八十路徒然なるままに

春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず、春はやがて夏の気をもよほしーーー。徒然草より

日向ぼっこ

2021年12月21日 14時07分43秒 | Weblog

久しぶりに、廊下で日向ぼっこ。一年と三か月振りになる。それまでは、定期の診察で、迎えの車が来るまでとか、診察から戻ると、周りを車椅子で散歩をしたりしていた。頭からの日向ぼっこに、暑くて大怒り。部屋に戻すと、騒ぎは収まった。いつもと違うので、大怒りのようだ。誰かと、ひとりお喋りで、薄笑いをしたり、何かを話して、「そおだよぉ」と、納得したりしている。感情があるので、まだまだ大丈夫だ。百歳になる前の頃は、お喋りをしても、受け答えが出来ていた。我が身を思い、「死ぬんだぁ」と言っていた。百歳の記念の小冊子に、お喋りのことを、「死」と題して綴りこんだ。「食べたくても 呑みこむことを忘れして 死ぬんだぁて つぶやき涙する」。「死ぬんだぁと 麻痺の左手 引き上げて 海へ連れていけと 真顔しかめる」。「死んじやったぁ 豊間の灯台から どぼんだぁ 生きていても しょんめぇと」。「じゃんぽんだぁ じゃんぽんたぁと 叫び出す 眉間のしわも 行く末思うのか」。「あの世には だぁれもいねぇ 真っ暗だぁ おっかねぇから 帰ってきたという」。「おれは死ぬのがぁと 真顔でいう 点滴の落ちるのをみて 問う」。ある時は、「ばあちゃん、おはよう、朝になったぁ、眠ったのげぇ」と声をかけると、「眠むんねぇ。生きていた方がいいのか、死んだ方がいいのか、眠むんねぇで、考えていたんだぁ」と。「ばあちゃん、千治じっちさんと、おこう、ばっぱさんが、みちこぉって、来っから、そしたら、行くんだょう」と、言い聞かせていた。終わりが分からない介護が、まだまだ続く。


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