かぶれの世界(新)

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真夏の助平ジーサン

2019-09-06 22:09:23 | 日記
自分では普通だと思うが、周りは私を助平だという。確かに私は老若男女誰彼かまわず声をかける。日本人でも外国人でも、役人だろうと清掃員だろうと気にしない。だが、周りの人は私が女性に声をかけた時だけ取り上げて「助平ジーサン」と揶揄する。

だが、私にも言い訳がある。田舎で毎日散歩すればほぼ同じ顔ぶれ人達に会う。そのうち殆どは女性だ。結果として女性、しかも若めの女性(?)に声をかけることが多いかも知れない。古希を過ぎた私には大抵の女性は若めなのだ。彼女達の半分近くは犬を散歩させてる。

普通は気候の挨拶をする、全年齢共通の話題だ。特に年寄りにとって夏の暑さは重要なテーマだ。最近よく見かける小型犬を可愛いと褒めると例外なく彼女達の顔はほころび礼を言う。東京郊外の場合は子連れの母親も多く、犬と同じように赤ちゃんを褒めると会話が弾む。

ボランティア活動中の女性に声をかけ労をねぎらう。例えば都会なら道のゴミ拾い、田舎なら路傍の草刈りをする人達だ。体育館の掃除員でも同じだ。これらの人達は例外なく女性だ。馴染みのカフェの前を通る観光客や四国遍路の外人女性巡礼にも歓迎の意を込めて声をかける。

若い時はそうではなかった。何故こういう習慣がついたのか考えてみた。米国暮らしの間に身に付いたのかもしれない。カリフォルニアの工場で働いた時、深夜にヒスパニック系の女性清掃員を見つけ挨拶するとか。それが習慣になって知らない人でも声をかけるようになったと思う。

勿論、若い女性に声をかけ親しく会話出来たら最高だ。以前投稿したように銀座のど真ん中で無条件にハグするなんて夢みたいなことも起きる。なのに恥ずかしがってしり込みする人ばかりだった。ということで今年の夏も田舎の助平ジーサンは健在だった。■

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