当時の三月十六日は、原発の深刻な事態を、テレビに見入っていた。ハイエースの燃料はわずかなので、給油所探しに走行をしていた。画像は当時のもの。18日に、福島市の市役所へ、給油できる方法はと、聞きに行った。ガソリンスタンドの一覧表を頂いた。でも、要請をしているが、場所までは分からないとのことだった。十九日になって、自転車を借りて、買い物に行く途中で、住宅街にあるスタンドが、開いているのを知り、急ぎ戻って、行列の最後尾に並ぶことが出来て、軽油が、20リットル。これで、いわきへ、戻れるので、翌20日に出発となった。避難先で朝食を食べて終えた。すぐに、車いすのばあちゃんを載せるスペースを開けて、ポータブルトイレを、介護用のマットレス、おむつや、冷凍の食べ物を、見回り品を詰め込んだ。避難でお世話になったお礼の挨拶もそこそこに、出発した。四号国道を南下していた途中のガソリンスタンドで、段ボールに軽油と、大書きしてのを走り見て、引き返して、満タンにできた。道の駅のひらたで、午後の二時、閉店時刻すれすれで、あつあつの、山菜そばを食べた。ばあちゃんは、車椅子に固定してあるので、ペットボトルの茶といただいたおにぎりで、遅い昼食だった。夕刻に家に到着。荷物をおろし終えて、すぐに、市役所に、お知らせを取りに行った。