かぶれの世界(新)

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再び、天邪鬼「格差社会」考

2007-02-23 21:48:51 | インポート

倍内閣はここに来て当初の成長戦略から格差問題に基本政策の軸足を移したようだ。参院選を控え支持率が危険水域に低下し自信が揺らぎ、野党の攻勢に浮き足立ってメディア受けのいい格差問題をテーマに生煮えとも思われる対策を矢継ぎ早に出し始めた。

野党もメディアも格差を最大の悪として政府攻撃の材料とするのは、私はちょっと違うんじゃないのか、同じ格差問題でももっと他の角度からの切り口があるだろうと思う。結果論的な問題のみ指摘する動きは、小泉以前に戻そうとする動きに他ならないと私は憂慮する。

格差問題は既得権益支援に向う

ニュースショウが取り上げる貧困層の支援だけに焦点を当てた政策に格差問題が矮小化されると、そもそもこういう状況を作り出した根本原因・仕組みと責任を曖昧にし、温存させる。格差問題の裏でこれを機会に既得権益を守り、新たな権益すら生まれる可能性がある。

例えば地方格差を取り上げると、何故夕張市が再建団体に陥ったか、その他の自治体を含め転落の経緯を当時係わった政治システムとその責任者たる官僚・首長・議員の名前を明確にし、再発防止の仕組みを作らなければいけない。今回彼らに係わらせていいのか、そしてそういう代表を送った住民の選択も反省してもらう必要がある。

それは小泉首相が進めた構造改革であり、国民の圧倒的な支持を受けた所以である。安倍内閣が改革続行内閣といったのは、この改革精神を引き継ぐことを宣言したと受け取られ高い支持を得た。そして、今その精神がぐらついていることが支持率低下の根底にあると理解すべきだ。

自助の精神とタカリの構造

二つ目の指摘として格差問題を公的支援にフォーカスすると、又もや公共事業や補助金を期待する「タカリの構造」が息を吹き返す恐れがある。今求められているのは苦難に耐えて互いに助け合う「自助の精神」なのである、それは昔からあった日本人の優れた精神の復活だ。

それは「助け合い精神」だったり、「お天道様が見ている」式の高い道徳心、勤労精神だった。そこに政治が介入し「公」が係わった時から精神の堕落が起こり、票目当ての政治が更に事態を悪化させ悪貨が蔓延るが如く意地汚い「たかり精神」が残った。

格差問題を下手に公が手を出すと結局「予算ばら撒き」で終る。やるなら先ずは制度的な格差、例えば年金の官民格差を是正すべきであり、本当に生活に困った人達に生きていくための最低限の生活を出来るようにしてあげることに留めるべきだ。

部分最適と全体最適

三つ目に格差問題は端的に言うと国家が栄え強くならなくても国民は幸せになれば良いのか、果たしてそういう解が存在するのかという問いかけである。歴史的には一時期そうあっても継続した例はない。経済成長を牽引した者が報酬を得ることで格差は拡大し、それが徐々に全体に広がり国が栄えるのは自然な流れである。

小泉首相が指摘したように格差が拡大したと非難するのは筋違いである。失われた十年間に浪費された国富とその後の建て直しで我国が停滞した間に、中国には世界の資本が投下され急成長、日中のGDPの差は5倍から2倍に縮小、国民の収入も急増し日本以上の格差拡大が起こった。どつぼに入って始めて民意は永田町の優先順位と異なることを明確に示した。

誤解を恐れずに言うと最低限の生活を維持していく為のコストを低下させることも強力な支援の一つである。当初まがい物を売っているように感じた100円ショップの最近の充実振りは目を見張るばかりである。品揃えも増えてコンビニから顧客が流れている。米国で暮らしたとき食料等の基礎的な生活費の安いのに驚いたが、現在はそのレベルに達したのではないだろうか。

公的な支援はその意味で医療費や介護など自助努力では解決できない領域に限るべきである。制度的な格差の修正こそ優先して取り組むべきことである。企業の労働法違反は論外だ。しかし、選挙対策としか見えないような支援パッケージを次々と立法化するのは、過去を反省しない愚行であり厳に慎むべきこと。その上で政府は改革の旗を高く掲げ推進すべきである。■

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