下世話ネタを一つ。妻殺しの疑いで裁判を受け無罪になったOJシンプソン氏が出版予定だった「もし私がやっていたら」という題名の本の出版を中止したと今朝方報じられていた。元妻の家族を傷つける内容だとして一斉に非難を受け急遽中止したそうだ。
シンプソン氏の裁判の陪審員評決が出る日、私は米国のオフィスにいたのを思い出した。元スーパースターの黒人夫と白人妻の組み合わせと、殺人現場から逃げる夫の車をメディアのヘリコプターが追いかけるという展開にスキャンダル好きの全米で注目の的となった。
当時のメディアの過熱報道はあきれるばかりだった。社員は朝からそわそわし、ラジオを聴きながら仕事をしているものが沢山いた。評決が出ると直ぐに秘書が部屋に飛び込んで来て、こんなこと信じられないと言いながら私に教えてくれた。
評決に対する感想が人種間でこれほど割れたのを私は見たことがない。白人は誰の目にも明らかな証拠があるのに無罪になるのは信じられない、黒人はOJが人種差別を受けた、無罪が当然だといった。職場でもテレビに流れるインタビューでも反応は同じだった。
その後陪審員裁判制度の欠陥という議論もあったがそれほど大きい声にはならなかったし、これといった人種間のトラブルも起こらなかった。それだけ陪審員裁判制度が定着しているということか、制度に対する疑問の声は大きくなかったのは私には不思議だった。
この時、当地の人達は誰もがシンプソン氏のことを“OJ”としか言わなかった。初めてイニシャルで名前を呼ぶことが結構多いのに気がついた。特に名前でも姓でも“J”のイニシャルがあるとこのパターンでニックネームが決まる。言いやすいからなのだろうか。
OJ、CJ、JC、RJ、J-lo、JJ、JFK、MJ、・・・ しかし、Jがあっても必ずしも省略して言われるとは限らない。ジョン・ウェインがJWと呼ばれるのを聞いたことがない。何かルールのようなものがあるのだろうか。まあ、どうでもいいけど。■
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