東京に戻って3日たった。その間に家内の車を点検に出し、定期健診で歯医者に行った。長年使った義歯が外れ虫歯が2本あった。今週は掛かり付け医に行き降圧剤を処方して貰う予定だ。私の体も車もそうだが、維持管理をキチンとしないと母の介護どころではなくなる。
東京に戻る前日、やり残した事を一気にやった。お手伝いをしてくれるヘルパーと病院で落ち合い母に会わせ、買い足しするオムツの種類や病院の洗濯機と干し場を確認し、看護婦さんに紹介した。2週間全て自分でやったので、いつもより勘が働き妙に自信を持って頼めた。介護保険の対象にならないので、全額自費になるが止むを得ない。
実家の居間に残されていた書類や郵便物を調べると、従来なら母が処理していた農業関係や税金・保険・支払いなどが処理されてない事に気がついた。農協に行き稲作維持管理の窓口や、水利権に関る支払い等連絡先の確認をした。又、複数地主が所有する山林を、一括で間伐する計画に参加し費用負担する意思を森林組合に伝えた。次に田舎に戻った時、書類処理すると。
その後、ゆうちょ銀行と農協、地元の銀行で残高等を確認し今後発生する支払いに備えた。どちらも金融に関る人達が全て転勤し、見覚えのない顔ぶれになっていたのにはいささか驚いた。不祥事対策の一環で、普通の金融機関並みに移動させるようにしたようだ。ゆうちょは民営化直後の硬直した窓口処理が現実に即したものに変わっていた。
それが終ると急ぎ実家に戻り、レンタルで借りていた介護ベッドや歩行器の撤去に立ち会った。その後掃除機をかけて部屋を整理した。がらんとした母の部屋が一瞬現実じゃない気がした。ベッドの足が残した畳の凹みを見るとグッと来た。次いで他の部屋を見て周り戸締りをチェックした。
風呂場の手すりやシャワーチェアは1ヶ月前に取り付けたばかりだ。昨年義母が施設に入居した時、家内の実家の風呂場の手すりを利用したのは2ヶ月と聞き、そんなことになるかもしれないと内心覚悟して今夏取り付けた。使い手のなくなった手すりやシャワーチェアが物悲しい。
母の嫁入り道具の古い鏡台の横にある円形の小さなゴミ箱の中にレシートを見つけた。ヘルパーが行くはずのない個人スーパーのレシートが数枚あった。私はピンと来た。入院直前の日付のもので、たがが外れたように猛烈な勢いで菓子類を買っている。全部自分で食ったはずだ。
10月2日(金)11:01 製菓98円、黒糖ミルク168円、アイスクリーム2x120円、菓子70円、菓子100円、菓子パン2x95円、雑貨658円、計1524円
10月3日(土)11:34 製菓98円、アイスクリーム2x120円、菓子320円、菓子パン116円、一般食品180円、計954円
10月6日(火)10:47 製菓98円、製菓198円、アイスクリーム2x120円、菓子パン2x95円、菓子パン160円、一般食品388円、計1274円
10月9日(金)11:25 製菓128円、アイスクリーム3x120円、菓子パン160円、計968円
「もうどうでもいい、食べたいものを好きなだけ食べる」という、昨年春入院した時の母の姿を思い出した。トイレは黒かびだらけで、家中小便臭かった。退院後私がやかましくいい、日に2度はヘルパーが見守りをしても、1年の我慢が精一杯だった。今から考えれば、この夏には母の我慢は限界を超えていたようだ。
あの時家族が皆揃っていた。だが我慢できず大きいスイカ半切れを全部食べた時、私はそこまで気付かなかった。気がつけば、脳梗塞を少しは遅らせたかもしれない。母の信じられないような食欲にはもう驚かないが、このレシートには参った。ここまで追い込んでしまった。
親に対して不遜かもしれないが「憐れ」を感じた。あれほど自分に厳しく節制し、馬車馬のように働き、且つ聡明だった、「鉄の女」とも思えた母だったのに。救いは脳梗塞で右半身が若干不自由で、肺炎で熱があろうとも、この奇跡の食欲だけは健在でまだ生きる意欲ある徴のように感じることだ。■
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