かぶれの世界(新)

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アジア人差別の微妙な思い出

2021-03-20 18:48:38 | ニュース
火曜日にアトランタのマッサージ・パーラーで起こった殺人事件は衝撃的だった。射殺された8人のうち6人はアジア系女性だったという。日本ではあまり報じられていないが、犯人は21歳の白人男性でコロナ以来世界で頻発するアジア人差別に絡めて、米国では連日報じられている。

警察は必ずしも人種差別ではないと見ているが、SNSで反発の声が出て収まる様子がないという。背景には中国から始まり隠蔽したと言われるコロナで、世界的にアジア人差別が蔓延していることがある。今もアジア人差別の被害が欧米で報じられる。

昨年黒人男性が警官に締め殺され、世界に広まったBLM運動と似た形で人種差別反対運動が起こっているように感じる。この手の人種差別は白人が多数派から滑り落ちる恐怖が怒りに替わったものと言われるが、今回はコロナ感染という現実の恐怖だとすれば決めつけは出来ない。

取り調べで犯行はヘイトクライムではない、性的欲望を満たす目的で3つのマッサージパーラーに通い、そこで働く女性を殺ったと言ってるらしい。ニュースを見てその可能性もあると感じた。同時に、差別された訳ではないがアジア人であることで微妙に怖い経験を思い出した。

90年代中頃にシアトル郊外に住んだ時に地元のバドミントンクラブに加入した。少し慣れてきて市内の他のクラブにも積極的に顔を出して色々な人とゲームを楽しんだ。ある時初めての体育館で練習した時、後ろから私が中国人かどうか話している小声が聞こえ嫌な気持ちになった。

それまで裏でこそこそ噂された経験はなかった。彼等はオープンで「何処から来たのか、日本人か」と聞くはずだった。私に聞こえる「こそこそ話」をし、表立っては何も聞かなかった。気持ち悪く、私を不安にさせた。練習の後、仕切りの無い大部屋でシャワーを浴びた時も妙に人種を意識してしまった。モチロン何もなかったが。

米国滞在中は毎週末にマッサージに通った。殆どは白人か日系人のセラピストだった。性的なマッサージではなく、オイルを使うスウェーデン式のマッサージ・セラピーだった。あるセラピストは「トウキョウ・マッサージ」のような名前の付いた店には行くなと教えてくれた。

殺人事件が起こったアトランタの店は公表されていないが多分そういう店だ。電話帳を見るとその手の店はシアトルにもサクラメントにも沢山あった。私の受けたマッサージは専門学校で資格を取ったセラピストによるものだったが、それでも薄暗い部屋で全裸になると微妙な気持ちになった。■
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早咲き桜の意味するもの

2021-03-19 16:11:08 | ニュース
今年の桜の開花日は異常に早く、いよいよ「地球温暖化」が我々庶民にも実感するところまで来たと思った。夕食時に家族とテレビを見てると関東地方でも横浜、靖国神社、千鳥ヶ淵といった具合にこの数日間次々と開花宣言が伝えられている。それにしても早い。

40年余り前の事だが、生まれたばかりの子供を連れて自宅の近くの桜通りを歩いたのは4月初めだった。それから少しずつ開花が早まったが、こんなに早く桜が咲いた記憶にない。昨年地元の桜祭りは23日からライトアップしたらしいが、祭りそのものはコロナの為に中止となった。

今年は更に早く15日に桜通りに提灯がぶら下がっていたと家内に聞いたが、残念ながら今年も桜祭りはないはずだ。小学生ころ四国の実家では4月3日の旧暦がひな祭りだった。裏山の尾根道に続く高台に友達と行き、桜の木の下でひな送りと称して母に作ってもらった巻きずし弁当を食べた。

私の住む東京近郊の府中市でも4月初めが花祭りだったが、近年では「葉桜」になってしまうのが普通だった。葉桜はそれなりに風情があって悪く無いと私は思うが、たまたま午前中にテレビで見た映画アル・ゴアの「不都合な真実」の続編を見て急に印象が変わった。

地球温暖化を利用した政治的な作品と批判する声もある。だが、私にはタイムリーに桜の開花時期が異常に早まっているのと結びつけ、思ったより早く温暖化が進んでいる深刻な事態を想像した。我々の身の回りでこのように目に見えて分かるような変化は他にない。

しかし、今日のトップニュースは当然ながら緊急事態宣言の解除や米中会談であり、3日前迄の桜の開花宣言等なかったような報道だった。各局揃ってコロナの過剰な煽り報道をするより、ある局は中国の南シナ海や人権問題を取り上げ、或いは総務省の会食問題を追及する方が正常ではあるが。

それと同列とは言わないが、この時期に地球温暖化の象徴的な現象として桜の開花から問題を解きほぐして包括的に報じて欲しいと思う。とても分かり易くとっつき易いアプローチではないかと思う。コロナみたいに煽る必要はないが国民的な活動として温暖化対策を盛り上げたらどうだろう。■
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大震災10周年の教訓(3)

2021-03-16 17:31:44 | 社会・経済
大震災の翌日には米国は兵2万4000人、航空機189機、艦船24隻を投入して救援活動を開始した。予想を上回る大規模な支援に正直驚いた。日米同盟は軍事的な活動に限るのではと勝手に思っていたが認識不足だった。実際には既に阪神大震災でも支援を受けたのだという。

だが、本格的な支援が始まったのは当時の菅首相が決断し、自衛隊が原発上空から放水を実行してやる気を見せたところから本格的な「トモダチ作戦」が始まったという。国家の危機に瀕して、先ずは自衛隊が立ち上がり対応しなければ、米軍が支援する根拠が無かった。

12日の日本経済新聞は「日本が主体的に動いてこそ、米軍も動くという同盟の本質でもある」と日米同盟の在り方を説いている。言い換えると自衛隊の「自助」を見て、米軍は共助に動いてくれた。他国に攻められた時自衛隊が血を流して戦わなければ、米軍が血を流して日本を守ることはない。同盟とはそういうものだ。

日本は太平洋戦争での苦い経験から戦争放棄し軍隊を持たない決断をし、自衛の為だけに限って武装し米軍に守ってもらうことになった。それが為に自衛隊の活動範囲を狭めたが、その一方で血を流してでも自らを守る主体性を無くしたかのような風潮が続いて来た。

今回の新型コロナウィルス対応を見て今も残る「自助の精神の欠如」を垣間見た。大震災10周年の教訓が生きてないと感じた。このテーマで投稿した記事(日経3/11)で女川町のユニークな復興の取り組みを紹介したが、多くの自治体は地域の特色を生かした取組が出来ず諦めの声が聞こえて来た。

地方の国依存は続いている。今日の日経の記事によれば、権限は移譲されても国はカネに基準や条件を付けて縛っているという。一方、自治体は国の支援を受け身で待つばかり、地域の為に自らどう動くか見えてこないと自治体首長の覚悟の無さを指摘している。

ニュース番組で報じられるコロナ対応について街の声から専門家や政治家まで、国の明確な指針とか基準を求める声がよく聞かれる。これじゃ自治体の長と同じだ。私はもう十分じゃないかと思う。やるべきことは分かっている、後は自ら立ち上がってやるのみだ。■
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プチ贅沢なコンビニ生活

2021-03-15 14:47:35 | 社会・経済
昨年11月に帰京すると我が家の食事のパターンが変わっていた。コンビニや専門店食品を頻繁に利用するようになった。最初は家内がセブンイレブンの冷凍スパゲッティが美味しいと勧め食べるようになった。実際、悪く無かった。普通のレストランで食べる味とそう変わらなかった。

冷凍食品の味は元々期待してなかったので、予想外の美味しさが印象的だった。それから家内はタガが外れたように冷凍食品からレトルト食品、スパゲティからラーメンやチャーハン、ワインや酒のつまみまで広げていった。殆どは外れ無しで、マズイものはなかった。

自宅から歩いて行けるコンビニが7軒ある。うち3軒はセブンイレブンだ。これ以上増えても客を取り合う飽和状態になる。「美味しいモノを売っているお店で買う、味に変わりがなければ安価なところで買う」が我が家の方針で、スーパー・コンビニ・専門店に広げて買い分けている。

その中でコンビニと専門店で買い物をする比率が急速に増えた。理由はお店によって肉が美味しい店、魚が美味しい店、牛乳が美味しく安い店、といった具合に半年でお店が変わった。家内が最近より味にこだわる様になった為だ。その分、余分に食費がかかるようになったと思う。

そんな客を狙ってコンビニが味にこだわる商品作りをし、専門店が進出したようだ。結果として値段が高くなっている。最初冷凍のスパゲッティが美味しいと言っていた家内が、最近値段が上がったと言って余り買わなくなった。逆に意外と安価なコンビニワインも悪く無いと飲み始めた。

昨日の日本経済新聞はこんな複雑なお客の変化を、コンビニの「生活インフラ」の役割からちょい贅沢な「デパ地下化」と説明していた。我が家はコロナ以前は主にスーパーやドラッグストアで買い物をしていたが、今はプチ贅沢を楽しむコンビニの比率が高まったということになる。

現実は売り上げが減少して撤退が相次いだ百貨店を、コンビニが追っているというのが日本経済新聞の見方だ。我が家から歩いて10分で行ける百貨店は一昨年撤退して家内を嘆かせていたが、夏には沢山の専門店が入って再オープンすることが決まったという。

コンビニ生活に向かうと思われた我が家の買い物パターンの変化は、百貨店跡の専門店ビルの進出でこの先どう変わるのか気になるところだ。■
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大震災10周年の教訓(2)悲しい現実

2021-03-12 17:06:25 | 社会・経済
被災地の声も出なくなるような惨状を見た後、最初に救われたと思ったのは全国からボランティアが東北に集結して個人レベルで復興の手助けをしたことだ。一瞬だが、「日本は大した国だ、何とかなる」と思った。だが、10年経ってその考えは甘かったと思う。

テレビが報じたのはボランティアに助けられる被災者、特に老人ばかり目立った。彼ら自ら生活を立て直す力(自助)を失い、最も助けを必要とする人々だった。無償の至急の助けが必要だった。ボランティアは菅首相の基本政策の一つである「自助・共助・公助」の共助をタイムリーにやった。

この後被災地の復興の主役は一貫して老人だった。私はもうすぐ後期高齢者になる老人なので遠慮せずに言うと、彼等は経済的には生産効率の悪い人達で被災地への貢献は限られていた。被災地は少子高齢化で人口減少が進行する地域で、大震災で人口減少が更に加速すると予想された。

だがそれは被災地だけの問題ではない、日本全体の問題だった。大震災で明らかになった問題が国レベルで解決されてなかったことが、その後も何度も続いた自然災害や今回のコロナ禍で明らかになった。前回紹介したトヨタのサプライチェーン改革の成功は例外だった。

今朝の日本経済新聞を引用すると「東日本大震災という未曽有の災害を経験しても、医療や教育の現場は現状に安住し、改革は進まなかった。…日本の医療界はディジタル化の流れに尻込みし、逆らってきた。…地方では高齢の医師が高齢の患者を診る「老老医療」の状況が拡がり…

私の実家がある四国の地方都市でも同じ状況が進んでいる。地方では医師不足が進み、民間医院では高齢の医師が高齢の患者を診て、民間医院が健康保険を財源に終末医療をする介護施設化するところまで進んでいる。コロナ禍で世界的に豊富なはずの医療資源が役に立たなかった。

残念ながら教育の世界でもディジタル化が遅れ、世界的に最低水準に沈んでしまった。文科省の環境整備は遅々として進まなかった。東北の自治体が震災時の教育の継続の為ディジタル化を推進した例外はあるが、全国的にはベテラン教員の多くは教育のディジタル化をやる熱意に欠けていた。

医療や教育の世界で大震災は重要な問題を提起したが、被災地以外の殆どは自分の事として捉えなかった。いつの間にか国民の間に「自助の精神」が失われたように感じる。例外もある。大震災の後も異常気象による豪雨被害が毎年続き、避難指示を待たず自らの判断で行動するよう学習し始めた。

今日見たバラエティショーではコロナ感染対応の判断の為の具体的な基準を示せ、という芸能人コメンテーターの声が流れた。国や自治体の関係者は毎日同じ警告を繰り返しているにも拘らずだ。私にはコロナも教育もボランティア頼りで、自己判断と自己責任が足りないと感じる。

その大元の原因はつくづく日本人の老化ではないかと考える。今や日本が世界でトップクラスなのは平均寿命だけ、自ら考えて世界をリードしていく様な精神や物を作りだすことが難しくなった。大震災はこの悲しい現実を明らかにし、この10年間スピードアップしたと考える。■
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