在宅介護になってから、孫が、「ばぁちゃん、はい、お年玉」と、手渡される。うれし涙を、右手のパジャマの袖で、拭っていた。元気なころは、着物姿で、お正月を迎え、帯にはさんでいた、お年玉の小袋を、孫娘に、「お年玉だょ」って渡していた。「どうも」なんて、一言の礼だった。ありがた味が、分からないのかぁと、心配していた。今は、「ばぁちゃん」と、声をかけるだけ、いいかぁだ。近年は、お年玉をもらっても、手に持って、裏表を見るだけ。
以前のある日のことだが、四六時中、部屋の中なので、陽光を肌で受けるよう、廊下に出す時がある。ガラス戸をあけ、両手に、直接、太陽の光を受ける。最低15分間は、北風が冷たくても、我慢をさせている。もの珍しく、外を眺めている。「お寺さいくべぇ、あの世さいくべぇ」と、しきりに云う。「暖たかくなったら、車にに乗って行くべぇ」と、慰めるしかない。
いまでも、夜の間、なにか声を出して、しゃべっている。「じっちさぁーん、ばっぱぁさぁーん」と、呼んでいる。ふがいなさを、悲しんで、親に助けを、頼んでいるのかも。薄明りの電灯の下で、大きな目をして、しゃべっている。ばあちゃんの悲しい顔をみると、小生も、悲しくなる。幾つになっても、父親母親を、頼りにしているだろう。
軽度の、脳梗塞が、発症してしまい、入院治療後に、在宅介護になり、ご飯を食べさせていた。当時は、介護の様子や、ご飯の食べ具合は、知らなかった。日中は仕事、夜も食事のあとは、別棟で仕事の残りをしたりだった。あるとき、なんの気はなしに、朝のご飯を食べているところに、行った。すると、「それ食べろ、それ食べろ」と、無理じいをしていた。眠たいのを起こされて、機嫌が悪い。聞くと、前日も、十分には、食べていないという。まずは、安静にと、ベットに寝かせて。食べるしぐさをみると、口に入った食べ物を、舌で押し出す。飲み込む舌の動きが出来ない。飲み込む舌の動きが、できるようになるのに、ひと月かかった。今でも、半分眠って食べているときは、無意識に、舌で押し出してしまうことがある。
在宅のばあちゃんは、104歳の正月を、迎えられる。十年前に、大腸腫瘍を、切除の手術をした。無事に終わり、普通食になった朝ご飯に、添えてあった味噌汁を、「美味しそうに、のんだんだ」と、付き添っていた妻から聞いた。その状景を、詠んだ。味噌汁、そうかぁ、我が家のを、ポットにいれて持っていき、ご飯の時、隠れて食べさせた。その後は、順調に回復して、退院。約二か月弱の入院で、足の筋肉も衰えてしまった。食べることで、生きている。それも、元気にだ。別の話だが、料理家の土井善晴氏のエッセイに、料理をいただくときは、両手を使って、小鉢にものは、手に持っていただくと、一層美味になるという。短歌も、たしなんでいない。画像は、思いつくまま、書き残しておいたもの。