このころから、背景を描き、配色を確かめ、それを、消しゴムで、文字の形を作った。フロッピーに書きこみ、それを呼び出し、どんな文字がいいかぁと、消しゴムで形を、作った。消しゴムで消した白い部分に、色を塗布して、仕上げた。
一筆書きのでは、これが一番いいと、自画自賛をしている。文字の「色」と「空」が、ちょっとずつ違っている。「即」は、右と左を違わせている。一気書きを、何度もくりかえしたが、これ以上のものは、書けなかった。
約30年前に、マウスで描いたもの。現在も、「IMEパット手書き」で、マウスで書くことができる。ご来訪していただいたいる皆様方には、「「釈迦に説法」だと、承知はしている。当時のパソコンのマウスは、描く線が、太い線と、細い線の、二通り使えた。画像は、太い線を使って、一気に書いた。カラーのドットプリンターのヘッドが、限界に達して、だましだまししながら、紙に印刷をして、残した。経年による色の劣化をしている。繰り返し繰り返しの印刷で、色も濁っている。自我自賛だが、昔かぁーしの自慢気をするので、「鼻持ちならない」ようでしたら、ご閲覧の時間の無駄になるので、ご了承ください。
かれこれ、20年前になる。父親からもらった。使うにしては、重すぎる。墨を摺った形跡はない。飾りすずりなのか。これまた、お宝のすずりなのかぁだ。小生が、買ったすずりは、宮城県の雄勝産の、ふた付きのもの、大と小。これは、実用していた。各地に、硯の産地があるので、ちょっと、欲目をだして、調べるのも、一興かもしれない。硯に関しての本を、筆を習っていた時に買った記憶がある。手っ取り早いのは、その本を、探すこと。不要品のかたずけをしたとき、本を廃棄してしまったかなぁ。まずは、磨いてみることだなぁと、ながめている。
画像は、先日の新聞より。戦争に備えての、訓練したようだ。どれくらいの日本人が、韓国にいるのだろうか。救出するようになったら、かなりの混乱になるのだろう。混乱につけ込んで、混乱が起きるのかぁだ。大変なことにならないよう、願うしかない。北朝鮮と韓国は、先の戦争で、分断されたという。
小生の今年の一文字は、「礼」にした。よわい八十二になると、まずまずの健康に、「ありがとさん」。食事も美味しく食べられるので、「ありがとさん」。在宅のばあちゃんも、元気にしているので、「ありがとさん」。家族も、まずまずの健康で、「ありがとさん」。拙いブログに、来訪していただき、「ありがとさん」。今のところの、身の周りのことに、「ありがとさん」と、言うわけで、「禮」にした。
年賀はがきの裏面を、仕上げた。今回、約140枚、印刷をした。図柄は、今、思うと、あほぉかぁだ。よくもまあ、閑人だったなぁだが、描画している時は、何度も描いて、フロッピー10頁に書きこんで、あれがいいかぁ、これがいいかぁと、楽しんでいた。画像の上のものが、ドットプリンターで、打ち出したもの。印刷は、インクリボンの、黒、赤、黄、青を、カクカクカクカクと、プリンターヘッドが、色を塗っていた。まっさらリボンは、発色が、鮮明だったが、何度も、色を塗っていると、画像の上の部分のように、濁ってしまった。パソコンのOSが、ウインドウズになって、フロッピーの役目が終わった。ウインドウズになってからも、描画をしてみたが、なんか平面的な画になったので、やめてしまった。画像がフロッピーに入っていたのは、全部廃棄をした。業務を終えた、ドットプリンターは、分解して、廃棄をした。
ゆず。表皮は凹凸して、香りが強く、果汁は酸味が強い。冬至には、柚子湯に入る習慣がある。あちらこちらの本をぺらぺらした。永田久著に、柚子湯に入るのは、邪気を払い、香りを楽しみ、ひび、あかぎれを癒し、風邪の予防にも効果がある。「柚子」を「融通」をきかせて、世を渡るという語呂あわせする縁起でもあると、読んだ。「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で、なりさがる」というように、実がなるまで、長い年月かかるので、風雪に耐えぬいて、成功するシンボルのひとつとして、柚子が尊重されたとも読んだ。別の辞典には、「桃栗三年、柿八年」のあとは、「梅は酸いとて十三年」。「柚は九年で花盛り」。「枇杷は九年でなりかねる」などと、言葉をつなげてもいう、とある。なるほど、なるほどだった。ついでに、このブログは、「物数言えば、くずが出る」と、吾を、評している。
ばあちゃんは、毎日、食べているので、体に栄養は、まわっている。排便には、気を使っている。三、四日、排便がないと、野菜ジースを飲ませる。訪問看護師さんは、食べることと、排便の事は、いつも注意をしている。大腸の腫瘍を切除しているので、排便の事は、十分注意をするようにと。今年は、9月下旬に、誤飲の発熱があった。発熱が続けば、肺炎をかもと、覚悟をした。でも、検査の結果は、大丈夫だょと。咳き込む状態は、今月になって無くなった。我が家は、つつがなく、越年できる。食べれることの、ありがたさだろう。
前掲の続き。おせちは、一個あたり、約1500円になる。いつもの夕食のおかずの一品は、500円から650円のものにしている。パンフレットによると、食材そのものの繊維を、酵素の力で、軟化加工をするという。常食と比べると、硬さは、100分の一から、1000分の一になる。舌でくずせるほどの柔らかさになっているとある。味は、懐かしい味、本格的な味、食材本来の味に、こだわっているという。小生が、月に一度の診察日に、お医者さんは、「美味しくご飯食べてますかぁ」の、問診がある。「元気ありますかぁ」とも問診。「から元気です」と答えると、「心臓の音、聞いてみます」と、聴診器をあて、「心臓も、肺も、元気です」と、言われる。人間、食べれることが、一番だあ。とりあえず、ばあちゃんが、おせちを食べれるので、もうすぐの正月の、祝いができる。
ばあちゃんの、おせちが届いた。毎年、元気で、正月を迎えられるなぁと、注文をしている。今日も、元気だ。昨日は、眠り続けて、お昼の軽食、夜のご飯は、欠食だった。深夜になり、目をさましたので、ポカリを240ミリリットルと、大きいプリンを、1個食べさせたと、聞いた。前前夜は、頭の中が、異常になり、おしゃべりが続き、時々、大声で、何かを話している。これが、二階まで聞こえてくる。しょうがねぇなぁでいる。おせちのこと。以前は、ベットの上の卓に並べると、「旨そうだなぁ」と、目を細めて、ニコニコしながら、食べていた。最近は、常食も、並べられているのを、ちらちらと見ながら、食べている。常食も、「摂食回復支援食」という、形そのままのおかずを、一品食べさせている。