日記・エッセイ・コラム
彼女は秘書が退職した時の事務員で、臨時で秘書役をやってってくれた。ぽっちゃり型の可愛い真面目な人だった。正確に記憶していないが、ローカルメディアが地域の成績優秀な生徒を表彰する行事をシアトルで実施した時、カルフォルニア本社の営業責任者が記念品としてポータブル機器を寄付し私が会社代表として行事に参加した時のことだ。彼女は別行動で参加したようだ。

メディアの責任者の婦人が私と同席した時、彼女の言葉が印象に残っている。表彰されたのは女生徒ばかりだったのを評して、「本当に頭の好いのは男の子だが全国レベルの表彰を受け、ここに表彰されたのは一生懸命頑張る女の子が次に続く成績をとった結果の表れ」と評した。婦人の言葉は性差別的な表現でとても皮肉っぽかったが、当時私は的を得た表現だと思ったものだ。

帰りに秘書役の彼女を車に乗せた。何をしに来たのかとは聞かなかった。私は何気なく当時気に入っていたカセットテープの音楽をかけた。世間話を交わしていた彼女が突然「エイミー・グラントじゃない、彼女は有名なクリスチャン歌手よ」と言った。ヒットした曲は全然違ったが、カセットの後半分くらいは普段は聞かないクリスチャン・ミュージックぽかった。

それ以来仲良くなって気楽に話をしたが、秘書役の彼女は時折真面目なキリスト教徒の顔を見せた。直接関係ないが、私は米国に赴任して以来覚えたての表現を使って誉める積りでウェル・ラウンドと言うと、彼女が「そんな言い方は止めて、失礼よ」と怒った。

ふっくらしたいい女みたいな感じで言った積りが丸々太ったデブ女とでも受け取ったようだった。辞書を調べて言った積りだったのだが。私が得意げに下品な言葉を使った時、本社が雇ってくれた部長にも使い慣れない言葉を不注意に使うなと注意されたことがある。

ある時郊外の彼女の家に食事に招待されて訪問したことがある。再婚した夫と子供(多分、連れ子)と私で楽しく食事をした。彼女が送ってくれ途中の橋の袂で分かれた。その時彼女は「これが私の家族、これ以上はダメ」みたいなことを言い、強く長いハグを交わして分かれた。彼女は「これ以上」のことを考えていたのかと、後から考えて言葉の意味を想像した。

その後は何事もなく過ぎて行き、工場移転を機会に彼女は退職した。分かれる前に私は以前上司に貰ったビジネスの本をプレゼントすると、彼女は何もないけどと断って記念に分厚い聖書をくれた。以来、聖書は一度も読んでないが、本棚の聖書を見ると彼女の顔を思い出す。■
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