きのうのばあちゃんは、眠り続けていて、朝、昼、夜と、欠食だった。遅い時刻に、ポカリ160ミリリットルと、大きいカップのプリン一個を、食べたと聞いた。今朝のご飯は、普通通りに食べた。午後は、週に一回の点滴をしている。数日前、なにやら、ひとりおしゃべりをしていた。のぞくと、「あの世さ、行くんだぁ。あの世さ、行くんだ」と、言っていた。「あの世さは、千治じっさんと、おこうばっぱぁさんが、みちこぉって来るから、そしたら行くんだょ」と、二、三回言って聞かせた。でも、最後は、「この!ばかぁ!」と、一喝。「あっ、ごめんごめん。おしっこ、そこにしていいよぉ」って云って、ひとりにした。この一喝では、あと数年生きているようだ。一日一日が、延命としているので、あの世へは、笑顔で送ることにしている。それにしても、悪口は、はっきりと聞き取れる。
「喝 !」。 手造りのしおりに、貼り付けるかなぁと、隷書体、楷書体、行書体で、書いてみた。作ろう作ろうの気持ちが、ありありと見えてだめ。画像の中から、一つ選ぶ。しおりを作るのは、まだまだ先。またそのうちに、気分が乗ったら書く。国語辞典には、「喝」は、「禅宗で、ちかった考えや、迷いをしかったり、さとらせたりするときに発する叫び声」とある。数年前だが、画像の山門の寺の和尚さんと、雑談をしていた時「喝」の事を聞いた。葬儀で読経の最後に、「くわっ」と叫ぶ。昔かぁしは、侍をあの世に送り出すのに、この世の未練を断ち切る意味があるとのことだった。「喝」を思いついたのは、一喝するのもいいかぁ。たぶん、「徒然草」は、吉田兼好、臨済宗のお坊さんだったと、記憶している。間違っていたら、ごめんなさい。
一週間前、満開の桜を、カシャッとした。一筋の白雲、飛行機雲だぁと、アングルを変えようと、覗いてみたが早い。飛行機雲の先端が、撮れていたのはこれがいい。飛行機は北へだなぁ。仕事での人や、観光の人が、北へ向かっているのだろうなぁと。「北かぁ」と思いながら、数日前、ラジオの歌謡スクランブルを、ながら聞きしていた、「北帰行」の「窓は夜露にぬれて みやこすでに遠のく、---」と、頭の中に歌が流れてきた。いつの時代の頃の歌なのかと、ネットでみた。旅順高等学校の寮歌が、元歌のようだ。旅順はと、またネットをみた。先の大戦で、敗戦になり、ソ連軍が進駐してきて、接収され、廃校になったという。もの悲しい思いのするのは、異郷からの思いなのだろうなぁと。小生自身の、いろいろの思いのある、昭和の時代、平成の時代か終わる。小生の令和の時代は、ばあちゃんが、この世から別れ、自身も、よわい八十と三歳が過ぎた。高齢になって妻は、ばあちゃんの食事と深夜におむつ交換と、介護を続けている。子どもの時の病弱の影響があるのかも、腰が曲がってしまい、歩行もままならない。悲観が多い日日でもある。しかし、今、できることを、無理をしないでと、前を向いている。そして、「なるように、なるさぁ。先のことなど、分からない。ケ、セラせラァ」と、気負わずにしている。毎々、あっちゃこっちゃのことを書いています。ご容赦のほど。