画像は、使っていた硯。宮城県の雄勝硯。画像のものと手の平、半分ほどの大きさのは、写経の時に使っている。原石を、ぱぁかぁっと割った自然のものがいい。蓋に、図柄を刻したものもあり、硯のヘリが広くとってあって、そこに模様が刻したものも、好まれているようだ。日本各地に、硯の産地がある。その土地土地で、特徴があるのだろう。硯と云えば、中国の硯が有名なのだが、それは古硯のようだ。硯も、ご多分にもれず、人造硯の、安価の輸入品が多いという。写経の時は別として、墨を摺り。文字を書くことがなくなった。、
これも、「おかげさまで」に、綴った一文。定期の診察が終わり、帰りのタクシーを待っていた。「家ちゃ帰えっぺぇ」、「家ちゃ帰っぺぇ」と、何度も云う。「もうすぐ、タクシーがくるから」と、なだめていた。家に戻り、車いすのまま、廊下にあげてもらうと、見慣れた部屋で、よっぽど、うれしかったようで、大きな声で、「みちこさまがぁ、帰ぇってきたぞぉ。みちこさまがぁ、帰ぇってきたぞぉ。誰がぁ居ねぇのがぁ」と。自分でも、おかしかったので、大声で笑い、また、同じことを叫んで、大笑いをしていた。今でも、時々何かを、思い出し笑いをしている。
画像は、「お陰げさまで」に、綴ってもの。介護するようになって、10年が過ぎる。最初は、九十三歳に、大腸腫瘍の除去で、約二か月間と、一年後、高血圧症で、約二週間、その後、二回の脳梗塞で、約二か月の入院をした。それ以外は、見慣れた部屋で、車いすと、ベットで過ごしている。住み慣れた家が、落ち着くのだろう。今もおしゃべりをしている。でも、言葉がはつきりと、聞き取れない。静かだなぁと覗くと、もぐもぐもぐと、何かを、ひとり語りをしている。まだまだ、元気でいるようだ。