かぶれの世界(新)

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東京郊外の生活2021(2)

2021-12-12 11:31:46 | 日記・エッセイ・コラム
健康診断結果を聞きに掛かり付け医に行った。土曜日だったせいか患者が少なかった。昨年頃から体調の変化を感じていたので、血液検査等の生化学検査に異常が出るのを覚悟していた。結論から言うと、総じて変化がなく従来通りコレステロール値が高かっただけで少しホッとした。

良かったのは3年連続で尿酸値が下がって正常値の範囲に収まり、先生と相談してこの痛風も出ていないので尿酸値を下げる薬の服用を中止することにした。彼は薬を止めると尿酸値が上がると警告したが、薬を止めて様子を見ようと決めた。私、実験台になりますと宣言した。

目の異常(眼底出血など)意外は、恐れていたのと逆の結果になり、降圧剤だけの処方箋を持って意気揚々と隣の薬局に行った。何故か自動ドアのボタンを何度押してもドアが開かなかった。正気に戻ってドアの張り紙を見ると、土日は営業せずとの表示があった。患者が減った為か、薬剤師の労働環境改善の為か。個人的には医院と薬局の営業日が連動しないのは不便だった。

医療関係だけではない、昨年頃から市内の一般客を相手にするビジネス環境に変化を感じる。最寄り駅前の飲食店では主にラーメンショップの入れ替わり、繁華街の百貨店(伊勢丹)跡にテナント主体のビルへの変化、ホームセンターがフランチャイズ店(ニトリ)に買収された等々。

旧甲州街道沿いの幾つかの瓦屋根の住居がマンションや駐車場に変身している。新旧甲州街道の間にある我が家に、セメントの建物が攻めてきて包囲される勢いだ。夜になると高層ビルの窓の明かりが迫ってきて、神田の瓦屋根の家が高層ビルの挟まれた写真を想像させゾッとする。

先日家内に頼まれ夜中に100円ショップに買い物に出かけた。便利になったのは我が家の近くにコンビニや100円ショップが何軒もでき、夜中に急に思いついて買い物出来るようになったことだ。コンビニの手前の歩道に50人はあろうかという長い列が京王線の踏切まで続いていた。

旧甲州街道の反対側に寿司と弁当のお店があったが、長い列が出来るほどの人気だったことは記憶にない。列に並んだ人達に特別な傾向はなく、老若男女問わない普段着の人達だった。例によって私は若い女性カップルに声をかけ聞くと、アマゾンの仕事に行く為にバスを待っていると意外な返事。

ということは、この近くにアマゾンの倉庫とか配送センターがあるのか聞いた。答えはその通りで、四谷(府中市にも四谷がある)にあり、朝まで働くのだと聞いて驚いた。「大変だね、頑張ってね」と言って店に入り買い物を済ませ表に出ると、列は無くなっていた。コロナ禍で通販の急増を実感した。何とも微妙な気持ちで家に急いだ。■
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天橋立旅行記(6)経ヶ岬から琴引浜へ

2021-12-09 17:35:33 | 旅行記
天橋立観光が終わると、最後は聞いたこともない日本海から吹き付ける強風だけが印象に残る地を巡った。そこはすれ違ったのは路線バスばかり、観光バスはついぞ見かけなかった。パック旅行のおまけみたいな所で、しかも強風でカタログの観光は出来ずじまいで終わった。

丹後半島の突端にある経ヶ岬はバスの駐車場からトイレに行っただけ、強風で灯台のある小山に登り雄大なはずの日本海は見えなかった。国内に5つしかない第1等レンズを使用した灯台だそうだ。柱状節理上の断崖にある灯台で、風速13mのなか急坂を登るのは危険と判断された。

家内も私も柱状節理が波で浸食された岸壁とはどんなものか見たかったので残念だった。崖がお経の様に見えるのが名前の謂れだそうだ。風速13mと聞くと大したことないと思ったが、トイレとバスの間を歩くだけでもふらついた。急坂を登るのは危険と判断されたのはやむを得なかった。

そこから先殆どは日本海沿いの絶壁から山側に少し離れた道を西に向かった。たまに見えて来る海岸な凄い白波だったが、突然バスは海岸に向かい砂が鳴くという琴引浜に着いた。夏は海水浴場になるという。ここも強風の為砂浜に下りることが出来ず、老ボランティアが小屋の中で砂の入った箱で鳴く砂を解説し経験させてくれた。砂に手を入れて押し引きするとキュッと音がした。

鳴き砂は石英だと聞き貝殻が砂になったのかと思ったが、地球誕生にまで遡って高温マグマが結晶化した石英で、綺麗な乾燥した砂浜でしか鳴かないのだそうだ。ボランティアによれば鳴き砂は日本に沢山あったが、今では約30か所程度あるそうだ。彼らが鳴き砂を守っているということだ。

これでパック旅行は終わり、最後に本当のおまけで途中小浜市の箸造り会社に立ち寄りデモを見学しお土産に手作りの箸を貰った。意外とこれが思い出になったりする。7時過ぎのこだまに乗車し品川で下車、自宅に戻ると深夜12時前だった。風呂に入りお酒を頂き寝たのは2時前だった。

今回は必ずしも有名ではない観光地を巡る、地味な土地巡りで時間的に余裕の無い安価なパック旅行だった。このパック旅行は申し込みが少なく、我々がが参加した日以外は中止になったという。だが、私達にとっては未踏の地を経験し十分楽しんだ、今までと同様に。■
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天橋立旅行記(5)天橋立を歩く

2021-12-08 17:59:28 | 旅行記
2日目の朝食はパック旅行お決まりのバイキング形式だった。昨夜の夕食にマスクを忘れて部屋に戻る羽目になったので、気を付けてマスクしたが今度はレストランの入口にマスクが用意されていた。バイキング形式だとつい食べ過ぎるが、皮肉にも不味くて食が進まなかった。こんな皮肉が続く。

8時過ぎにバスに乗り1日目に往復した湾の対岸まで再び走り、籠神社傍の乗場からケーブルカーで傘松公園に上った。展望台から見た天橋立は素晴らしい眺めで、負けずと「股のぞき」写真を撮った。後から写真を見ると私の丸い禿げ頭を初めて見て家族で大笑いした。私も人生初めて見た。

ケーブルカーで下る前にレストランで清掃中の若者に声をかけた。この地も府中と呼ばれることに気づき、「我々は東京の府中から来た、府中って全国にあるよね、何故かな?」と聞いたが分からないという。事前にネット検索すればすぐ分かるのに、何も調べずつまらない質問をした。

ケーブルカーで下りて今度は天橋立の遊歩道を歩いた。距離3.6キロと言われたが、とりつきの部分を除けば2.5キロ程度だそうで、普段歩く散歩に比べれば大した距離ではない。この日も晴れたり雨が降ったりの天候だったが、晴れ間がのぞいた時の山の紅葉はとてもいい景色だった。

天橋立は歩くよりも展望台から見た方が綺麗だった。仮にここに住んだとしたら展望台と歩道を往復するのを毎日の日課としたい。そしてリゾートマンションに住む誰かと仲良くなって、たまにクルージングに出る。内海の阿蘇海ではなく若狭湾を、風が弱い時は外海に出てみたい。

その後天橋立の廻旋橋の袂にある料亭で昼食をとった。家内の希望でカニ料理が売りの旅館と和風レストランが一体となった店だ。私は特にカニが好きだという訳ではないが、一度は旅行を計画したカニ好きの彼女に礼をしたかった。だが、食事中にタイミングよく廻旋橋が90度回転し船が通過した。窓から庭の真っ赤な紅葉越しに見る風景は美味しかった。

昼食後は何と三度目の湾の対岸を走り、前日に行った伊根方面に向かった。丹後半島の突端にある経ケ岬の灯台から外海の日本海を見る計画だった。伊根を過ぎた頃から風が強くなり、海の白波が目立つようになった。今回の旅行は早朝出かけて深夜に戻る、中身の濃い「パック」旅行だ。■
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天橋立旅行記(4)伊根の舟屋

2021-12-07 16:39:46 | 旅行記
午後2時前に三方五湖の展望台を発ち、天橋立を通り過ぎ、丹後半島の伊根の舟屋に向かった。海が荒れている報告が入り予定の伊根湾クルーズを中止する提案があったが、我々ツアー客は伊根に行きたいと希望した。私は寅さん映画に出演した石田あゆみの舟屋の娘役が好きで見たかった。

バスの窓から見た若狭湾は白波がなく静かだったが、クルーズ航路は外海の影響を受けて危険だと判断したという。宮津を過ぎて人気のない伊根の漁港が見えてきたところで、近くの道の駅に駐車し45分の自由行動が告げられた。添乗員は無理するなと言ったがすぐ下の港に歩いて下りた。

手前は漁港、左手に魚市場、対岸に舟屋の集落、右手に舟屋を模したクルーズ船乗り場があった。若い漁師風の男性二人を見て声をかけた。魚市場らしき建物でセリはやっておらず、穫った魚を売っているだけという。200人余の漁師がいる聞き、結構な水揚げがあると思ったのだが。

家内はカニ大好きだが、二人はカニを食べるなら福井県に行けとの返事。実は途中で福井県の賤ケ岳SAに立ち寄った時、カニは京都で食べよと勧められた。若狭湾の観光パンフレットにカニはなかった。奇妙な譲り合いだった。伊根のお勧めは何かと聞くと、ブリしゃぶだと漁師は答えた。

港には他に何も観光するところはなく丘の上の道の駅に戻りかけると、他の乗客がゾロゾロと階段を下りて来た。その中に家内と息子を見かけて案内役をかって出て、カニは食べられないと伝えた。残念そうだった。4時半頃の伊根湾は日が沈みかけで風情のある田舎の漁村の夕日の風景だった。

それから約1時間バスに揺られて宮津湾を戻り、対岸側にあるホテルに向かった。途中京阪神からの人達の住むというリゾートマンションが10棟前後あり、沢山のクルーザーがマンション横の広場にありお金持ちが住人だろうと思った。10分前に見た漁村の風景とは違和感があった。

夕食までに時間があるのでホテルの売店で買い物をし、お勧めの散歩コースを聞くと若い女性店員は絶対にダメときつく止められた。猪や鹿などあらゆる動物がいるのでとても危険だと。そのあと行った和風レストランでは家内の好きなカニ料理はなかった。入浴後に売店で買った地元のビールとワインを飲んで過ごした。ビールは美味しかったが赤ワインは酷い味で薬みたいだった。■
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天橋立旅行記(3)三方五湖

2021-12-06 20:58:31 | 旅行記
舞鶴若狭自動車道は海岸沿いを走っている印象はなかった。というのも若狭湾の海岸線は殆ど岸壁で高速道路は山間に作られていた。海岸に美浜湾や小浜湾等の入り江が形成され、近くを通り過ぎる時に海が見えるだけだ。「ブラタモリ」によるとユーラシア大陸から分離した堅い岸壁は、フォッサマグナの境界にある糸魚川から続いているという。オホーツク海沿いの知床半島みたいだ。

バスはお昼時頃に若狭三方ICを降り、レインボーラインを登り10分程度でケーブルカー乗り場に到着、リフトで標高差60mを上ると頂上公園に着いた。頂上から見た日本海に続く三方五湖は本当に素晴らしかった。五つの湖は海水から汽水まで全て異なる水質で色も違う、という。公園にいる間は運よく天候が回復し、湖と共に日本海沿いの海外線も美しく映えた。

公園には幾つか洒落たレストランがあった。私達には観光客はまばらで運が良かった。絶壁寄りのテーブルを選び食事した。絶景を見ながら食べた「意外にまずい昼食」も問題なかった。お店の女性に聞くと一時より観光客は戻って来たそうだ。もし三方五湖が東京の近くにあれば先日行った高尾山の混雑どころではない、良くも悪くも凄い数の観光客で溢れているだろう。

驚いたのは、ラムサール条約登録湿地の五湖を見る頂上公園に福井出身の五木ひろしの記念碑が建っていたことだ。記念碑にはヒットした「ふるさと」の歌詞が刻まれていた。私も家内も特別彼のファンではないが、「ふるさと」だけは良い歌だと意見が一致した。観光地に行くとご当地ソングがしつこく流れてうんざりすることがあるが、この歌はそんな嫌な感じがしなかった。

パンフレットの説明によると、三方五湖は若狭町という小さな町にあるが、レインボーラインを走っている途中で観光を盛り上げようとする仕掛けを感じなかった。私の実家の隣町の内子町では数少ない歴史的材料を利用して観光を盛り上げる工夫を感じた。三方五湖はそんなもんじゃない、工夫すれば観光客を惹き付ける素晴らしい景観がある。又来たいと思わせる仕掛けを期待する。■
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