七十年ほど前の中学校の卒業以来、この0君とは、一度も顔を合わせたことがない。近年作っていたクラス会の交流誌には、手書きで、俳句、介護のこと、病いのこと等を、寄せていた。死去のはがきを見ながら、介護のこと、病のことは、自分のことだったのかぁと、推測をしている。五十歳の頃だったと思うが、小生の叔父が、中道り地方の教育事務所に居たころ、この0君と、面談があり、一度お酒を飲んだと、叔父から聞いた。0君は、教員をしているのかぁと、思っていた。時がたって六十過ぎたころから、小生がクラス会の幹事を引き受けた際に、ほかの幹事が住所を捜しあてた。クラス会への出欠の返信に、数人が、近況を書き添えてあったので、それを切り貼りして、小冊子を作った。この小冊子に、0君が前述の、介護や病いの事を切実に書いてあったのを綴った。クラス会の交流誌は、寄稿が無くなり、六回で終了、年賀の挨拶も、数年前に絶った。数年前に、義母が、大腸腫瘍かもと診察した、かかり付けのお医者さんの告別式があった。0君が親戚筋と聞いていた。もしや0君が座しているかもと、見廻したがわからず。でも、じいーっと視線を送っていたのが、0君だったのかもと、思い出している。
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