八十路徒然なるままに

冬枯れのれしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとどまりて霜いと白うおける朝ーー。徒然草より

懐かしき昭和

2022年12月06日 21時11分01秒 | Weblog

画像は、昭和40年の記念切手。趣味の切手のシリーズとか。たまたま整理中にあった。昭和時代は、63年間。物心ついた10才頃に、敗戦になった。父親が、鉄道員だったので、官舎という鉄道線路沿い住んでいた。暑い最中に、機関車が、ばらばらばらっと、襲撃されたのを、見た覚えがある。一瞬だったと思う。昔のことをいっても、しょうがない。小生、生きながらえて八十七年になる。ことわざに、「日暮れて道を急ぐ」というのがある。「年を取ってから、人生の目的を果たそうと、あわててはじめること」という、意味もあると読んだ。人生の目的とは、なんぞやと、自問してみたが、我がことながら、分からない。自営業時代は、家族を養うこと、従業員の家族を養うことが、第一であり、そのためには、数多くの、人とのつながりが、大事な事と、胆に命じていた。人とのつながりには、迷惑はかけなかったと、思っている。在宅介護は、14年間かな。直接には、たまあーに、おしゃべりの相手と、夕食の介助等で、その日の目的があった。今年の八月に、それも終わり、今は遺品の整理する。そのあとは、我が身の、断捨離。目につくのは、本棚。追い追い整理する。毎月買う雑誌で、終活、終活と読む。ある雑誌には、八十を超せば、あれこれと、制約しないで、ほどぼとがいいと。今は、まずまず、健康で、薬に頼らなくてもいい。薬は、「屁一つは、千服に向かう」ー「おならをするのは、健康によいという」とか、定期の処方薬は、三種。つつがなく生きるとする。画像とは別の、毎度の支離滅裂です。午後に、ネットに接続できないと、エラーで苦慮してました。夜になって、えぃやぁって、立ち上げたら、記載できました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする