占いついでに、手相もあるなぁ。暦を、ぺらぺらめくってみた。専門語なので、理解は不可能。手相は、なんか統計学から、由来しているとも、読んだ。右手は、寿命をみる、左手は、運勢をみると、読んだ。手相の事を、ぺらぺら読んだだけではダメ。専門書を精読して、実際に、何百回も経験をすれば、理解ができると思う。はるか昔しの労働者時代は、手のひらを、ひろげて、「働けど働けどーーー、じっいっと手をみる」だった。現在も、これを実感している。過去のことで、へなへなしても、しょうのないこと、現在は、「身に勝る宝なし」の、ことわざを思い出している。別のことだが、落語に、「ばいぼく」を、生業にしている話を思い出して、何のことと、?だった。「売卜」とは、手相術者と、理解をした。パソコンで、「ぼく」を、変換すると、「卜」が表示される。へぇだった。あっちゃこっちゃのことでした。
昨日、ひな祭りは、陽の数字が重なった、五節供の一つと書いた。奇数が、「陽」の数字は、易経にあると書いた。間違っていたら、ゴメンナサイ。大昔に、ひやかしで、占なってもらったことを、ちらっと書いた。占いは、易経に基ずいて占うこと。易経はと、あちこちと、めくってみた。かなり難しいので、ゴメンナサイ。占なうは、「将来の運命や物事の吉凶などを判断する」とある。ならば、我が身の、三年先、五年先はと占ってみた。その卦は、「天山遯」ーてんざんとんー、「運が衰えているとき」と出た。この卦が出た時は、「三十六計にげるにしかず。一時退いて次の機会を待つ」とある。これから先々は、無理をしないで、流れに逆らわず、時を待つ。現状のままの状態を維持すればいいのだろうと、自分を戒めるものだと、解釈をした。これは、かなり昔の、黄小娥著、易入門からです。積読く本を、積み替えた中に在った。画像は、筮竹なしで、硬貨の表裏を使って、算木のかわりにした。ちょっとでも、占った気分と思い、画像の算木は、黒色の紙を裁断をしたもの。
「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花ーーーー」。今日は、ひなまつり。奇数の数字が、重なるので、目出度い日、五節句の二番目の、三月三日。なんで、奇数がめでたいのは、易学が由来なのかも。別の事になるが、八卦というものがある。難しいことは、わかりません。算木というものの、六枚を使い、表を陽として、裏を陰にして、一枚づつ置いて、陰と陽を組み合わせて、占うこと。占うというのは、未来のこと。ならば、我が身の体のことでは、将来何かの異変があるはず。何時異変になるかは、知る由もない。頭か、手か、足か、はたまた、内臓か。大昔に、酔狂で、易者に、手をひろげて、算木で、占ってもらったことがあった。何だったかは、忘れてしまった。易は、物事の予知をするというので、なにかしかの、頼りになると思う。自分への戒めもあるのかも。あちらこちらを、ぺらぺらめくって書いたので、うわべだけしか、わかりません。
今日は、北風が吹き荒れている。肌寒い。画像は、拙い冊子の中仕切りの一枚。書いたのは、かれこれ十年ほど前で、気を紛らわせだった。ああだなぁ、こうだなぁと書いた中のもの。これは、色紙を縦て、羊毛筆に、墨を含ませて、一筆入れたら、墨が流れた。なんか、いいなぁと残しておいた。あらためて、「心」はと、辞典を読むと、1、こころ。2、心臓。3、胸ーーー。象形は、心臓の形とある。分厚い大樹林をめくると、「1、人間の体の中にあって、広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるもの」と。「2、人間の精神活動を、知、情、意に分けた時、知を除い情、意をつかさどる能力、喜怒哀楽、快不快、美醜、善悪などを判断し、その人の人格を決定すると考えられるもの」とある。なるほどなるほど。別のこと。あの世に行ったばあちゃんが、お喋りができたころのこと。「だんじゃかさんが、めぐんでくださぁーいって来たから、はい、どおぞぉって、めぐんでやつたんだっと、こころが、だいじなんだっぺぇ」と、聴かされた。在宅介護になってから、お喋りの相手を時々していた。狂暴になった時も、ストレス発散だっぺぇと、相手をしていた。「心」の一文字、いろいろと、考えさせられている。
午後三時ころの気温は、16度前後のようだ。日中の最高気温の平年値をみると、4月の中旬頃のになる。暖かいが、このまま経過するはずはない。寒暖を繰り返して、季節は巡っていく。過去の三月の事を、書き残しておいたのをみると、「早いサクラの開花」、「桜早咲、遅い満開」、「全国的に温暖」、「菜種梅雨顕著」、「水不足一息」、「冷春」、「並み春でも波乱あり」とある。その年年で変動がある。今年の三月は、どのようになるのか。画像のことです。冊子は、最終段階で、挟みこむ写真、A4の大きさを四枚、二枚づつに貼り合わせて、挟み込む。これもあと、20葉になる。そのあとは、製本テープを貼って終わりになる。印刷は、プリンターが、順調に動いたので、すんなりと終わった。画像の、「石」は、表紙、「一陽来復」は、裏表紙。「石」は、松原泰道著ー「禅語百選」の中からです。その中に、「石徳五訓」があり、中の一例を書きます。「黙々として、山岳、庭園などに趣を添え、人心を和らぐは、石なり」とある。「禅語百選」は、時々開いて、なるほどなぁと、読んでいる。50数年前に購入した。「一陽来復」は、「新年が来ること」、また、「「悪い事が続いた後で、幸運に向かうこと。陰の気がきわまって陽の気にかえる意」とある。禅語を理解するのは、難しいなぁだが、時々、読むことだけしている。