おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
3月4日の日記「祈りそして語りかけること」で「祈ること、そして語りかけることは確実に届く、と信じて我が家族は続けます、ひたすらに」と書きました。
その思いから義姉(妻の姉)を対象に2月11日から3月9日の晩まで4週間、我が家族は、祈り、時に語りかけ続けていました。
ご主人のNさんは、ご自身のブログで2月12日「宝物は失いたくない」というタイトルで次のように書いておられました。
この宝物は失いたくない
この宝物のおかげでいまの自分があるのだから
すべては君のおかげというには言葉が弱すぎる
すべて君のあとについて僕は道を開いた
君はたえずリードしていたにもかかわらず
いつも僕の影にかくれていた
そんな宝物はいまや僕のすべてになっている
君を失うことは僕自身を失うことと同じだ
祈りは空しかったのか、語りかけることは聴き取られなかったのか、義姉は、昨朝3月10日5時54分、眠るようにこの世を去りました。享年52歳。
看取ったのは、ご主人のNさんひとり。Nさんは、大切な宝物を失ってしまったのです。
義姉は、脳出血による昏睡状態4週間、一度も目を覚ますことなく静かにこの世を去りました。
医師に言わせれば、脳出血の場合、2週間以内にこの世を去るか、昏睡から目覚めるのだそうです。しかし、義姉は、もともとの膠原病により、週に3回人工透析を受け続けているボロボロの体でありながら4週間生き続けていたのです。
それは昏睡状態でありながらの彼女の死の準備であり、周囲の備えへの示唆だったのかもしれません。
私の妻の報告によれば、語りかけると、何らかの反応することが何度もあったそうです。
そう捉えると、私たちにとって祈ること、語りかけることはムダだったのではなく、最善ではないけれども次善の条件をもたらす結果を招いたのかもしれません。
「回復してほしい」という私たちの祈りは、言葉どおりに神仏に届かなかったけれど、神仏の計らいとして最善であるようにと、かたちを変えて届いていたのかもしれません。
私の祈りは続きます。彼女のご冥福を祈り、残された人たちが彼女から、そしてこの事実からしっかりとしたメッセージを受け取れますように、と祈ります。