先週土曜日の朝のニュースは正に驚愕の映像が流れた。梅雨前線の大雨で熱海市東部の裏山で発生した土砂崩れが、2kmも続く土石流となり住宅地をなぎ倒し海岸まで到達して多大な被害が生じた。私が驚いたのはリアルタイムで土石流が住宅をなぎ倒していく映像だ。昔は被災状況だけだった。
初めて見た生の動画だった。近年は事件が起こるとその場で誰かがスマホで撮影しネットで流され、テレビニュースになって全世界どこでも見られる。自然現象だけでなく、今年初めの米国大統領選結果に反発するトランプ元大統領支持の暴徒が米議会に乱入した映像は全世界に流れた。
その生々しい映像は、50年以上前に会社勤めを始め職場旅行で何度か行った熱海を思い出させてくれた。その頃は海岸沿いの温泉街が大人気で、熱海の他にも伊東・熱川・下田にも行った。当時の熱海は山裾に住宅や別荘は多くなく、特に東側の伊豆山あたりの住宅地の記憶も余りない。
職場旅行や宴会は毎年順番が回ってくる若手が場所・旅館・宴会選びを担当した。仕事上取引先が一緒することもあり、予算に余裕があると温泉芸者と同席する稀有な機会もあった。私のような田舎者にとっては先輩に教わり戸惑いながらも良い経験が出来た。多分、今はもうないだろう。
一昨年家族と一緒に河津桜観光に行った時通り過ぎた熱海は、かつての華やかだった温泉街に比べやや寂れた印象があった。だが、昨年からのコロナ対策でDX等の働き方改革の一環として熱海の人気が戻って来たと聞いて、何故かホッとするものがあった。
もう一つ鮮明に思い出したのが、45年前頃のことだ。四国愛媛県大洲市にある実家が土砂崩れの被害にあった。父が死に数年後だったと思うが、母と祖母の二人暮らしの実家に裏山の北東部斜面の土砂崩れが直撃した。仕事中に会社に連絡が入り、翌日羽田から松山に飛び実家に戻った。
実家に戻ると集落の人達が集合してくれ片付けしてくれたいた。母屋の真横の頑丈な造りの倉が土砂を受け止めて二つに分流し、西側に分かれた土砂が母屋の台所を削り取った。奇跡的に母屋の残りが無事だった。土砂の東側は倉横の側溝に流れて行った。台所の冷蔵庫等は庭に流されたというが、私が戻った時は調理道具などが仮置きされ壁はトタンで覆われていた。
幸運だったのは土砂崩れは早朝起こったので、母と祖母は夫々1階と2階の中央の部屋で寝ており怪我をしなかった。だが、母によるとこれ以降祖母の体調が急速に弱まった。私は驚き唖然として何も出来ず、助けてくれた集落の人達にキチンとお礼を言えたのかも記憶がない。
多分、私は数日間母や祖母と一緒に過ごし何も出来ず東京に帰って行った。東京に戻ると直ぐに実家の母と祖母の苦労を忘れ、仕事に熱中し部下を叱り飛ばしたのではないだろうか(仕事だけは何をすべきか分かっていた)。熱海の土石流は本当に情けない若い頃の私を思い出させてくれた。■
初めて見た生の動画だった。近年は事件が起こるとその場で誰かがスマホで撮影しネットで流され、テレビニュースになって全世界どこでも見られる。自然現象だけでなく、今年初めの米国大統領選結果に反発するトランプ元大統領支持の暴徒が米議会に乱入した映像は全世界に流れた。
その生々しい映像は、50年以上前に会社勤めを始め職場旅行で何度か行った熱海を思い出させてくれた。その頃は海岸沿いの温泉街が大人気で、熱海の他にも伊東・熱川・下田にも行った。当時の熱海は山裾に住宅や別荘は多くなく、特に東側の伊豆山あたりの住宅地の記憶も余りない。
職場旅行や宴会は毎年順番が回ってくる若手が場所・旅館・宴会選びを担当した。仕事上取引先が一緒することもあり、予算に余裕があると温泉芸者と同席する稀有な機会もあった。私のような田舎者にとっては先輩に教わり戸惑いながらも良い経験が出来た。多分、今はもうないだろう。
一昨年家族と一緒に河津桜観光に行った時通り過ぎた熱海は、かつての華やかだった温泉街に比べやや寂れた印象があった。だが、昨年からのコロナ対策でDX等の働き方改革の一環として熱海の人気が戻って来たと聞いて、何故かホッとするものがあった。
もう一つ鮮明に思い出したのが、45年前頃のことだ。四国愛媛県大洲市にある実家が土砂崩れの被害にあった。父が死に数年後だったと思うが、母と祖母の二人暮らしの実家に裏山の北東部斜面の土砂崩れが直撃した。仕事中に会社に連絡が入り、翌日羽田から松山に飛び実家に戻った。
実家に戻ると集落の人達が集合してくれ片付けしてくれたいた。母屋の真横の頑丈な造りの倉が土砂を受け止めて二つに分流し、西側に分かれた土砂が母屋の台所を削り取った。奇跡的に母屋の残りが無事だった。土砂の東側は倉横の側溝に流れて行った。台所の冷蔵庫等は庭に流されたというが、私が戻った時は調理道具などが仮置きされ壁はトタンで覆われていた。
幸運だったのは土砂崩れは早朝起こったので、母と祖母は夫々1階と2階の中央の部屋で寝ており怪我をしなかった。だが、母によるとこれ以降祖母の体調が急速に弱まった。私は驚き唖然として何も出来ず、助けてくれた集落の人達にキチンとお礼を言えたのかも記憶がない。
多分、私は数日間母や祖母と一緒に過ごし何も出来ず東京に帰って行った。東京に戻ると直ぐに実家の母と祖母の苦労を忘れ、仕事に熱中し部下を叱り飛ばしたのではないだろうか(仕事だけは何をすべきか分かっていた)。熱海の土石流は本当に情けない若い頃の私を思い出させてくれた。■
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます