神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

やっち と よっち

2016年09月19日 20時22分08秒 | 明治維新の整理

「おまえたち夜中に望遠鏡なんぞもって歩いていると、近所からろくな事言われないぞ!」

よっちの親父がしかめっ面でよっちにいう

相手は小学生だというに、「のぞき犯」の濡れ衣はひどすぎると思ったが

近所の駄菓子屋の息子、やっちを訪ねて、「こうこうしかじかだから、今夜から天体観測は

田んぼへ行ってやろう」となった

やっちは、よっちより1歳年下の小学五年生だ、後年早稲田大学に入ることになるそこそこ秀才

そのあと大手損保に入社して結婚、順風満帆の人生を送るが、バブル崩壊、相次ぐ上場金融会社の崩壊で

倒産、失業の憂き目を見ることになる

ともあれ、今は無垢な小学生だ

田園の中で見る秋の夜空は、住宅街で見るよりはるかに星の数が多い

東から昇ってきたスバルに望遠鏡を向けると、まさに青白い宝石箱

例えようのない美しさだ、口径わずか40ミリの屈折望遠鏡でも感動の連続

木星の周りには4つの小さな点、これはガリレオ衛星、大きなものは地球の月より大きい

夢中になって見ていると、やっちが大声を出した

「あっ!火事だ」

指さす方を見ると、田んぼか畑か火の手が上がっている

「たいへんだ!消さなきゃ」

時間は夜の9時頃、周りには人っ子一人いない、いるわけがない

「僕は水をくんで火を消すからやっちは大人を呼んできて」

よっちは用水の水を近くの畑にあったバケツにくんで火に向けてかけた

火の勢いはそれほどではないが、広い範囲で燃え広がっている

何回か往復して水をかけたがいっこうに消えそうもない

「たいへんだ、たいへんだ」

よっちは切ない気持ちになった

すると突然背後から 「こら、おまえ何をしている!」

大人だった、やっちが連れてきたのかと思ったがちょっと早すぎる

「火事です、今ぼくが消しているんです、でも消えません手伝って下さい」

大人はしかめっ面で言った

「消さなくていい、おまえにはわからないだろうが、俺が畑を焼いているんだ」

よっちにはわからなかった、だが余計なことをしてしまった事はわかった

「まあいい、少し消えたがたいしたことは無い、もう二度とお節介はしないでくれ」

大人はあきれたように言ったが本気で怒っているわけではなかった

よっちは良いことをしたつもりが少し叱られてがっかりした、同時に安心もした

そこにやっちが息を切らせて戻ってきた

「大人はいないよ」

 

それから数日後の日曜日、よっちとやっちは、早朝に同じ場所の農道を走っていた

朝の空気はひんやりしてうまい

まもなく校内マラソン大会があるので練習をしようと言うことになったのだ

よっちは昨年5年生の時にはクラスの男子では一番早かった、けれど学年では11番で

10位までの賞を逃がしてしまったのだ、どうしても今年は入賞したい

そう思っている、それにもう一つ理由がある

それは去年同じクラスの女子、学年全体ででかずみちゃんが3位、えみちゃんが5位だった

えみちゃんはよっちの憧れの女子だ、そのえみちゃんに去年結果発表のあとで

「よっちくん残念だったね、あと一人なのにね」と声をかけられて舞い上がったのだった

だから(よおし来年は絶対賞をとるぞ、そしたら、えみちゃんはきっと褒めてくれるだろう)などと

鼻の下を伸ばしているのだ

 

さて、そんな事を考えながらにやにやとして、よっちは快調に走っている

後ろを見るとやっちは遥か遠くで、歩いたり走ったりだらだら状態

やっちはガリ勉タイプで運動はからっきしなんだ、それでも一緒に走ってくれるのはきっと友情なんだな

よっちはスピードを落としてやっちを待つことにした

おりしもそこは、この前の火事騒動の畑の近くだった

おりもおり、そこで作業をしていたおじさんはあのときの大人だった

それがよっちとやっちを見つけた

「おい、この前の子供だな、今日は早くから何をしているんだい」

「マラソンの練習です」

「そうか子供は元気だな、夜中から早朝までよく頑張る・・・・」

「そんなに元気ならちょっと手伝ってくれないか、小遣いをたっぷりやるから」

「やっちどうする、小遣いくれるってさ」「やろう、小遣いくれるんだから」

大人の言うとおりに、畑に枯れた藁のようなものを蒔いて歩いた

思った以上に広い畑で、もしかしたら稲刈り後の田んぼだったかもしれない

慣れない仕事だから時間もかかる、1時間弱の労働は終わった

「おじさん終わったよ」「駄賃をください」

「よっし手をだしな」

二人の開いた手の平に大人は10円玉を一個ずつ乗せて

「ごくろうさん」と言った

「これだけ?、たっぷりくれるといったじゃないか」

「10円もあればたっぷりだろう」大人はうそぶいた

「そんなのおかしいよ」やっちが抵抗する 「おかしいよ」よっちも真似て言った

大人はうるさそうな顔をして、もう10円ずつわたして

「もうこれで俺はお金がない、これでおしまい、さあ帰れ帰れ、マラソンの練習なんだろ」

訳のわからないことを言って、隣の畑にすたこらと逃げていった

「卑怯者だ!」やっちが生意気なセリフを言った

「卑怯者かあ、だまされちゃったね」よっちもがっくりして言った

「もうここには来ない」「そうだねここには来ないとこうね」

「さあ走ろう! やっちもっと元気出して走ろうよ」

「ぼくの家に行ってキャンディ買って食べようね、20円あるから」

「そうそうキャンディ食べながらテレビ見ようね」

よっちの家にはまだテレビがない、毎週日曜の9時から10時まではやっちの家のテレビを

見せてもらっている

「やっちの家はお金持ちだね、テレビあるから」

「よっちの家だってオート三輪あるからお金持ちだよ」

他愛ない二人はいつの間にか練習を忘れて話しながら歩いていました。

 

 

 

 


憧れエミー

2016年06月29日 07時17分51秒 | 明治維新の整理

おれたちが子供の頃は

運動会と言えば乾いた土のグラウンドであった

 

ところで今日は中学校の競技会

競技場はオープンしたばかりの町自慢の全天候型

競技場だ

中学3年になったおれは100mの選手で

記録は12秒1(なぜ66才のおっさんが中学生でここに居るかは知らない)

直線トラックの端でクラウチングスタートのしぐさでかがんでみた

尻を持ち上げて、顔を上げキッとはるか前方を睨む

10mほど前に正式なスタートラインがあって

そこにはこれから走る女子が数名動いていた

その中に、ひときは足長すらりのエミーが

髪をポニーテールに結び、さっそうと闘いに挑むかっこよさ

どうにもエミーにはかなわない

勝てそうでかてない

エミーは100mを11秒台くらい出なければおれに勝てない

だが何度走ってもおれは負ける

エミーの公式記録は2年の時、12秒5だったと思う

負けるわけがないのになぜか負けてしまう

エミーのすらりとした姿態が示すように走り高跳びの記録もかなりのものだ

そのエミーが10m先でスタートの準備をしているのを見たとき

同じように四つん這いになっていたおれは急に力が抜けた

いや・・・力ではなく気持ちが抜けてしまった

急にやる気が無くなったというか、尻の力がす~っと抜けて

スローモーションで最新式の全天候型トラックの樹脂のうえにへたり込んだのだ

つぶれた蛙みたいに、ぺたーっと樹脂面に張り付いていた

顔から胸腰、つまさきまでのしイカのように平になり重力に押しつぶされた

ところが気分と来たら快感としか言いようが無く

それはエミーに完全に無条件降伏した快感であった

負けを認める幸せを感じたのは人生で初めてだった

おれを医務室に運ぶタンカの中で、おれは最高の喜びを感じていた

 


武田勝頼が真田の岩櫃城に行っていたら

2016年01月12日 09時58分18秒 | 明治維新の整理

武田勝頼は真田昌幸の進言を受け入れ、上州岩櫃城(いわびつ)に落ち延びた

従った家臣は3000、勝頼が落ち延びて2日後には徳川、織田の連合軍は甲斐に入り

武田重臣の小山田信茂を攻めたが、戦わずに小山田は降伏した

関東に強大な領地を持つ北条氏政は、徳川に連動して甲斐を攻めたが徳川.織田に

後れをとり、仕方なく真田の沼田城に兵を進めた。

真田昌幸は加津野信昌に1000の兵をつけ、沼田の後詰めに送った、戦意の低い

北条勢は、犠牲を出すばかりで退却した。

一方、甲斐全土を支配した織田、徳川はすぐには真田を攻めようとはせず、民心を

得る政策、残党狩り、軍団の整備を優先して1ヶ月を過ごした。

徳川家康は甲斐に、支援の1部隊4000を織田軍に残して、領地の駿府に戻った

織田の嫡男、織田信忠は兵6万を率いて真田の本拠、岩櫃城を目指した

遊撃として上田城にも1万5000を送った

こうなると武田の頼るのは、同盟を結んでいる越後の上杉景勝であるが、上杉も越中と

信濃深志(松本)の両面から伺っている織田勢に備えて身動きがとれない

ただ上杉、武田(真田)共に、背後だけは安心できるのが唯一の救いである

真田昌幸は、越後の宰相、直江兼続に密使を送った

越後はまだ天下の険「親不知」が要害になっているため、越中の佐々勢が攻め込む様子が無い

もはや、甲越は同じ宿命を背負って一心同体になるしか生きる道は無い、頭は2つでも体は1つ

として動くしか無い、今は必死の信濃に越後勢を密かに遊軍として送ってほしい

兼続は快諾した、そして越後勢としては精一杯の5000の兵を兼続自ら率いて、川中島を経て

地蔵峠越えで上田の東に散開させた

早朝、上田城からおよそ500騎が打って出た、寝込みを襲われた織田勢だが15000の圧倒的

兵力である、先陣は切り崩されたものの二陣の1000の部隊が真田勢を押し返した、といより真田が

退却を始めた、織田勢が追うとその横から突然、別の真田の一隊およそ300騎が突いてきた

これは上田城の西の葛尾城から押し出した部隊である

これにより、不意を打たれた織田の先陣が乱れた、そこに上田城からも入れ替わった新手の400騎が

押し出す、織田方も第二陣の右備え1000騎の新手を繰り出すと正面から激しいぶつかり合いとなった

真田勢は小勢故、次第に退きだしついに逃げ出した、葛尾勢は千曲川の北岸の丘まで下がったが

そこで体制を立て直す、それを南岸で織田方先陣1000騎が深追いせずに睨んでいる

一方、上田勢は城に逃げ込む、それを追った織田方1500騎が遮二無二に大手口まで攻め寄せたが

城方の弓鉄砲に反撃されて200騎を失い、後退した

後退をしたところに、今度は800騎あまりの城方がどっと追い打ちをかけると、慌てた織田勢は転がるように

逃げだし、パニックになったそれでまたもや100騎ほど失った

織田方は第3陣の2000騎を新手に一気に真田勢を殲滅せんと繰り出した、たまらず真田勢は敗走

しかし半分は城に逃げ込んだが、逃げ遅れた半数は川沿いに東を目指して敗走を始めた

手柄のたて時と織田勢の2000騎は追いすがる、およそ300騎の真田勢は千曲川の浅瀬を渡ると

織田勢も佐瀬を追いかける、真田勢は河原の小山の陰に逃げた、織田勢がそこに入った途端、一斉に

鉄砲が鳴り響いて、先頭の数十騎がたちまち打ち落とされた、正面右手からも再び鉄砲の音、これで

織田勢は合計100騎が犠牲になったが終わらない、3方向からどっと攻め寄せる大軍、僅か300騎と

高をくくっていた織田勢は目の前の大軍に腰を抜かした、それは上杉軍の援軍直江隊5000騎のうちの

1500騎であった、勢いが違う、作戦で敗走してきた真田300騎も加わりどっと織田方に攻めかかると

織田勢は立て直す間もなく、討ち取られ川を渡って敗走煮かかったが、土地勘の無いことと慌てているために

深みにはまって溺死する者、足を取られているところを討ち取られる者、おびただしい犠牲を出した

ようやく半数が川を渡って上田原の本陣を目指して逃げたが、上杉勢は付け入りどっと攻め込むと、すわ何事と

不意の出来事に、本陣の1万の備えは動転した、そこに敗走する織田勢が乱入してくる、さらに同時に上杉勢が

付け入ったので大乱戦となった、1万対2000であるが、こうなると攻め込む方に勢いがあり互角の戦いとなった

そこに上田城からも1000騎が押し出して横を突いたから、織田勢は崩れた、織田の本陣の備えから救援を送る

そのため大将の周りは、後詰めの500騎と本陣の2500騎のみとなった、その右後方から大音響が響いた

それは直江兼続自ら率いた上杉援軍の3500騎であった、名将兼続の采配の基、一糸乱れぬ勇敢な越後勢は

どっと、本陣に殺到してあっけなく織田方の大将、滝川一益の首を挙げたのである。

この上田原の戦いで織田方15000は壊滅した、生き残った兵は上州を目指して落ち延びた

 

この大敗北は、岩櫃城を囲んでいる織田信忠の本隊に程なく届いた

しかも上杉勢2万騎と上田勢2000が、ここを目指して進軍中という尾ひれまでついていた

織田信忠はこの城を攻めあぐねた、あまりにも険しい山城に加え、地の利を生かした真田勢

それに昌幸の知謀がものを言う

すでにここに攻め込んで3ヶ月、織田勢はいたずらに、この地にとどまったが成果がない

この別働隊の敗報を聞き、将兵の中には厭戦気分が怒り出している

そこに沼田城から矢沢頼康が率いる1500の精兵が闇に紛れて背後から夜襲をかけた

後に川越夜戦、桶狭間の奇襲と並び3大奇襲戦と言われる「吾妻真田夜襲戦」である

この戦で織田方は重臣を含め戦死480、負傷者1150、真田方は戦死50という

被害数としては少ないものの、織田の総大将の陣が僅かな真田勢に攻め込まれたショックは

大きかった、さらに兵糧を甲府から運ぶ織田の輜重隊が真田軍に襲われて、一部を奪われ

運べないものは真田によって焼却された

これによって織田方は甲府へ退却を余儀なくされた

そして1ヶ月後、織田信長が家臣の明智光秀によって殺された報が入った

信長の長男、織田信忠は供回り50騎のみで急いで安土に向かったが、塩尻峠で

武田の残党に襲われて戦死してしまった、あまりにも軽率であった

 

これを知った真田昌幸は直ちに甲州に兵を進めた、武田勝頼も同行したが一本の矢が

勝頼の、のど元を貫いた、これによって武田家は少年である武田太郎信勝に受け継がれ

真田昌幸が後見人となった。

矢が誰から放たれたかは今も歴史研究家の推測の範囲でしかない。

真田勢が武田の御曹司を擁して甲斐府中に舞い戻った、そして霧散していた武田家臣を

再び吸収すると瞬く間に30000の兵力になった。

同時に駿府の徳川家康も信濃に兵を進めて南信濃から木曽まで領地に加えた

真田は沼田からも、今の月野夜付近まで領土を広げた

そして、上杉への返礼に5000の兵を送った、上杉景勝は越中攻めを行って、越中半国を

手に入れた。

その頃、上方では大返しで明智を殺した羽柴秀吉が織田に変わって力を蓄えていた

それを快く思わない越前の柴田勝家とのにらみ合いが起こった。

これを知った真田昌幸は、今や親友となった上杉家宰相の直江兼続に持ちかけて

上杉、武田連合軍で越中に攻め入る事を決めた

昌幸35歳、兼続22歳の新進気鋭のコンビが誕生した

上杉軍12000、武田軍1万、合計22000を派兵、瞬く間に越中の織田家臣、佐々成政を

敗走させた、そして越中加賀の土豪士5000を加えて、越前に攻め込んだ

真田信幸、信繁兄弟も初陣として参加、大活躍を見せた

ここの領主、柴田勝家は羽柴秀吉との大戦で大半の兵を引き連れて出陣していたので

背後はがら空き、甲越連合軍は易々と越前北ノ莊まで手に入れた

一方、羽柴秀吉も賤ヶ岳で柴田勝家を破り越前に乱入した、そして逃げ道のない柴田は

自害した。

九頭竜川を境に羽柴と甲越連合がにらみ合う、だが秀吉は敵対は損とばかりに懐柔

してくる、真田昌幸、直江兼続との駆け引きは誠に面白いものだっった

それは皆さんも歴史教科書で習った通りです

その後、どうなったかは私から聞かなくても皆さん学校で勉強したから知ってますね

 

 

 

 

 


一日(ひとひ)・・・2

2015年12月09日 21時10分46秒 | 明治維新の整理

今日もまた一日が終わる

祭りのあと  旅の終わり  日没の一時間前

出忘れた電話・・・・・

どうしてこんなにもの悲しく 生きるのがつらい気持ちに

 

30000日の人生も 25000余日が過ぎて

一体 何をしてきて 何を得て 何のために生きてきた?

 

東西南北 あらゆる角度からの上から目線が

穴蔵で縮こまっている俺に

「哀れみ」をかける

 

それでも今日も又 一日を生きた

精一杯生きた  「頑張ったんだぞ!」と 胸を張っても良いんだ

酒食らって ひとりでグタまいて 寝て起きれば

また新しい一日が始まるさ


お馬鹿ゲーム おねだりゲーム

2015年07月08日 10時25分26秒 | 明治維新の整理

「デパートなんて随分久しぶりだ

ちょっと地下の食品売り場を見ていこう」

「おっ! あるある、ゴマ油を買っていこう

ゴマ油は高くても良いのを買わなきゃ、香りが全然違う

これこれ、小さいけれど2500円、これくらいでなけりゃ」

「へえ・・私も一本買おうかな」

 

「ねえ5階に用事があるんだけどつきあって」

「おやすいごよう」

「ここだ、こんにちわ! 抽選会はここでいいのよね」

「はいどうぞ」

「う~ん 当たってよ、お願いだから」

「あら当たりましたよ!お客様、オリジナルパラソルです」

「良いじゃないのこれ カラフルでかわいい、虹のデザインなのね」

「そうですよ 外国の有名デザイナーのデザインなんですって」

「へえ すごいすごい 彼といるといつもこうなのよ」

「それは それは おめでとうございます」

「嘘 嘘 冗談よ、本気にしないで・・・」

「ねえ私、今とっても良い気分なのね、どう?

化粧水プレゼントしてほしいんだけど、ねえいいでしょ」

「化粧水だって? うん、いいだろ」

「ありがとう ほんと好きよ」

 

「ねえあなた、これも買って良いでしょ」「...あぁ」

「あ!それも見せてよ、うんそれ透明な・・・そうそれ」

「おい、そんなにお金もってないぞ・・・」

「カード持ってるでしょ」

「そりゃあるけど」

「じゃそれで、お願い」「うん?」

「あなたじゃ無くて、店員さんに言ったの」

「じゃあご主人様、こちらにサインお願いします」

「やあだ ご主人だってよ・・・ふふふ」

「! 56000円だって!」

「いいじゃない1年に一回だけなんだから、感謝してるわよ」

「あなた、これ持ってちょうだい、手がふさがっちゃって」

「嫌だよ、こんな派手な傘」「お願いだから・・・ね! お願い」

「しかたないな」

 

「おい、なんだかへんなところに来たぞ」

「そうね、どこかしら?売り場じゃないわね」

「バックヤード? 社員専用通路? どこでどうなったのやら」

「エレベーターがある、あれで下りましょ」

「あらら、突然駐車場?」

「デパートの裏なのかなここは」

「まあいいじゃないの、日差しが強いから、そのパラソルさして

相合い傘で歩きましょ・・ご主人様!!」

 

 

 

 

 

 

 


僕のバランスボールは復讐の色

2015年07月06日 21時53分44秒 | 明治維新の整理

わたし最近になって気付いたんですけど

体の中にバランスのおもりがあるみたいなんですよ

そいつがね しょっちゅう、あっちに行ったり こっちに来たり

とにかく落ち着かないいんで

どうにもバランスが悪く

て・・・

バランスを保つためのおもりなのに

そいつのためにバランスが崩れる

これっておかしいでしょ? そう思いません?

この頃は、どこにいるんでしょうかね

どうも胸の辺りにいるようで心が苦しいんですよ

気のせいかもしれませんがね

気持ちがさっぱり盛り上がらない

ムラムラも起きなくなったし ウキウキも起きなくなって久しい

やっぱバランスが崩れてる

普通バランスってのは悪いのが5ならば良いのも5ですよ

中心が右に一メモリずれていたら、左の一番におもり1個

それでバランスがとれるってことでしょ

ところが私の今は おもりがみんな左に寄ってしまって

見てくださいよ、右足が75度も上に上がってしまって

これじゃ胃も痛くなるし 目も回るし 心は沈むばかりだ

どうにかして、ママならぬおもりを体のど真ん中に納められないでしょうか

そこの素敵なお嬢さん、お願いできませんか

あらら 逃げて・・・そりゃそうですよね

ところでおもりは1ヶって思っていたのに、何個かあるみたい

だから、まとまりがつかない

望みもしないのに勝手に出てきて、勝手に膨らんで

どうも脳みその中にも1~2ヶ入ってしまったようだ

不安になったり、はしゃいだり 心が定まらぬ

なんと言っても魂が魂の在りかに収まらないのは都合が悪い

みなさんも気づいたようで

毎日が屈辱の連続です 惨めです

実はね、あいつと、あいつと、あいつには

復讐を企てているんです

今に見ててご覧なさい 一気にバランスボールを吐き出して

復讐が始まるのですよ

 

 


原田泰治さんの風景画

2015年06月24日 10時07分22秒 | 明治維新の整理

美術家をたくさん知っているわけでは無い

昔からの有名画家、ピカソ、ゴッホなどは多少知っているが

現代画家は99%知らない

そんな中で原田泰治さんの絵は興味を引いた

最初にどこで見たのかは忘れた

信州に行くと、たまに諏訪湖の原田泰治美術館に立ち寄る

この作家は傍ら、知的障害の青年に貼り絵の才能を見いだして

指導したことでも知られている

 

原田さんの絵は僅かな広さの原紙が無限の広さの田園になり、海になる

四季豊かに、四季の色が多彩に、働く農夫、田舎の子供たち

飯山の高橋まゆみさんの作品にも通じる日本の原風景

ほんわかと心安まるのは同じでも

絵本画家の、いわさきちひろさんの絵のような垢抜けた感じは無く

ただひたむになドロや土と一日を過ごす田舎の人たちが描かれる

いつか、こんな絵を描いてみたいと思うが繊細すぎて

飽きっぽい私の性格では無理だろう

 

昨日、できあがった一枚

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水彩画を描いてみた

2015年06月22日 14時36分02秒 | 明治維新の整理

45年前のコンテ絵が出てきたせいか

ちょっと絵心が戻ってきたのだろうか

先月から、女性をテーマに絵を描いてみた

すでに4枚書いた

上手下手はともかく、何か新しいことを始めるのは楽しい

絵や小説、詩を書くのは何歳になっても出来る

これからずっと続けられれば良いと思っている

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