不祥事は続く
三洋電機の利益水増し疑惑に続き、東京三菱UFJ銀行の闇社会への不正融資が表面化した。ライブドアや村上ファンドで大騒ぎになった不祥事はその後も続き先日の日興コーディアルの粉飾決算では最早「行過ぎた構造改革」などという的外れの指摘は無くなった。要は昔からある不祥事が続いているということだ。今回はちょっと違った切り口から分析してみる。
民だけでなく、頻発する官製談合や自治体の破産など公も含め全体に共通するのは手続きが不透明で情報が共有されてないことだ。談合に代表されるように密室のやり取りで決定され、結果だけ知らされるか、もしくは結果すら闇に葬られることもあったし、今もあるはずだ。
不透明性は力の源泉
これだけ情報公開とか透明性が求められ、制度や法律が作られても不透明性を保とうとする力が強いのはなぜだろうか。それは不透明性が力の源泉だからだ。それは決して悪事だけではない。誰にも分かる理屈と手順で難問が粛々と解決されるより、あの人に頼めば何とかなる式の解決法は世の中に沢山あり、そのほうが有難がられことも多い。
カリスマ性とか権力はこの不透明性、別の言葉で言うと常人には理解不可能な力、が必須であり余りにも何でも透明だと都合が悪くなる場合も多い。「なあんだ、こんなことだったのかよ。」なんて思われたらまずいのだ。勿論外交など交渉事の世界では自ら手の内を見せることはありえない。しかし、そこに危険が隠されている。
不透明性は何処にもある
私はビジネスの世界でこの不透明性の力を思い知ったことがある。計画した通り売り上げが立たず大量の棚卸を抱えたときの事だ。棚卸といっても発注後まだ取引先での仕掛品、完成品、輸入中、受入中、最終組立、工場倉庫、販売店倉庫など形と場所によって区分けされ、契約に従ってどちらか引き取るか決まっていた。
海外に跨るグローバル・ロジスチックスでは色々なケースを考えて契約で細かく誰が引き取り責任を持つか規定してある。その契約に従えば巨額の棚卸を引き取らざるを得ず、その後の始末が大変だった記憶がある。理屈に合わないと簡単に諦める性向が私にはあると言われたことがある。
不透明性の恩恵を受ける
ところが別のケースで、契約もクソもない棚卸を何としても計画通りに抑えろと工場に無茶苦茶な指示をして(実は経験を積んだマネージャが)その通りになったことがある。その時工場は多分取引先に別の機会に好条件で取引するとかいう類の交換条件を示し、棚卸の引取りを延期するとか他で処分させるとかしたと思われる。あるいは次の発注を餌に脅かしたのかもしれない。
経過は分からないが結果は取引先が了解して巨額な棚卸がバランスシートから消えた。私のような契約を守り手続きを透明化しろという理屈一本ではこうは行かなかったろう。他の取引とパッケージで交渉するなんて綺麗事でもなかったはずだ。実は私も意識しない場合も含めてこのような形で恩恵を受けていた。
恩恵はその場しのぎ
不透明性で象徴的に説明される行為は極めて強い圧力が生じる場合がある。三洋電機の粉飾決算がおかしいと感じていた当事者は監査役も含め少なくとも何十人もいたはずだ。しかし彼らは普段から意思決定の場で不透明な手続きに接しその過程で圧力を感じ、目を瞑る方が彼らにとっても都合が良かったと思われる。
しかしその恩恵は双方にとってその場しのぎで、何時か何倍もの高い付けを支払うことになるリスクがあることは不二家の例を見ても明らかだ。不透明性の力は圧倒的で、一旦使うと麻薬のように止められなくなるのだろう。私の助言はカリスマになった時、身勝手といわれようと周りには透明性を求め徹底させることだ。■