かぶれの世界(新)

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喉元過ぎた世界同時株安

2007-03-21 20:56:34 | 社会・経済

意外に早い回復

余り短期的な物の見方はしたくないが、先月27日上海市場株価暴落から始まった世界同時株安は早くも喉元過ぎて熱さを忘れ始めたように見える。20日の東証は日経平均17000円台を回復して引けた。「こんなに簡単に終っていいの?」という声が聞こえてくる。

個人的には今回の調整はもっと大規模で長引くと予想していた。調整というと誤解が生じる。英語のCorrection、即ち実態以上の高い評価を正しい状態に修正するという市場調整機能が働くという見方を私も予想していた。

しかし、昨夜も米国株が続伸し回復の兆しが見え、円キャリートレードが再開し円安進行、世界的な会社買収のニュースは「世界同時株高」を呼び、リスク領域への投資が戻り始めているらしい。今回の件で投資家が自信を喪失しなかったということなのだろうか。

例によってネットから入ってくる断片的な関連情報を取捨選択、なるべく脈絡を付けて尤もらしく聞こえるよう整理してみる。

同時株安の主犯

世界同時株安は上海市場がきっかけで、実態は1)サブプライムローンという信用度の低い借り手の為の住宅ローンの焦げ付き倒産と2)グリーンスパンFRB前議長の景気後退観測の発言が引き金を引いてニューヨーク証券市場が暴落したというのが定説となった。

マクロ的にはこの程度で世界中の投資家が慌てふためいたのは世界的な金余りの為、実力以上の高い評価を受け生じたバブル又は泡(フロスト)が素地としてあった為だ。

ミクロ的にはサブプライムローンの焦げ付きは住宅ローン残高10兆ドルの約1%程度に留まり、影響を受ける金融機関は限られパニックになるようなものではなかった。(矢野和彦氏、NBOnline3/16)。

サブプライムローンというのは高利だけれど最初の数年は無利子といったプログラムが組み込まれた住宅ローンで、初めの数年が過ぎていよいよ利子を払う段になって焦げ付いたものが多いらしい。ある程度予測できた事態だったようだ。

誰が損したのか

最も痛手を被ったのはどうも毎度お馴染みの数社のヘッジファンド[1]だったようだ(ロイター3/16)。これで一気に円キャリートレードのまき戻しが起こり、円高が進んだ。一方、個人投資家の主要投資先であるミューチュアルファンドは殆ど損失を出してないし、金融システムも傷つかなかった。

昨年夏からの米国の株高は非上場の投資会社とヘッジファンドが主役で、LBO・自社株買いで市場に流通する株を減らして株価を吊り上げていた。(Business Week 3/19

個人投資家は2000年のITバブル破裂以来、投資信託もしくは安全な預金やMMF(マネーマーケットファンド)に積んでいたので今回の株安インパクトを直接受けていない。積みあがった現金は歴史的な残高に迫っているという。

調整はまだ続く(予想)、現実は強気が戻ってきた(?)

米国株高にほぼ連動して円キャリートレードが再開、それに連動するように日本株も回復し、投資家はリスク領域に戻り始めたという見方(ロイター3/19)はまだ楽観的な感じを受ける。まだ早すぎる、反省が足りない・・・というのが私の印象だ。

その理由は1)米国企業の収益が徐々に悪化している。2)グローバルマネーの総額は減少し、世界的金余り現象はやや緩む方向に向う。例えば米国金融機関は秘かに不良債権の引き当て積み増しをしているという。3)グローバルマネーはポートフォリオを組み替えより安全な投資に向う。

正直言うと、現在の投資家のリスク志向の素早い回復には驚いている。このまま何事も無かったように円キャリートレードが復活し、ドル120円台に乗せ、日経平均が18000円台回復するとすれば私は何かを見逃しているはずだ。一方で、それを望む気持ちがあるのが複雑だ。■


[1] Second Curve Capital, Greenlight Capital

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ネチズンの世紀

2007-03-17 21:02:56 | 社会・経済

都知事選の争点

22日告示の都知事選は有力候補者が揃ったが、オリンピック開催か否かが主要な争点になりイマイチ盛り上がりに欠けている。今回の都知事選は国政の争点の延長線上で政策がぶつかる激しい戦いにならなさそうだ。勝敗を決める無党派層の投票率は低いかもしれない。

国政レベルで安倍内閣が憲法改正を最大のテーマに掲げ、宮崎県知事選の結果をみて候補者が政党推薦を辞退する状況では地方選の争点がぼやけるのもやむを得ないかもしれない。首長選こそ財政立て直しと格差解消や公共投資の資源配分・教育問題が議題になるべきだろうが、生憎というか東京都の財政はそれほど逼迫していない。

私は別の視点から都知事選の行方を注目している。それは50%から60%に達するといわれる無党派層の動向と、そのうちどれだけが「ネチズン」といわれる人達で、彼等がどのような投票行動をとるか、それが先々参院選にどう影響を与えるか指標になるからである。

何度も引用するが、昨年の長野県知事選のネチズンと選挙民全体の投票行動のギャップを分析した朝日新聞の記事は出色だった。事前のネット世論調査は田中前知事支持、電話世論調査は村井知事支持とはっきり分かれ、出口調査は電話調査と一致した。その差は両調査の年齢ピークが夫々40歳と70歳だったことが極めて示唆的だった。

ネチズンの時代はいつ来るのか

ネット世代は若く年々その比率が高まるので彼らが選挙結果を左右し、政治的影響力を行使する時代、ネチズンの世紀になるのは間違いない、時間の問題だ。ただ、このネチズン世代を一塊として性格づけることが出来るかどうかまだ分からない。

その視点から宮崎県知事選では「そのまんま現象」といわれた無党派の投票率の高まりは、ネチズンの果たした役割が大きかったのではないかと私は仮説を立てた。残念ながら朝日新聞社からの返事によると長野県知事選と同様な調査分析をしなかったようだ。

都知事選でも無党派層が動かない、つまり「風」が吹かなければ、ネチズンが決定的な影響力を行使しないことになるだろうと思われる。彼らをドライブする怒りや熱い争点がないと日本のネチズンは動かない可能性が高い。

Pew Research Centerによると2006年の米中間選挙で選挙民の1/3がインターネットを経由して政治関連の情報を入手し意見交換したと報告している。そのうちの1/4が政治的な意見を書き配信したという。データはないが、東京都民だけならこれに近い数字になる可能性は十分ある。

日本のネチズン像

しかし、日本のネチズン像は一体どういう人達なのか団塊の世代ほど明確な全体像が浮かんでこない。今日の朝日新聞によると評論家池内ひろ美さんのブログ記事に反発した人達が「ネット炎上」させ、彼女の講演会を中止させNHKのラジオ番組出演をキャンセルさせたと報じている。

彼らがネチズンの本質なのか一部の跳ね上がりなのかも分からない。日本だけではないがネチズンは論争に火を注いで極端な動きに発展させる怖さがある。その一つの理由はインターネットの匿名性であることは間違いないようだ。

このネット人格は必ずしも技術に起因するものでなく、寧ろ国民性によると思われる。例えば米国や韓国は自分が誰か明らかにして発信する所謂「署名文化」が圧倒的に優勢だと報じられている(日川佳三氏07/01/16)。名を名乗って堂々と論陣を張るスタイルは責任の所在を明確にする。

一方日本のように匿名性を保つことにより主張・意見にのみフォーカスしコンテンツで勝負するというメリットもある。しかし今までのところ日本の場合に限って言えば、匿名性はネチズン世論形成においてマイナス面のほうが大きい。

日本でも友達向けのブログやSNSが広まっているのは、こういう状況にウンザリしている人達も又沢山いることの証左である。こういった状況で日本のネチズンは政治・社会的影響力を持つグループになりうるだろうか。日本だけではない。数年前携帯電話は中国の反日運動を暴動にした。

メディアへの期待

もう一つ気になる動きがある。それは米国の20代のWeb利用者比率がこの5年間で半減した(23.6%→11.9%)したという報告だ(大前研一氏:2006ネットレイティングズ社調査)。彼らは物心ついたときパソコンも携帯もあった、一括りでネチズンとは呼べないかもしれない。日本も同じ現象が起こるかもしれない。

テレビ・新聞などのメディアは是非この視点から都知事選・参院選を調査分析してもらいたい。誰が当選するか、与野党の勢力と政策がどう変化するかが勿論重要だが、選挙民がどう変わっていくかも極めて重要、特に時系列変化で捉え将来予測することを期待したい。■

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今更ながら光に切替

2007-03-15 22:41:44 | デジタル・インターネット

が家もついにADSLから光に切り替えた。今まで何度も勧誘を受けたが条件が合わず断っていた。パソコンで動画を見たりしないので性能的にはインターネットを高速にする必要性は低かった。切り替えには三つの条件があった。

第一の条件は使用料金(ランニングコスト)が安くなること、但し、インターネットだけの料金だけでなく、電話やケーブルテレビを含めたトータルパッケージ料金で安くなればよかった。二番目の条件は光に切り替えても電話番号とメールアドレスは従来のままでなければならない。

もう一つの条件は従来使っていた家庭内無線ネットワーク(802.11b)とルーターを利用できることだった。ADSLを導入した99年頃同居の子供3人のパソコンを繋ぐ為、市販の無線ルーターを購入した。これを買い換えるとしてもイニシャル・コストはミニマムに抑えたかった。

もしルーターが使えなくなるのなら代替案が必要だった。しかし、今まで勧誘の電話をしてくれた人達には私の説明の問題があったのかもしれないが、技術的なニーズを理解して答えてくれなかった。私自身積極的に調べる必要性も意思も無かった。

ところが先月末のNTT東日本からの電話は簡単に引き下がらず私の必要性を理解し、3つの条件を満たす解があることを教えてくれた。

ひかり電話対応機器はモデムと無線ルーターの機能も備えていた。基本料金は無線込みでB フレッツ6615円、光電話525円の合計7140円となりとプロバイダー料金を含めてランニングコストが数百円以上アップするが、3ヶ月間無料なので我慢できる範囲だった。電話番号もメルアドも変わらない。

工事は簡単だった。前日に家の前の電柱まで光ケーブルが引かれ、当日屋内配線と電話機までの接続工事及びその確認の1時間余りの仕事だった。従来使っていたドアフォンとも問題なく繋がった。

結果どれほどの効果があったかはっきりしない。業者の専用測定器で通信速度が80MB/S強、パソコンのフリーソフトで測定して40MB/Sだった。昨日再測定すると25MB/S、かなりのばらつきがある。ネットワーク・アプリケーションは気持ち早くなったが、今までの1.5MB/SADSLとそれほど差がない。アプリかサーバー能力の問題かも知れない。

は今回最も印象に残っているのはNTT東日本の勧誘から工事までの一連の電話だ。最初の勧誘の電話の主の商品知識が、私のニーズを理解してくれそこで切り替えを決めた。彼女はすぐに工事担当代理店に電話を回し、直接技術的な確認をした。そういう手はずだったのだろう。

翌日、NTTを名乗る別の声の女性の電話があった。話を聞いているうちに言葉のなまりに気付き、聞くと岩手のコールセンターかららしい。訓練したのだけど気付きましたかとがっかりした感じの声が返ってきた。冗談を言って笑わせながら受け答えしたが、申し込みの確認が目的のようだった。

数日たって又電話があり、申し込み内容を確定する為の詳細な確認があった。今度は横浜からだという。又もや延々と世間話を交え話したが、ドアフォンと光電話との接続問題が残り、私から確認してくれということで全てを確定することはできなかった。翌日、ドアフォンのメーカーに確認し、再度コールセンターに電話し申し込み内容を頭から確認しやっと確定した。

それから数日後に電話がありやっと工事日が決まった。合計すると10本余り電話のやり取りをしたと思う。話した相手の6-7人、半分くらいは同じ内容を確認するものだったが、技術的な性格の内容が多いので誤解を避ける為か。忙しい時だったらもう止めたと短気を起したかもしれない。

とはいっても、実は毎回電話は10-20分、長いときは30分以上、暇な私は苦にならなかった。電話の相手は皆感じがよく私の馬鹿な話にも根気良く耳を傾けた。これではコールセンターとしては効率が悪くてしょうがないだろう。そんな話好きの暇なお客は私だけかも知れないが。

米国で一人暮しした時、余りに孤独な気持ちになり、月々の料金支払いやケーブルの申し込み、飛行機の予約等の為電話した時、気付かないうちに会話を長引かせていた。コールセンターの相手に一体何処にいるの、天気はどうだとか聞くと結構応えてくれ話が続いた。それが癖になったのかも。■

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恥ずかし増刊号

2007-03-12 23:09:40 | 日記・エッセイ・コラム

最近何人かのブログの読者からフィードバックを頂いたが、一様に私のブログは難しい内容で読めないと言われた。難しい内容を分かり易く書きたいと常々思っていたのでそういわれるとがっかりした。私の国語力の問題に加えて、テーマを本当に理解していない為だろう。

それは追々改善していくこととし、今日のところは気分転換で分り易いテーマを紹介することにする。それはもう一つの指摘である「色気がない」と言われたことで、この記事でブログに少しばかり彩りを与えることにする。

それは米国にいた時、私のようなチンケな日本人中年男でも女性と知り合う極稀な棚ぼた機会があったのに「外した」思い出である。自意識過剰でちょっと寂しい思い出だ。ということで今回は恥ずかし増刊号です。

張でシアトルからLAかサクラメントの飛んだ90年代後半の時のことだ。アラスカ航空の小型ジェット727だったと思う、ぎりぎりで乗り込み最後部のトイレの横の席に座った。離陸後軽食を頂いて読みかけの本を読み始めた。

突然スチューワーデス(キャビン・アテンダントです)が馴れ馴れしく隣の空席に座って話しかけてきた。「その本を読んだけど中々良かった」みたいなことを言ったと思う。

ブルネットのふっくらした大柄な女性で、お客が殆どいなかったせいで暇つぶしの積りだったのか、ずっと私の横に座っていた。どきどきしながら、「何で」と思った。毎月出張していたのでもしかしたら私の顔を何度か見ていたのかもしれないと思いながら。

本は何気なく空港の書店で買ったもので、記憶が正しければ当時ベストセラーの「snow falling on ciders」でシアトルの北にある架空の島が舞台だったと思う。ひとしきり本の話が続いた。

そのうち窓から見える山が有名なレニア山だと教えてくれ山の話になった。レニアは私が毎週ハイキングに行く山で隅々まで知ってると自慢した。彼女は夏休みに是非行って見たいけど山に詳しい人がいないと言った。

私は誘われたと勝手に勘違いしたその瞬間からギコチ無くなり、「じゃどこかで会うかもしれないね」と言ったきりそれまでの気楽な会話が途切れてしまった。

暫らくして席を立ってどこかに行った。彼女に限らず彼等はちょっとした言葉のニュアンスを的確に判定する能力に優れているとつくづく思う。

際、レニア山の西側山麓のコースをハイキングしたことがある。その日は絶好のハイキング日和で足が続けばガイドブックの3コースをカバーする積りで、万が一に備え3食と寝袋、簡易テントだけの軽装で足を急がせた。

最後のコースは絶壁の横腹の険しい道で喘ぎながら上っていくと2人組の女性パーティに出会い一緒に一休みした。何故か彼女達はさえない中年日本人との世間話を楽しんだように見えた。日暮れが迫っていたので先に行って峠で待っているといって先に発った。

峠で15分程度待ったが現れないので下山、登山口で残った食事やゴミを整理、着替えて車に乗ったところで下山してきた二人組にあった。積極的で話好きの女性が待ってくれてなかったじゃないかと駆け寄ってきた。

30分も待ったのに来ないから諦めて降りたというと、彼女の「ノーキディング」が出てきた。その頃は彼女の口癖だと分かっていたし、打ち解けた雰囲気があった。

復路の途中に彼女の家があることは分かっていた。彼女は連れの車で来たというのを聞いて、私は又もやギコチなくなった。彼女が何を期待しているか分かった気がしたからだ。

突然落ち着かなくなり、もう行かなきゃいけないからと言ってアクセルを踏んだ。そのあと3時間後悔と共に自宅への道のり200kmを急いだ。

私の自意識過剰でもしかしたら思ったのは、このたった2度の機会だけだ。しかも意識した瞬間から後ずさりした。普通の友達になれば良いじゃないかと後から思う。

しかし米国に住んで女性と普通の友達になるなんて見たことない。怖気づいて当然でしょう。笑い話にもならないが、私にはそれで精一杯だった。■

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信頼の回復

2007-03-11 23:42:04 | 社会・経済

西武球団は裏金事件の真の意味を理解しているのだろうか。2004年の一場事件以来プロ野球球界は存続をかけて金銭供与等の悪習を断ったはずだった。

今後西武の説明を聞いてもそれが信頼できるかどうか、何故信頼できるのか私には分からない。プロ野球機構も同じだ。

談合決別宣言をしたスーパーゼネコンが実は直後に「粛々」と談合を続けていたのと全く同じ精神構造だ。ゼネコンだろうと球界だろうとこの意味を深刻に捉えなければいけない。

中途半端な処分で済ませると、業界全体の信頼性が致命的なダメージを受け崩壊する恐れさえある。場合によってはコミッショナーや公取委の権威を台無しにし、存続の危機にすら覚悟しなければならなくなる。

最初にやらなければならないことは「言葉の信頼性」を取り戻すことである。つまり謝罪や改革を宣言するとそれを文字通り受け取ってもらう為の信頼感を取り戻すことである。

言葉の信頼性は言葉だけでは取り戻せない、血を流す必要がある。人事の一掃とか、半年の営業停止とか、営業の譲渡とか。■

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