かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感06冬-エピソード

2007-02-19 22:21:29 | 日記・エッセイ・コラム

京して3週間近くなるのにまだ田舎生活の影を引きずっている。母の為のウォーキングマシンを持ち上げた時傷めた腰がまだ完全に良くならない。帰京後バドミントン交流会に参加しても症状が悪化せず安心したが、その後安静にしていても一向に良くならない。

よく分からないのは、朝起きた時が一番腰の具合が悪く、1日3-5時間程度椅子に座りパソコンに向かうのに腰の調子は寧ろ良くなる。家内が厚めの敷布を買ってくれ若干改善したが、朝起きたときの痛みは変わらない。ネットで調べてみたが良く分からない。

先週から就寝前にストレッチをやってみた。前屈以外は何処も痛くならない。3日位続け悪化しないのを確認してジムに行き、何時もの有酸素・無酸素運動(主にバイクとウェイト)をやってみた。狙った筋肉のみに負荷がかかるウェイトトレーニングをやるとレッグプレスのみ痛みを感じた。

傷めたのは大臀筋かその周り筋肉のようだ。その他の筋力は低下していたが特に痛みは感じなかった。ぎっくり腰といえば脊椎(腰椎)とか椎間板の異常だと思っていたがそうではなかった。腰痛になった場合、早く痛みの区別をつけそれにあった治療をせよという専門家の言葉を遅まきながら思い出した。

居合わせた馴染みの「ジム友」によるとぎっくり腰に似た症状の場合、骨とは限らず寧ろ腰や腿の筋肉とか靭帯が傷んでいる場合も多いらしい。筋肉を傷めたとなると、一昨年内転筋を傷めた時医者に自然治癒と言われた事を思い出す。

痛めた内転筋は未だにその部分の筋力が半分しか戻っていないことが心配だった。今日は3回目でレッグプレスに挑戦、負荷をかけてみたらやや違和感があるものの通常の7割程度の負荷でも平気だった。意外と早く回復に向っているのを実感してほっとした。

もう一つ腰痛には全く関係が無いが面白いことが分かった。田舎で2ヶ月間休み再開したエクササイズの最初の2回は運動前の血圧測定で脈拍が7877と高かったが、3回目の今日は通常値の62に戻っていた。同時にエアロバイクを使った心肺機能測定も戻っていた。

の入院がもう一つの心配事だ。バドミントン交流会の後母が入院したと田舎の市立病院の看護婦さんから連絡があった。翌日母に電話して話を聞くと、吐き気がするので毎日点滴を受けているホームドクターに見てもらい紹介を受けてそのまま入院することになったという。

誰も面倒を見てくれる人がおらず心細いと母の弱々しい声が返ってきた。糖尿病が悪化してついにインシュリンを打たなければいけなくなったことにショックを受けているようだった。私は先月まで母と一緒に住んでいた、ホームドクターが誰で元々入院する予定だったことなどを担当の先生に説明した。

先生は先ずは検査してということでそれまでは様子見ということで具体的なことは聞けなかった。以前から相談に乗って頂いている地区の介護センターに連絡すると、入院中は支援できない決まりになっている、その間は家政婦を紹介するから雇ったらどうと勧められた。

それではと再度病院に電話して看護師(今度は男性だった、今は珍しいことではないらしい)さんに聞くと家政婦を雇うほどの症状ではない、そうなったら電話すると説明を受け、介護センターには状況を説明して一旦様子を見ると連絡した。正直、右往左往という感じだ。

土曜日に再度病院に電話すると、看護婦さんは「母が部屋にいない。多分病院内で散歩か買い物をしているのだろう。食事は残らず食べるようになったし、ベッドにいないということはそれだけ体調が良くなったと考えてよい。」と言ってくれた。それを聞いてほっとした、暫らく様子見にする。全てはあなた任せ、どうしようもない。米国にいるとき決断先送りするとき良く使った言葉“Wait and see.”を突然思い出した。■

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私的・品質問題失敗記

2007-02-15 13:35:40 | 社会・経済

二家の消費期限切れ食品表示問題発生後1ヶ月になろうとしているのに未だに営業再開のめどが立ってないと報じられている。最近では当初の同族経営など会社運営の問題から、売り物が無いフランチャイズ店の苦境にメディアのフォーカスが移っている。

会社が直ちに営業再開に向えないのは余程の理由があるに違いない。既に自力再建を諦め山崎製パンの支援が決まったと報じられているが、拙速な営業再開より徹底した経営刷新などの意図があるのかもしれない。しかし、これだけ営業が止まれば下手をすると野垂れ死にする。

実は私にも事業を潰してしまうほどの危機に直面したことがある。それは米国に駐在し世界市場で販売する商品の開発生産部門を預かった時のことだった。新製品の販売が好調で最先端システムを導入し生産キャパシティを拡張、販売チャネルの信頼が高まり始めた頃、突然商品の品質問題が起こった。

客先から故障で修理の為の商品戻入と新品交換が急増した。品質管理部門が調査すると修理した商品が再度故障し顧客の信頼を失う最悪のパターンに入っていた。迅速な顧客対応の為修理は保守部門で行っていたが、修理済みの商品が顧客との間を往復する悪循環に入っていた。

事態が大問題であると表面化して初めて商品を工場に戻し、生産技術者が詳細をチェックして設計に起因する根本問題があることが分かった。最初にその商品を出荷し問題が出始めてから何ヶ月も経過しており大量の商品が全米の顧客の手に渡っていた。

この事故は私の担当するオペレーション下で起こったことであり、責任追及される立場になった。サービス担当副社長が、事前に私に警告の連絡をしたのに適切なアクションをとらなかったと指摘したからだ。彼は半年くらい前にある大メーカーからヘッドハントされて着任し東海岸のオフィスにいたので、彼とは23度話したことがあるだけだった。

彼から電話はある商品の故障が多く対応を要請するものだった。私は工場の品質管理部門にすぐ調査を命じたが、その当時フィールドから上がってきた品質情報に異常の兆候は無く、工場内の生産も安定しており何の問題も感じ取れなかった。副社長に詳細情報をよこすよう頼んだがナシのツブテだった。

の失敗は情報が無いことを理由に放置したことだった。多分それから2-3ヶ月位経過した頃だったと思う、怒った顧客が追加オーダーをキャンセルし、返品を求める声が吹き出て大騒ぎとなった。新品に取り替えるので、故障した商品が全米のデポに積み上がり不良棚卸が急増した。

その間、保守部門は自前で修理し工場や技術部門へのフィードバックが殆ど無いという構造に気が付かなかった。何度も修理を繰り返す保守部門の問題という意識が現場にあったかもしれない。担当するしないに係わらず顧客の立場に立って私自身が全プロセスを睨み異常を見つける姿勢に欠けていた。

全米の関係部門トップが参加した電話会議で、社長に問われ初期の段階で問題の潜在的深刻さを見誤ったことを私は認めざるを得なかった。米国各地に分散していた開発・生産・販売・保守部門と日本の技術部門も含めこの後全員が問題を共有化して徐々にいい方向に進み始めた。

開発に遡って原因究明し、顧客への告知、リコールのプロセス、修理のロジスティックス、出荷と修理の資材調整など時間はかかったものも、意識が統一されるとほぼ全社が係わるプロセスは気が遠くなるほど大変だったがやることははっきりしており問題解決は着実に進んだ。

私の例は不二家とは違うし、パロマとかリンナイとも同じではないが共通するものがある。私は最初に情報を受けた時の感度が悪く、その後の執拗さも不足していた。電話を受けた後現場の情報と一致しなかった時、この副社長は普段からその場限りのスタンドプレーが多いという私の先入観が働いた。日本人同士なら違ったかもしれないし、保守部門の品質情報共有の問題もあった。それも承知した上で適切な運営ができなかった私には結果責任がある。■

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Dixie Chicks凱旋!

2007-02-12 22:02:55 | 音楽

イラク戦争開戦後、英国公演でブッシュ大統領を非難してナッシュビルから締め出された人気カントリー・グループDixie Chicksがグラミー賞の最優秀アルバム賞、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞の主要3部門を独占、ノミネートされた5部門すべて受賞したとのニュースが入ってきた。

締め出された為か直前にリリースした野心作「Home」の売り上げは600万枚程度に落ち込み、ベストセラーになった前2作の半減以下になった。昨年新規まき直しで出したアルバム「Taking The Long Way」はもうカントリーじゃないといって売り出した。状況は一変していた。イラク戦争が泥沼に入り厭戦気分が広がっていた為か、出足は好調と昨年6月このブログで紹介した。

http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20060601

日曜日、ロスアンジェルスでアルバム中の曲「Not Ready to Make Nice」が2006年ナンバーワンという栄誉を得ることになった。この題名は「あの時の酷い扱いはまだ忘れてないぞ」みたいな感じで、明らかにボイコットされた痛みがもろに感じられる。皮肉なことにカントリーじゃないといった曲がベスト・カントリー・歌唱賞とアルバム賞もとった。

これはナッシュビルへの当て付けと見るべきかどうか、私は音楽界通ではないので分からない。西海岸の映画音楽界は民主党支持の反戦主義が主流だから、格別の抵抗も無く選定されたのではないか、そういう意志が働いたのではと私は思う。いずれにせよ、一ファンとしてとても嬉しい。■

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ジェネレーションXが大嫌いです

2007-02-11 23:55:12 | 社会・経済

昨夜NHKの討論番組「団塊・大量退職へ」の最後の1時間くらいを見て凄く嫌な気分になった。題名から内容が予想され見たくなかったのだが、チャンネルを切り替えたとき見た熱い議論についつい引き込まれ最後まで見てしまった。正に世代間戦争が勃発した感じだった。

短い時間を見ただけの印象では、団塊の世代が崔監督、その前の世代が堺屋氏、後の世代が金子教授で、彼等の発言は夫々の世代を代表する典型的な発言をしていたように感じた。団塊の世代は良くも悪くもその前の世代が敷いたレールを馬車馬の如く走ったというのは私の人生の実感でもあった。

堺屋氏が今まで起こったことは現実として受け止めて、これから起こりそうなことに対して夫々の世代が協力して建設的かつ現実的にやっていこうと、具体的で実行可能と思われる提案をした。至極尤もで、団塊の世代はこうやって目標を与えられ、ずっとやってきたという印象だ。

一方、金子教授は団塊の世代がバブルを起し日本をめちゃめちゃにした、退職後余計なことをしてくれるな、ちゃんと償ってから死んでくれみたいな発言に聞こえた。具体的な提案もしたが堂々巡りで収束させようという意思が感じられず、途中で団塊世代の酷さを追及・挑発し、会場の団塊世代が熱くなって何度かつかみ合い寸前になった。

団塊の世代の一員から見ると、金子教授の発言は「好い所を突いている場合もあるのだけれど、相手を非難するばかりで自分は何もしない。能書きを言いながら前の世代が築いた富で食っているだけで自ら何も作り出さないオタク」という感じを受ける。

番組が終っての後知恵だが、私の印象は彼等の世代が「新人類」といわれ、若い頃世の中から信じられていなかった後遺症が双方に残っているからではないだろうかと、ふと思った。実は米国の団塊の世代(ベビーブーマー)の後の世代が「ジェネレーションX」と言われ、その特徴が新人類世代の説明になっていると思った。

彼らは新人類とほぼ重なる時代に生まれ、その特徴として過剰教育を受け伝統を信じず未来に希望を持てないでニヒリズムに陥った、パンクやヘビメタ文化で育った世代だという。生まれた時代に対して責任は追及できないが、私はどうもこの世代に非難されるのが嫌だ。

気分としては、「よく言うよ、お前には言われたくないよ。」という感じだ。戦中派へのコンプレックスの裏返しかもしれない。冷静になると金子教授の指摘は尤もなことが多いのだが、彼らがいうと素直な気持ちになれない、同時に、「だったら、四の五の言わないでお前がやれよ」といいたくなる。これ、僻みかな。■

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安倍内閣はそう悪くない

2007-02-10 22:40:28 | 国際・政治

復党問題でケチがつき任命した大臣や委員長の不祥事・スキャンダルで安倍内閣の支持率低下が続いている。しかし、支持率低下は政策とか彼自身の問題に起因しているのではない。唯一安倍首相が直接係わりその判断に国民が反対したのは復党問題だが、これも政策とはいえない。

よく引き合いに出される小泉前首相の構造改革の肝は、政策決定プロセスを根底から変えたことだった。官僚と族議員が牛耳った密室での既得権益の調整機能を果たす部分最適な政策決定が、オープンな議論で全体最適な政策決定プロセスに変えた。

この政策決定プロセスは族議員と官僚にとって権力の源泉でありその反発は大きく、国民の圧倒的支持を受けた前首相といえども重点テーマに絞らざるを得なかった。ニュースにならないが安倍内閣はこの政策決定プロセスを引き継ぎ粛々と進めていることを私は注目したい。

十分に機能していないとマスコミ受けせず余り評判の良くない官邸機能だが、安倍内閣発足後スタートした新スタッフによる政策決定プロセスは決して後戻りしていない。むしろ経済運営の領域では派手さはないが良い循環に入りつつあるように見える。

それは官邸主導の民間専門家から構成される特別委員会に対して官僚がかなり必死に対案政策取りまとめに動いているように見えるからだ。確かに族議員を使ったりスキャンダルを暴露するなど昔ながらの抵抗も散見されるが、一方で政策には政策でオープンに対抗する「正統」な動きが見られる。

これを従来からの官僚の反逆と見る必要はない、それは議論がオープンになっており双方とも公平な評価を受けるので、結果として政策競争関係になっているからだ。組織の縄張りと老後の生活に熱心で路頭に迷っていた官僚組織が正常化する可能性が出てきた。彼らが本来の機能を発揮し始めた時のパワーは測り知れないという期待がある。

阿部内閣の旗は憲法改正だし、首相は改革の継続以上のことは余り言わない。マスコミ受けする派手さもない。しかし、正にこれは田中直毅氏が命名した「2005年体制」の定着であり、それだけでも阿部内閣は良い仕事をしていると私は評価する。大体代わりが無いじゃないか。 

柳沢厚相の失言追及で野党は国会審議拒否をしたのは失望した。特に社民党等と同じ硬直的な対応をした民主党が政権政党の受け皿にならないと自ら証明したように見える。政権交代の芽を自ら潰したことに気がついているだろうか。安倍内閣はそう悪くない。■

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