アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

本来は、「神様とつき合う3原則(2)」の予定でしたが、これは翌日回しにして別の記事を入れます。

昨日は、ここ数年珍しく、今月4日目の休みを満喫しました。医院に2カ所(整形外科と内科)行って、午後から出勤しようと思っていたのですが、留守をしっかり守ってくれる秘書がいるので、「在宅勤務」の口実で、家で仕事をしたり、音楽を聴いたり、そして、中野区の自宅近辺を自転車で周遊したのであります。

自転車巡りの最初は、新井薬師前駅(西武新宿線)に行く途上前を通る巽聖歌作の「たきびの歌」発祥の地。武蔵野の面影が残っている、と言われています。ただ、葉が散っているのが寂しい。

次は、哲学堂。
私は、中野区に住んで12年になりますが、哲学堂に行ったのはこれが2回目。いかに地域と縁が遠いかの証です。寂しいね。
河津桜が咲いていました。

自転車を置いて歩いてみると、意外に狭いこと。

最後は、新井薬師。別名梅照院。マイクを通して読経の声が流れていました。梅の写真を撮ってきました。



「こんな休み方もあるんだな」と思った、1人自転車のご近所巡りでした。まるでセミ・リタイア気分。たまにはいいかなこんな気分。
定年退職した人は、こんなふうに過ごすのだろうな、と思いました。

桜の時期は、また別の情緒がありそう。

おつき合いありがとうございました。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日に続いて神様・仏様とのつきあい方を話題にします。

私は、20年前から「神様とのつき合い方の3原則」を次のようにまとめています。

第1原則 神様は、人の願ったとおりのことを実現してくれるとは限らない。

第2原則 神様は、その人のために神様にとって必要なことを実現してくれる。

第3原則 神様とのコミュニケーションの習慣を持ち、しかも実現したかのように願ったとき、神様は、願いを聴き届けてくださる。

まずは、第1原則から。

今年の正月は、90,000,000人(9千万人)を超える人が初詣に出かけたと報じられています。一方、日本では八百万(8,000,000)の神々が存在すると信じられています。
ただし、人気のある神様・仏様は限られています。おそらく多く見積もっても100体くらいでしょう。

単純計算すると、正月3か日に人気の100体の神仏に90,000,000人が殺到することになるのです。単純計算しても、いくら全知全能の神仏でも1体あたり900,000(90万)人の願いをいっぺんに聴き届けるはずもありません。

その証拠に「初詣で願ったことが実現していますか?」といろいろな人に尋ねても、かなり実現性が低いのです。

このことは、正月3か日でなくとも、日頃信仰心の薄い人が「駆け込み祈願」「付け焼刃の願い」をしても、神仏は馴染みの人の願いを優先することになりそうなのは、人情ならぬ神情だと思いませんか?

人気のある神仏は、日頃からお忙しいのです。平素からお馴染みになっておかないことには、話しかけても気づいてくれませんし、気づいても後回しされそうなのは、分かりますよね。

今日は、第1原則だけ。第2原則以降は、明日のお楽しみに。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

20年前の1998年8月に私の精神世界の師である生涯教育の円円(えんまどか)様から「あなたの神社・仏閣での祈り方は間違っている。あなたのやり方は、祈りではなく神頼みだ」と、厳しい指摘を受けたことがあります。

私はそれまで、滝行、観音霊場巡り、写経、座禅などをやってきたし、朝に晩に神棚・仏壇に祈りを捧げていた人間であるため、このご指摘は、意外でした。
その旨彼女に伝えると、彼女から次のようにピシャリ言われました。

「神頼みと祈念は違うんです。あなたのやっている神頼みは課長・係長レベルのやり方で、社長であるあなたに必要なのは祈念なのです」

私は、その体験をまとめて、1989年10月5日発行のヒューマン・ギルドのニュースレターで、「神頼みと祈念」と題して次のように発表しました。

1.神頼みがあれもこれも神仏に頼むのに対して、祈念は、自分のビジョンや、いわゆる設計図を明確にすることに基づく。

2.神頼みが課長・係長の“ハウ・ツー(How to)”レベルであるのに対し、祈念は“ホワット・ツー(What to)”レベルである。

3.神頼みが外なる神仏に迷いながら頼むのに対して、祈念は、内なる自己に真摯に語りかけることである。

4.神頼みが依存心を基にして“テイク”を求めるのに対し、祈念は、自立心を基にした“ギブ・アンド・テイク”の関係を神仏との間に築く。ここで神仏に対するギブとは、祝福と感謝である。

この体験に基づく私なりの神社・仏閣での祈り方提案です。

1.神社・仏閣を感謝の場としよう。

2.祈らざるを得なかったとしたら、後日しっかりと報告に行こう。

3.祈った分だけ瞑想をして神仏のメッセージを聴き取るよう心がけよう。

神社・仏閣で頼めば神仏は力になろうとします。人間も同様です。しかし、頼めば当然報告義務が生じます。感謝は、報告義務を生じません。
また、語りかけた分だけ聴き取ることも必要です。その手段が瞑想、あるいは瞑想的生活(起きたことは必然・必要と受け止める生活)です。

今日はこの辺で。

珍しく8時近くまで眠っていた朝に



 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

3たび『人生を変えた感謝の名言』(斎藤茂太著、日本文芸社)です。

斎藤茂太先生は、この本の中で感謝だけでなく、広く勇気づけにつながる名言を紹介してくれています。
今日は、そのうちのいくつかをご紹介します。

人生は自分の手で、どんな色にも塗り替えられる」(沢田美喜、エリザベス・サンダース・ホーム設立者)

私は毎朝、『今日もいいことがあるぞ、きっといい1日になるぞ』と自分に語りかけ、寝床を蹴って起き上がる。そうすると、心に“勢い”と“張り”が出て1日1日を生き生きと生きられる」(後藤清一、三洋電機元副社長)

健康な人は病気になるという心配があるが、病人には回復するという楽しみがある」(寺田寅彦、科学者・作家)

他人は失ったものばかりに目を向けるが、私は得たものに目を向ける」(モーリス・エルゾーグ、人類で初めて8千メートル級登山に成功したフランスの登山家)

美しい唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい」(オードリー・ヘップバーン、女優)

嫉妬は錆の如し。錆が鉄をむしばむがごとく、嫉妬は汝自身をむしばむ」(アンティステネス、古代ギリシアの哲学者)

自ら愉しむことのできない人々は、しばしば他人を恨む」(アイソポス、『イソップ物語』の作者と言われる)

困難とは、作業着を着たチャンスである」(ヘンリー・J・カイザー、アメリカの実業家)

世界はこんなにいろいろなことを教えてくれる。神よありがとう」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

人生において、最も大切なとき、それはいつでも『いま』です」(相田みつお、作家・書家)


上の言葉を読みながら、私も「勇気づけ箴言集」を作りたくなりました。誰か協力していただけませんか。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日に続いて斎藤茂太先生の『人生を変えた感謝の名言』(日本文芸社)に触れます。

著者によれば、「ありがとう」という感謝の言葉には、次のような効用があります。

1.「ありがとう」という言葉には、不思議なエネルギーが備わっている。苦悩を喜びに変え、憂鬱な人生を明るい人生へと変えていく力がある。「ありがとう」は、どんな人の心をもとらえ、人生の価値を再認識させてくれる言葉。

2.「ありがとう」という言葉には、いまこの瞬間を「生きていてよかった」という思いが満ち溢れている。そればかりか相手の存在そのものに感謝するエネルギーがこもっている。

3.「ありがとう」という意識を持つとき、脳の血流が全般的に増え、ことに小脳と左側頭葉の血流が増すという実験結果もあるという。その結果、脳の機能が高まるので、思考が明晰になっていく。おまけに、ストレスが減り、免疫システムが向上するという驚くような効果をもたらす。

4.「ありがとう」の言葉は、どんな人でも素直に受け入れてくれる。だから、人間関係の葛藤が減り、仲間意識が芽生える。恋愛や友情など、新しい人間関係が引き寄せられる。

私は、感謝の言葉は、最もコストが安く最も効果の高い勇気づけだと思っています。

感謝過剰で人間関係が悪くなった人を私は知らない。感謝不足で疎まれた人ならたくさん知っているけど。

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

斎藤茂太先生の晩年の著作に『人生を変えた感謝の名言』(日本文芸社)という本があります。

この本は、偉人たちの「ありがとう」の言葉を茂太先生なりの解説を加えて紹介している本で、「勇気づけ」のネタ満載です。

この本には、悲観論の人がどうやったら楽観論に変われるのか、感謝を育てる5つの方法を紹介してくれています。

1.朝一番に出会ったことは、なんにでも「ありがたいことだ」と考える習慣をつけること。
例えば、天気が悪ければ、「雨が降って涼しくなるからありがたい」と考えるようにする。

2.具体的な状況を思い浮かべて「感謝ゲーム」をしてみる。
例えば、ひどい渋滞でもスピードを出さなくてすむから事故の危険が少ないと受け止める。

3.思いつくままテーマを拾い、自分がどれだけ楽観的か悲観的かをチェックしてみる。
例えば、お金なら「いつもお金に困っている」か、あるいは「でも、何とか今までやってきたか」のどちらかか、シートに作って記入する。

4.「こうだったら」という願望は捨て、「こうしたい」という方針を大事にする。
これは文字通り。

5.要求水準を下げること。
欲をかかなければ満足を得やすく、楽観的になりやすく、感謝の心が生まれる。

斎藤茂太先生、晩年になるに従って、感謝の達人になられたようです。
この本には、感謝の奥義が満載です。

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

作家の五木寛之は、100歳の松原泰道師(南無の会会長、龍源寺前住職)との対談の前半で次のような表現を用いました(月刊『致知』2008年4月号)。

私は、法然上人、親鸞聖人、蓮如上人というお3方に非常に関心がありまして。これは私の勝手な思い込みですけれども、法然上人というのは大切なことを易しく教えた方だなという感じがするのです。そして親鸞聖人は法然上人が易しく教えられたことを深く極められ、また蓮如上人はその深いことを広く伝えようとされた。

こういう「易しく」「深く」「広く」という3つの仕事をなさったお3人を大きな関心を持って眺めてきたのです。

私は松原先生のお仕事を遠くから拝見させていただいていて、「易しく」「深く」「広く」の3つの他にもう1つ、「長く」というのをおやりになっているなと敬服しておりました。大事なことをを易しく、易しいことを深く、深いことを広く、そして広いことをずっと長くなさっているのが松原先生の偉大なところだと思っていたのです。

これは、相手の存在を完全に承認し、敬服する勇気づけの言葉です。

まず、前触れとして浄土系の大僧侶である法然上人の「易しく」、親鸞聖人の「深く」、蓮如上人の「広く」を布教の方法として関心を示し、松原泰道師をその3人と肩を並べるように「長く」と紹介しているのです(「100歳ならあたりまえ」と言えそうですが、そうは言いません)。

さらに、松原泰道師が3人の「易しく」「深く」「広く」を体現した上で「長く」まで兼ね備えたような表現を用いているのです。

松原泰道師は、五木寛之の言葉に対して「五木さんにそういう評価をいただいてくれしい限りです」と語り、彼が学生時代薫陶を受けた坪内逍遥の講義に話が及び、以後の対談がスムーズに展開されます。

確かに松原泰道師は、優れた学僧で、『般若心経入門』『仏教入門』『法句経入門』『禅語百選』(すべて祥伝社)の入門書など私も10冊近く彼の本を読んで、五木寛之が勇気づけするに値する要素を持った人であることに賛同します。

それにしても五木寛之は、仏教の理解者で、対談上手であるだけでなく独特の勇気づけを行う人であります。

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

3月4日の日記「祈りそして語りかけること」で「祈ること、そして語りかけることは確実に届く、と信じて我が家族は続けます、ひたすらに」と書きました。

その思いから義姉(妻の姉)を対象に2月11日から3月9日の晩まで4週間、我が家族は、祈り、時に語りかけ続けていました。

ご主人のNさんは、ご自身のブログで2月12日「宝物は失いたくない」というタイトルで次のように書いておられました。


この宝物は失いたくない

この宝物のおかげでいまの自分があるのだから

すべては君のおかげというには言葉が弱すぎる

すべて君のあとについて僕は道を開いた

君はたえずリードしていたにもかかわらず

いつも僕の影にかくれていた

そんな宝物はいまや僕のすべてになっている

君を失うことは僕自身を失うことと同じだ



祈りは空しかったのか、語りかけることは聴き取られなかったのか、義姉は、昨朝3月10日5時54分、眠るようにこの世を去りました。享年52歳。
看取ったのは、ご主人のNさんひとり。Nさんは、大切な宝物を失ってしまったのです。

義姉は、脳出血による昏睡状態4週間、一度も目を覚ますことなく静かにこの世を去りました。

医師に言わせれば、脳出血の場合、2週間以内にこの世を去るか、昏睡から目覚めるのだそうです。しかし、義姉は、もともとの膠原病により、週に3回人工透析を受け続けているボロボロの体でありながら4週間生き続けていたのです。

それは昏睡状態でありながらの彼女の死の準備であり、周囲の備えへの示唆だったのかもしれません。

私の妻の報告によれば、語りかけると、何らかの反応することが何度もあったそうです。

そう捉えると、私たちにとって祈ること、語りかけることはムダだったのではなく、最善ではないけれども次善の条件をもたらす結果を招いたのかもしれません。
「回復してほしい」という私たちの祈りは、言葉どおりに神仏に届かなかったけれど、神仏の計らいとして最善であるようにと、かたちを変えて届いていたのかもしれません。

私の祈りは続きます。彼女のご冥福を祈り、残された人たちが彼女から、そしてこの事実からしっかりとしたメッセージを受け取れますように、と祈ります。

 

 



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今朝は、私がいかにして「勇気の伝道師」を名乗り始めたか、お伝えします。

最初から私が名乗り始めたわけではありません。船井幸雄先生(船井総研創業者・名誉会長)が『未来への処方箋』(ビジネス社)で私のことを「本物伝道師」と名づけてくださったのです。


船井幸雄先生は、続いて『本物になるクセづけ』(海竜社)でも私のことを紹介してくださいました。
ちなみに海竜社は、私の近共著『子育ていきいきアドバイスブック』を出していただいた出版社です。『本物になるクセづけ』がご縁になっています。

            

「それならいただこう」と、「勇気の伝道師」を名乗り始めたのです。

ただ、私は、自ら「勇気の伝道師」であるばかりでなく、たくさんの「勇気の伝道師」をこの世に輩出させ、「勇気」のタネをまき、「勇気」を育て、「勇気」を開花させるファシリテーター(促進役)を育成したくてたまらないのです。それが私の使命です。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日に続いてスプーンフィールドの「組織おこし」のことを書きます。

スプーンフィールドの事務所で歓談後、場所を公民館に移していよいよ「組織おこしプロジェクト」です。

スタッフ、利用者(7名)、保護者の前で和枝さん、関口さんにインタビューしました。
「スプーンフィールドの創業の原点は何か?」
「スプーンフィールドがここまで存続・発展してきた要因は何か?」
「直面している課題は何か?」
「10年後、どんな姿にしたいか?」等々

2人は、明確に答えてくれました。スプーンフィールドでは、利用者の1人ひとりを大切にしていることが最大の持ち味のようです。

続いてグループワーク。
5人と6人に分かれ、2018年に「輝くスプーンフィールドにするために?」というテーマでアイデアを出し合いました。
付箋紙にまずアイデアをできるだけたくさん出し、それを模造紙にまとめるのです。


ここで感動しました。本来ならば、利用者だから自分のメリットを考える人が多いかと思いきや、10年後のスプーンフィールドを見据えて、「こんな姿・あんな姿」とアイデアが短時間に出ること出ること。関心がしっかりと個人でなく組織に向いているです。共同体感覚の発露そのものでした。

続いて発表。利用者2名がグループを代表して発表しました。

発表後は、またお2人にインタビュー。

最後に私がコメントしました。

スプーンフィールドの最大の財産は、情熱溢れる、若きリーダーが率いて、それに利用者がここまで貢献意欲を発揮することに深い感銘を受けました。まさに今の時点で「輝くスプーンフィールド」でした。
リーダーのお2人だけでなく利用者の体験そのものがスプーンフィールドの財産になっていることをしかと確認しました。

その後は、宴席を設けていただき、和枝さん、関口さんにスタッフの栗林さんも加わり話が盛り上がり、新幹線で熱い想いを胸に抱きながら長岡の地を後にしたのでありました。

あの模造紙、間違いなく今後のスプーンフィールドの財産になるだろうな。
私も力になりたい。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

私の勇気の伝道の1つは、可能性のある個人や組織を活性化させる―言い換えれば「勇気づける」―ことです。

昨日(3/7)、そのために新潟県の長岡市のスプーンフィールド(代表・高橋和枝さん、以下「和枝さん」で通します。http://spoonfield.sub.jp)を訪れたのです。

長岡駅に私を迎えに来てくれた和枝さんとは、電話で話すことがあっても、約10年ぶりのご対面です。夫になった関口直樹さんやスタッフ、利用者の方々をヒューマン・ギルドの講座に派遣してくれていました。

彼女の10代後半に初めてアドラー心理学ベーシック・コースでお目にかかった和枝さんは、雑誌のモデルから飛び出てきたようなの美人になっていました。花がある人です。「これだと人気が出るだろうな」と思いました。

スプーンフィールドは、不登校や引き込もりの人たちに生活の場を提供しています。

2001年4月に始まり、今ではすっかり長岡市に定着し、23人の継続利用者がいます。

昼食時間に飼っている犬や猫と仲良くなって、その後2階の応接室兼カウンセリング・ルームに通され、和枝さんとしばしお話ししました。

スプーンフィールドの提供しているのものは、カウンセリングや研修はもとより、利用者はパン作り、農業などに従事しながら、日々気功法を行い、プロジェクトとして利用者の体験をシナリオにして演劇として発表したりして、地域の関心を集めています。

和枝さんに名刺をいただいたら、折りたたみ式で次の文章が書いてありました。

無限大の夢の力が川のように
僕らの体内を流れている
じっと目を閉じて感じてごらんよ

その内なる流れが君の涙を集め
恐れる気持ちを癒していく
そして、水が溢れて広がるとき
君の手の中で可能性が花ひらく

<続く>

◎ヒューマン・ギルドのホームページ「トピックス」(http://www.hgld.co.jp/event1/miximotope-zi.html)の「岩井の『日記』など」に3月7日付で「バネのある子に育てる」(『児童心理』平成11年10月号掲載より)をアップしました。
この文章の一部は、佐賀大学の入学試験問題としても使われました。



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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨晩は、東京芸術劇場(池袋)でモーツァルトのお気に入りの曲を1人で聴いてきました。私には、こんな時間がくつろぎの時なのです。自分へのぜいたくです。

演奏は東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ、指揮は有田正広、ピアノはピート・クイケン。

曲目は、ピアノ協奏曲第21番、私がモーツァルトのピアノ協奏曲のなかで一番好きな曲、さらに交響曲第40番、これまた交響曲で一番好きな曲、この2つのメインに「フィガロの結婚」序曲、ピアニストのアンコール曲、アダージョ ロ短調でした。

特徴的なのは、オーケストラが35人ほどの小編成なのと、使用したピアノが現代のグランド・ピアノでなく、モーツァルトの時代に近いピアノ・フォルテだったことです。
モーツァルトの時代には、ピアノが控えめで、ピアノ協奏曲がこんなふうに演じられていたのだ、と認識を新たにしました。

また、交響曲第40番の出だしの部分、あまりにも物悲しく、同じ時期に作られた交響曲第41番(ジュピター)とは違いすぎる。

35歳の若さでこの世を去った晩年のモーツァルトは、2つの顔を持っている。


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

昨日、午後から銀座で公開セミナーの講師を担当した後、丸の内東映で藤田まこと主演の「明日への遺言」を観てきました。 3月1日から公開されたばかりの映画です。

森山良子のエンディングの主題歌が流れる中、誰もが、と言っていいくらい席を立つ人がいませんでした。それくらい感動的な映画でした。

モデルは、元海軍東海軍司令官・岡田資(たすく)中将。
第2次世界大戦中、空爆を行った米軍搭乗員の処刑を命令した容疑でB級戦犯として起訴され、米軍の無差別爆撃を立証し、起訴された部下の命を救うため法廷で毅然とした態度で自説を主張します。
最後は、死刑判決に対しても「本望である」という言葉を残して法廷を後にします。

私が感動したのは、繰り返される法廷場面で米軍の残虐な無差別空爆を取り上げたことを許したことに感謝を表明する岡田中将の姿でした。
これは、A級戦犯を裁く東京裁判でも戦勝国側が回避したことです。

2年前、『国家の品格』が大ベストセラーになり、あれだけ国の品格が話題にされながら、中国製の冷凍餃子に関して、真相究明にフタをするような中国公安省の記者会見に対して「中国捜査当局は、非常に前向きだ」とノーテンキな発言をする首相―そこまで中国を刺激することを恐れるのか―に率いられる日本人にとって、もう一度品格を問い直すきっかけになれば幸いです。

私は、この映画は、姿勢が常に美しく、74歳にして50歳後半から60歳の主人公を演じた藤田まことしか主役になり得なかった映画であったという印象を持ち、品格よりも次の言葉がふさわしい映画だと思いました。
それは、 人としての

DIGNITY(尊厳)

です。

強く、強くお勧めしたい映画です。

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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

今朝は、息子のことを書きます。

息子は、幼稚園生の頃から私が家に帰ると、「お帰り」と大きな声で迎えてくれます。18歳にもなって、昨晩もそうでした。

「お帰り!」。玄関まで声が響きます。言いたくない気持ちの時もあったろうに、10数年の間、同じように声をかけてくれます。

大きな声をかけられると、「ああ、家に帰ったんだ」という気持ちになり、疲れの大部分が消え去ります。

その息子が間もなく高校を卒業します。今週末には卒業式。

息子のために背広を買いました。

一昨晩、ネクタイの締め方を教えてあげました。
背広を着、Yシャツを着ると、学生服姿とは何かしら違います。

彼の背中に回って、ネクタイを締めました。厚い胸板。私そっくり。
「なんだかトーちゃんに体格、似てるな。それに、まるで新入社員じゃないか」
「そうね。ノリ君もそっくりね」と妻。

ノリ君は、私と前妻との間の男の子です。31歳になります。
彼とは、彼が小学校に入ろうとするときに別れ、一緒には暮らしていません。
しかし、彼の大学3年から4年にかけての1年半、我が家に同居していました。

弟は、兄が大好きです。学校で「尊敬する人」を書く欄に「兄」と書きました。
兄も弟と男2人でお酒を飲む日を楽しみにしています。

そんなことをあれこれ思い出しながら、父と、男の子2人が同じ胸板の厚い体格になったのがうれしく、2階の書斎に行って、1人そっと涙をぬぐった私でした。

◎ヒューマン・ギルドのホームページ

3月4日にヒューマン・ギルドのトピックスに「消しゴミで消したい青春の物語」(完結編)をアップしました。mixiの日記でご覧になった人がいるかもしれませんが、参考までにお知らせします。リンクからも入れます。

http://www.hgld.co.jp/event1/


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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

少しばかりシリアスな話かもしれません。

我が家族にとって大切な人が長らく昏睡の床にいます。その方のために我が家族は、朝に晩に祈りを捧げています。「この祈りが神仏のもとに届きますように」と願いを込めて。

私は、祈りや瞑想の体験をもとに「祈りは、神仏に語りかけることで願いを伝えること、瞑想は、ひたすら耳を傾けることで神仏のメッセージを聴き取ること」という信念を持っています。
その信念をもとに、神仏に願いを聴き届けてほしいと、最近は、ひたすら祈っています。

私は祈りのパートを受け持ち、妻は、昏睡の床にあるその方の手を握って語りかけるパートを担っています。昏睡の床にあっても、聴覚が敏感であることを知っているからです。

そのことを学んだのは、大分県で行われた講演会でのことです。私の前の講演者だった松原哲明師(臨済宗・龍源寺住職)が自らの昏睡体験に関して、昏睡状態にあるとき、医師と家族が話しているのを全部聴いていた、とお話しされていたのです。「皆さん、ロクでもないことを枕元で言ったら、祟りますからね」と冗談もおっしゃっていました。

ともあれ、祈ること、そして語りかけることは確実に届く、と信じて我が家族は続けます、ひたすらに。

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