かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感2023(17)

2023-11-17 21:12:55 | 日記・エッセイ・コラム
毎週治療を受けに通った歯科医も今日が最後となった。昨年自動車事故で自家用車を廃車し、毎週自転車で歯科医に通うようになった。だが、今年は幸運にも歯医者に行く時は一度も雨に降られることがなかった。雨が降ったら予約をキャンセルしたいとお願いしてたが、その必要はなかった。

また来年も宜しくお願いしますと最後に挨拶したが、来年まで体力を保てるか不安だと言った。先生は私の自転車の乗り方はしっかりしている、大丈夫だと力づけてくれた。私もその積りだ。だが、帰りにスーパーで買い物をして実家に戻る途中ペダルが重かった。

昼食後に書斎で午前中までに受け取ったメールをチェックしていると、近所の奥さんが訪ねて来た。彼女は地区長になった責任で、長老の奥さんが亡くなったと集落の皆に伝えているという。家族葬にするので了解してくれという。長老宅は奥さんが先に亡くなった、集落で唯一男が長生きの家となった。最近見かける長老は元気がなかった、心配だ。

このところ私と同年代の芸能界の人達の不幸が次々と起こっている。今日亡くなったと報じられた歌手KANは、私が米国から帰任した時に娘がファンだと家内に聞いて印象深く記憶している。彼はまだ61歳の若さだという。それ程でなくとも私より若くして亡くなったと聞くと寂しい。

母が死んだ時に知人の助言を受けて私も家族葬に決め、葬式には親戚のみ連絡した。だが、それでも母が懇意にしていた人達が葬儀の後に来てくれ線香をあげてくれた。その時に長老の奥さんが来てくれたら香典を持って行かねばと思った。だが記録を調べると彼女の名前はなかった。多分、田舎ではそういうお付き合いの仕方で大丈夫だと思う。

午後4時過ぎに何時もの散歩に出かけた。毎日シラサギを見かけるのに今日に限って1羽も見かけなかった。途中で尿意を催し堤防の端で用を足した。その時突然帽子にポツポツと音が聞こえ、手をかざすと大粒の雨が降り始め震えながら家に戻った。■
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助けて、映えないもみじ祭

2023-11-16 11:26:23 | 日記・エッセイ・コラム
突然の冬はその後も厳しい寒さが続いている。14日の朝の書斎の室温は11度に下がり、昨朝は10.7度になった。今朝はちょっと戻して11.4度だった。これだけの寒さになれば稲荷神社の周りは紅葉でもみじ祭が行われる時期だ。テレビは全国の美しい紅葉を報じている。

だが、県内有数の紅葉の里の大洲市新谷のお稲荷さんは、参道の両側に「もみじ祭」の旗が点々と立っているだけ、肝心のもみじは漢字で「紅葉」と書ける状況にない。9日に稲荷山の参道300段をたった100段でギブアップした時は、余裕がなくなり気が付かなかった。

今週14日に悔しくて再度チャレンジしたが、その時も変わらず100+アルファで同じ結果に終わった。だが、この時は流石に異常に気付いた。駐車場には車1台駐車しておらず、人っ子一人見かけなかった。派手派手しい「もみじ祭」の旗が整然と並んでいただけだった。

帰りに川沿いの散歩道から神南山麓の稲荷神社の方向を見ると、そのあたりはやや茶色っぽい森のようになっていた。神社だけではなかった。大洲盆地を囲む山々全般にぽつぽつと茶色いシミがあるようで、とても華やかな紅葉を連想させるような印象を受けなかった。

夕食時のローカルニュース番組は、県内有数の大洲市のもみじ祭が今年は映えず、困惑する関係者の声を伝えていた。素人の原因推測では、今夏に異常な高温が続いたこと、雨が降らず今も乾燥状態が続き鹿野川ダムの水が貯水率ゼロになったことなどが考えられる。因みに大洲市は水郷と自称し水道は地下水からだそうだ(かつて市の責任者はオヤジだった)。

更に推測すると、このままでは美しい紅葉の代わりに茶色い葉っぱに変わり、例年のもみじ祭の最盛期頃にそのまま枯れ落ちるのではないだろうか。史上初の誰もいないもみじ祭になる悪い予感がする。20日の帰京時に見届けるのは無理だろう。だが、3度目の階段登りに挑戦してみたい。■
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助けて、突然の冬が来た

2023-11-14 19:25:12 | 日記・エッセイ・コラム
昨日から突然の冬が全国的にやってきたように寒くなった。我が家の場合は朝7時の書斎の室温が12.8度に下がっていた。1週間前の7日は21.4度だった、それから17~16度台の晩秋らしき気温が続いていた。私風に言うと、最近の国際情勢のような奇襲攻撃を受けた気分だ。

更に加えて、今朝は室温は11.0度に下がった。スマホが示す外気温は6度で、外気と書斎の気温差は5度しかない。我が家は外気との気温差5度、この程度しか住んでいる人を守ってくれないことになる。昔からこの地の農家は夏を涼しくする家の造りになっていると聞いていた。

昨朝は我慢できずエアコンを点けた。22度に設定し様子を見て室温が15度になったところで、エアコンを切り8時過ぎに買物に遠出した。午後2時頃に帰宅すると部屋は起床時の温度12度半ばまで下がっていた。想定外に早々と外気温が家の中に持ち込まれた様だ。

最近の住宅は窓が数が少なくかつ狭い二重窓構造になっており、エアコンが効率よく機能する設計になっているようだ。東日本の東京の自宅はそうだが、南国の四国でもそういう作りと思う。昨日今日の最低気温は四国の方が東京より低かった。逆に夏場の東京は異常に暑かったようだ。

昨日の買い物には実家に置いてある最も暖かそうなジャンパーを選んで着用した。今日はもう見かけなど気にしない、更に暖かいものを探して着た。上着は昨日と同じジャンパー、ズボンはダブダブの冬用のトレーニングパンツを選んで着た。どうせ繁華街には行かないので。

今日は昨日と違って大洲盆地名物の雲海が10時頃まで続き晴れると(長浜に肱川嵐が吹いたはず)、暖かい陽ざしが差し午後になると気温17度まで急上昇した。お蔭で2‐3日間溜まっていた生乾きの洗濯物を、もう一度物干し竿をフルに使って干した。

報道では朝夕の「気温差が大きいので気を付けよ」と決まり文句を報じるが、私はこの時を待っていた。寒い朝の午後は快晴になり気温が上昇する。ただ、日が短かい上に実家は谷間にあるので、洗濯物の干し場所を午前は西側に、午後は東側に移して全て乾かすことが出来た。

辛かったのは朝ベッドから起き出した時の低温だったが、今朝は昨朝より更に低温だったが無理せず対応出来た。高齢者の私でも周りの気温の変化に順応する若さがまだ残っていたようだ。洗濯物を片付け4時過ぎに散歩に出かけると、360度雲のない暖かい快晴の空が待っていた。■
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失望のシティポップ

2023-11-12 14:01:44 | テレビ番組
昨夜録画したBS朝日の音楽番組「シティポップ・スタジオ 今聴きたい名曲」を見てがっかりした。80年代に覚えのある曲や歌手が出てきたが、曲を聴いても期待したほど魅力的じゃなかった。私は歌の上手い下手は分からないが、魅力的な出来栄えの音楽番組には程遠かった。

90年代末に帰任し2003年に退職後は竹内まりやのファンになった。他にも高橋真梨子・稲垣潤一・中西保志等が好みでYouTubeなどで聴いていた。私は最新の曲には付いて行けなかった。90年代半ばから米国で仕事をし、カントリーやジャズに触れたのも一因だろう。

数年前にシティポップが海外で話題になっていると初めて聞いた。海外で人気という「プラスティック・ラヴ」は知らなかった。続いて海外で松原みきを始め同時代の曲がシティポップとして世界的に広まった。勿論、どんなシティポップでも好きだった訳ではなかった。だが、初耳の松原みきの「真夜中のドア~Stay With Me」は悪くなかった。

ところが、冒頭で紹介したシティポップスは、私的には音楽番組としては最悪だった。質の高い音楽番組を期待したが、どれもこれも楽しめなかった。若々しかった歌手がその後ヒット曲に恵まれず、30-40年後に突如再び脚光を浴びたが、最早衰えを隠せなくなったように感じた。聴いてて辛くなり、途中で早送りしながら見た。

或いは、歌手の声を魅力的に見せる音響効果とか番組の作り方が拙かったのかもしれない。何れにしろ、せっかく盛り上がったシティポップの人気がこれでは台無しになると心配だ。YouTubeには多分歌手がベストの時の作品がアップされているはず。60-70歳になった歌手に若い頃のように唄えと言うのは、厳し過ぎる無理な要求なのだろうか。■
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振り返れば私はハラスメント

2023-11-11 20:02:32 | 社会・経済
このところ「ハラスメント」という横文字言葉をよく見かける。日本的な英語の省略言葉「パワハラ」、「セクハラ」、「モラハラ」等々には違和感がある。それはともあれ、今世紀に入り職場の働き方が多様化し、働きやすい職場をつくる為の義務化・法制化が進んだと思う。一方、働き方は世代が移るごとに変わるのが現実とも思う。

だが、法制化したと言ってもハラスメントは個人の判断によるものが多く、人事部門は難しい判断や対応が求められていると見られているようだ。昭和40年代にコンピューター開発技術者として働き始めた私には、現在とは全く違う世界が見えていた。

先日息子と義理の甥が実家に顔を見せてくれた時に交わした会話は思い出させてくれた。彼等もITに係る世界にいるが、甥は退職したばかり息子は40代半ばで既に第一線の現場に直接関わっているとは言えないかもしれない。だが、私が開発責任者だった頃に部下にポッポと呼ばれたと甥は教えてくれ、息子は子供の頃に女の子達を自宅に招き徹夜で飲み明かしたのを記憶しているはずだ。

それを聞いて会社の同僚たちは私がハラスメントをしていたと笑いものにするかもしれない。難しいのは今も言われるように、接した人達が指摘すればハラスメントになることだ。受け取り方は夫々だと私も思う。だが、私にとっては私自身が自分にハラスメントしていたと思う。勿論、その当時はハラスメントなんて言葉も概念もなく認識してなかった。

私達技術者にとって最大の競争者は次々と現れて来る米国のスタートアップであり、当時の彼らは自宅の車庫で24時間働いて新しい概念の新製品を世に出すと言われてた。その気になった我々は週60時間の残業規制を大幅に超え、100時間などは当たり前で凄い奴は200時間を突破していた。結果として私の給与は残業ゼロ時の倍以上だった。管理職になった瞬間に半分になったが。

しかし、私には上司に押し付けられたという記憶はない。振り返って多分問題だったのは、私自身が管理職になった時に部下の人達も同じ考えだと思っていたことだろう。自然とそういう考えで部下に接していたのだろう。私は管理職になって私自身に大して厳しい態度で接したと思う。そして職場の健康診断で不整脈と診断され、ボストンのホテルで倒れそうになった。

多分、私が自分自身が先頭に立ってやってるから当然と考え、部下の人達に同じハードワークを当然と考え要求していたと思う。この意識の違いが今日までパワハラの要因の一つになっていると感じる。現実は人夫々だ。それが会社などの組織の中で起こるとパワハラと言われるが、単独のスタートアップ組織で起こる場合は生き残りをかけた戦いと見なされることを忘れてはならない。

というのが私の「振り返れば私はハラスメント?」の退職20年後の反省だ。今のマスコミの一律「ハラスメント批判」が続き誰もがそれに倣うと、10年後の日本は競争力を失い衰退しているだろう。幸いなことに私は寿命が尽き最悪の日本を見ることなくこの世にいないと思うが。予想が外れればそれはそれで良いけど。■
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