八十路徒然なるままに

のどかなる日影に、垣根の草もえ出づるころより、やや春ふかく霞わたりてーーー。徒然草より

「家族」として

2021年12月28日 13時00分59秒 | Weblog

画像は、書置きしていたもの。ばあちゃんは、今日も元気。車椅子の上で、眠っている。以下は、百歳の記念の小冊子に、「家族」と綴り込んだものです。「認知症の むずかる母の 手をなでて まどろむ妻の 涙ひとすじ」。「かあちゃんよぉ 早く来ぉよ 居ねぇのげぇ すうっと出ちゃた 世話かけるねぇ」。「孫娘からの お年玉に 嗚咽して これだけやれよぉと こぶしひろげる」。「娘は七十二 買い出し時代を 思うのか 認知症でも 七つの子を歌う」。「かぁらぁすぅ なぜ泣くのぉと 歌いつつ おっぱいやれよぉと 昔を思う」。「おめぇも来ぉ 早く来ぉよ みんな来ぉ 家族写真を さびしげに呼ぶ」。いろいろとあったなぁと、思い出しています。もう一話。九十五才頃のこと。「ばあちゃんご飯だよぉ」と、お盆を持っていくと、「おれは、いい、おれは、いい」と、手でも遠慮する。「これは、ばあちゃんの分、皆ぃんなは、あっちで食べるから」と、言い聞かせる。スプーンを使い、口いっぱいに、ほほばる。「ゆっくり、食べんだょぉ」と。「世話かけるなぁ」と。食べてる間、ずうーっと、目をつむっていることがある。「眠たいのげぇ」と聞くと、首を横に振る。「何か考えてぇんのげぇ」と聞くと、「いろいろ」と、ぽつり。ある時は、口をへの字に、泣きべそで、口が動かない。口をとんがらかして、こらえている。ぽろぽろぽろと、涙がほほを、つたって落ちる。「泣くさんなぁ。大丈夫だから」と、肩をとんとんとんと、たたいてやる。ウゥウゥウぅって、泣き出してしまう。「器、下げっかんねぇ」というと、「ごっつぉさん」と。ふがいなさを、悔やんでいるのかも。


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