8月になり広島・長崎の被爆から終戦記念日まで第二次世界戦争の記憶を振り返る2週間が終った。今年はロシア軍のウクライナ侵攻が加わり、改めて戦争の悲惨さを強く印象付けるものになったと思う。だが、成人する前から昭和史に深くのめり込んだ私には毎年引っかかるものがある。
戦争被害者は加害者でもある
天邪鬼の私には、戦争の被害をこれでもかと強調するマスコミ報道が気になる。報じられた悲惨な経験をした人達の声は、強弱はあっても多分その通りだと思う。しかし、例えば被爆者や沖縄の戦場で悲惨な経験をした人達も、先祖や関係する人達がアジア等で何倍もの人を殺したと一言も言わない。自分たちの被害のみを強調する(少なくとも報道では)のがとても気になる。
昔から戦争は交戦国やその周りの国を巻き込んで殺し合いをした。日本も例外ではなかった。多くの場合、沢山殺して戦争に勝った方がその後の歴史を書き換え正当性を主張する。ウクライナ戦争以前でもロシアが戦争を仕掛けて勝ち、欧米諸国もロシアが強国である故に適切な手段をれなかった。今回、ウクライナが立ち上がり抵抗し欧米諸国が支援したのは、私にはレアケースだと思う。
ウクライナを支援する理由
一般論として戦争反対という気持ちは良く分かるが、ウクライナの国民が立ち上がり血を流して国を守る姿を見て私は戦争反対と言えない。ここで戦争を止めると結果的にロシアはウクライナ国土の20-30パ―セントを手に入れ、血を流したウクライナ国民には破壊された国土が残るだけになる。それでは「強い国のやったもん勝ち」の世界だと証明するようなものだ。
そういう立場に立たされた時、日本国民は立ち上がり血を流して戦うことが果たして出来るだろうか。ウクライナは自分で身を守る断固たる姿勢を見せたからこそ、世界の支援を受けることが出来た。一方、現在の日本は長く被害者の声「だけ」を重点的に報じるマスコミの姿勢が他国に守って貰えばいいという「都合の良い発想」、いわゆる被害者史観、を生んだように感じる。
理想主義と現実主義者が同じ結論
現実を見つめ理想とは違っても、理由が何であれ今すぐ血を流すのは止めようという考えもある。戦争反対(No More War)の声は結果的には上記と同じで、強者が利益を得る場合が多いと私は感じる。強国はその信奉者で他国を圧する軍事強国になる為に予算を組んで実行して来た。圧倒的な軍事力が前提で外交交渉を進めた。原爆があるロシアに強く対応できない。
誰が彼等を止められるか、オバマ時代に米国は世界の警察官を止め、中ロの暴走を止める手段が限られた。現実主義者はこの状況を理解し、理想主義者と同じ結論に達して戦争反対を唱えていると私は感じる。理想主義と現実主義がごちゃ混ぜになって戦争反対を唱えるが、私には説得力を感じず不可避だと思う。どちらでも他人まかせで自ら立ち上がって国を守ろうとする迫力がない。
善悪同時発生時の判断を誤るな
先日の朝日新聞のコラム記事は明治の日ロ戦争を戦った日本は、自らの力(現実)を見誤り昭和になって米国と戦う道を選び失敗したと指摘していた。私から見ると普段の朝日新聞の姿勢に似合わず、民主主義でではなく力の理論をベースにした現実主義的評論だったと思う。だが、正しいと思う。私には先進的と見做されるメディアにもこの手の混乱をよく見かける。
今やウクライナ支援一色の世界だが、欧州諸国はロシア侵攻の前はEU加盟に極めて慎重だった。ウクライナが汚職だらけの国だった現実を今は誰も言わない。世界は汚職天国か強国の論理のどっちが大事か判断した結果のウクライナ支持であり、その大局判断に間違いないと私は感じる。日本のメディアや民意にこの大局判断が時に間違っていると感じる。
同情すべき被害が大きいほど判断を誤る恐れがある。特に被害者史観が道を誤らせると思う。善悪同時発生時の判断をよく考えあるべき姿を追及すべきと思う。■
戦争被害者は加害者でもある
天邪鬼の私には、戦争の被害をこれでもかと強調するマスコミ報道が気になる。報じられた悲惨な経験をした人達の声は、強弱はあっても多分その通りだと思う。しかし、例えば被爆者や沖縄の戦場で悲惨な経験をした人達も、先祖や関係する人達がアジア等で何倍もの人を殺したと一言も言わない。自分たちの被害のみを強調する(少なくとも報道では)のがとても気になる。
昔から戦争は交戦国やその周りの国を巻き込んで殺し合いをした。日本も例外ではなかった。多くの場合、沢山殺して戦争に勝った方がその後の歴史を書き換え正当性を主張する。ウクライナ戦争以前でもロシアが戦争を仕掛けて勝ち、欧米諸国もロシアが強国である故に適切な手段をれなかった。今回、ウクライナが立ち上がり抵抗し欧米諸国が支援したのは、私にはレアケースだと思う。
ウクライナを支援する理由
一般論として戦争反対という気持ちは良く分かるが、ウクライナの国民が立ち上がり血を流して国を守る姿を見て私は戦争反対と言えない。ここで戦争を止めると結果的にロシアはウクライナ国土の20-30パ―セントを手に入れ、血を流したウクライナ国民には破壊された国土が残るだけになる。それでは「強い国のやったもん勝ち」の世界だと証明するようなものだ。
そういう立場に立たされた時、日本国民は立ち上がり血を流して戦うことが果たして出来るだろうか。ウクライナは自分で身を守る断固たる姿勢を見せたからこそ、世界の支援を受けることが出来た。一方、現在の日本は長く被害者の声「だけ」を重点的に報じるマスコミの姿勢が他国に守って貰えばいいという「都合の良い発想」、いわゆる被害者史観、を生んだように感じる。
理想主義と現実主義者が同じ結論
現実を見つめ理想とは違っても、理由が何であれ今すぐ血を流すのは止めようという考えもある。戦争反対(No More War)の声は結果的には上記と同じで、強者が利益を得る場合が多いと私は感じる。強国はその信奉者で他国を圧する軍事強国になる為に予算を組んで実行して来た。圧倒的な軍事力が前提で外交交渉を進めた。原爆があるロシアに強く対応できない。
誰が彼等を止められるか、オバマ時代に米国は世界の警察官を止め、中ロの暴走を止める手段が限られた。現実主義者はこの状況を理解し、理想主義者と同じ結論に達して戦争反対を唱えていると私は感じる。理想主義と現実主義がごちゃ混ぜになって戦争反対を唱えるが、私には説得力を感じず不可避だと思う。どちらでも他人まかせで自ら立ち上がって国を守ろうとする迫力がない。
善悪同時発生時の判断を誤るな
先日の朝日新聞のコラム記事は明治の日ロ戦争を戦った日本は、自らの力(現実)を見誤り昭和になって米国と戦う道を選び失敗したと指摘していた。私から見ると普段の朝日新聞の姿勢に似合わず、民主主義でではなく力の理論をベースにした現実主義的評論だったと思う。だが、正しいと思う。私には先進的と見做されるメディアにもこの手の混乱をよく見かける。
今やウクライナ支援一色の世界だが、欧州諸国はロシア侵攻の前はEU加盟に極めて慎重だった。ウクライナが汚職だらけの国だった現実を今は誰も言わない。世界は汚職天国か強国の論理のどっちが大事か判断した結果のウクライナ支持であり、その大局判断に間違いないと私は感じる。日本のメディアや民意にこの大局判断が時に間違っていると感じる。
同情すべき被害が大きいほど判断を誤る恐れがある。特に被害者史観が道を誤らせると思う。善悪同時発生時の判断をよく考えあるべき姿を追及すべきと思う。■
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