IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

郷愁のおばさん二人中国紀行(49日目)

2008-08-27 11:01:46 | 旅の足跡

1986年8月27日(水)
-カラクリ湖は何処?-

トラックヒッチハイク 30元
バス代(ウルムチ近郊~市内) 2元
馬タク代 1元
うどん(解放軍兄さんの友達) 2元6角
羊のスープ 1元
(レート 1元=約42円)

人間は強いと思う。
否、女は強いと言った方が良いのか(我等は弱い女と思っていたが・・・)、恐れ多くも、神を呪い、仏を恨みながら、明日は絶対街へ帰るぞと、何度も何度も決心したというのに、辺りが明け始めた頃、勿論、我等は凍死もしてなかったし、昨夜の体験も「終わった、終わった」と、急に過去へと過ぎ去っていた。

唯一持参の(おいしくない)ビスケットを食べているうちに、腹の底からフツフツとエネルギーが沸き立ち、「ここまで来て引き下がってなるものか・・・行くぞ、行くぞ、カラクリ湖だ!」に変わって行ったのだ・・・単純なのだろうね。
先発バスのドイツホモさんに出会う。
街へ戻るという・・・彼らも、カラクリ湖がこんなに遠いと思っていなかったのだろう。
割合に整備された道を2時間程走ると、雪を頂いた山々が目前に現れ、その麓に待望のカラクリ湖が姿を現した。

人っ子ひとり、馬一匹すらも見えない湖畔に降ろされた。
余りの寂しい様子に、同乗の日本人男性が心配してくれる。
同じ苦しみを味わった仲として、互いの無事を祈って別れた。
それにしても、寂しいところだ。
バスが遠ざかると、辺りはしんと静まり、ヒタヒタと岸に寄せる波の音と、山から吹き降ろす風のうなりが聞こえるのみ・・・風が体を突き刺してゆく。空はどんより曇って、今にも雪が降りそうな天気だ。
無人のパオ(包)が3棟、風を避けるように丘の影に立っている。
あららぁ、どうしよう。
困ったねぇ・・・真剣に不安が襲ってこないのはどうしてだろう・・・突然、人影が・・・10歳くらいの男の子・・・ウイグルでは無い・・・カザフ?タジック?キルギス?・・・分からない。
漢語と片言英語で話しかけるが通じない。
しからば、日本語に身振り手振りを加えて「食べる、寝る、家ないか?」と演技をすれば、しきりに湖のかなたを指し示す。
目を皿にして見つめると、白い建物らしきが見えるではないか・・・。
「謝々、サンキュウ、ありがとう」
どぅわぁーと広がる草原を建物目指して直進する(正規の道は遠回りに見えたので・・・)が、草原に見えたのは湿原であり、足首程の草に隠れて、そこここに小川があったのだ。
その小川は、跳び越すには少々広く、足を入れるには、これまた深い。
結局、回り道に回り道を重ねて、最後にはどうしても川に入らねばならない事となった。
その水の冷たい事・・・心臓がキューと縮まるほど冷たい!

ようやくたどり着いた集落は、ひーっそりして、竈の煙も立っていない・・・ゴーストタウンか・・・。
どてら(民族衣装です)を着た男性3人がやってきた。我等はにっこり笑って、当然、日本語で「こんにちは」と言いながら握手を求める・・・友好的な態度の表現ですね。
漢語、英語、日本語、身振り手振りにイラスト付、あらゆる表現を駆使して、食事にホテルを訪ねると、彼らは近くの小屋に我等を導いた。
そこには、嬉しいことに北京語の通じる人がいた。
Wさんの出番で、漢字も加えた会話によれば、3棟のパオが宿舎で他にはない、食堂もない、バスもない(我等が乗ってきたバスは何?1日1本という事かな)、時刻表もない、街へ行くにはヒッチハイクのみ・・・彼等は、親切にもいずれもダメならここへ戻って来いと言ってくれた。
そこで、すくさま決める・・・パオは無人・・・街へ帰ろう・・・ヒッチハイクが無理とだったらここへ戻ろう・・・。

結果的に、ヒッチは成功したので、再びこの集落に戻る事はなかったが、泊まってみても良かったかも・・・と後で思ったりした。
熱いお茶とパンをご馳走になる。
暖かくて、おいしくて、有難くて、冷えた体が芯から温まった。
「謝々、謝々。本当にありがとう」
(今、冷静に思うに、あの時、我等は完全に遭難状態だった。
何があってもおかしくない、十分な条件が揃っていたと思う。
人民の良心に助けられたのかも知れない。危機に出会うのは、案外簡単な事が原因だと感ずるが、如何?)


正規の道をたどって本通りに出る。
さあ、車を確保しなければ・・・だが、車の陰さえ見えない。
後ろを振り向きながら歩き始めた。
どこから来たのか、馬に跨った人が2人、3人・・・う~む、絵になるなぁ・・と感心する。
おっと、感激している場合じゃないよ・・・しかし、車なんてあるのかな・・・ちっとも来ないじゃないの・・・いや、待ってよ・・・あれ、あの埃りは車じゃないの?・・・近づいてきたのはトラックだった。
この際、選り好みは無しと手を上げた。
トラックは止まってくれた・・・解放軍だ・・・だめかな?・・・Wさんが叫ぶ・・・カシュガルへ行きますか・・・カシュガルへ行くよ・・・乗せてくださ~い。

トラックの荷台によじ登る・・・これはチベットで経験済み。
先客は大型モーター(主賓だね)、キルギス風おじさん2人にヤギ1匹。
トラックの荷台ドライブは、バスに劣らず緊張感がある。
崩れるに任せた路肩のぎりぎりに走るタイヤが、直接、目に入るのだから、スリルは満点のひやひやものだ。
しかし、かなりのスピードで走り続け、昨日のバスは何だったのと思うくらい時間も掛からずに、山道を過ぎ砂漠を走る頃には快適、爽快で荷台のドライブを体全体で満喫した。
キルギスおじさんからは、パンやブドウを、解放軍兄さんからスイカやお菓子を貰った・・・「謝々、謝々」。
公の認める事か、暗黙の了解かは知らないが、人民はこの車を乗合トラックとして利用し、いくばくか払っているようだ。
我等も感謝の気持ちを渡した・・・でも往路のバス代より10元ケチったけれど・・・。

カシュガルの手前の小さな町で、解放軍トラックと別れる・・・「謝々、謝々」
通りかかった女の子が我等に野の花をプレゼントしてくれる・・・胸ポケットに挿して、「謝々、謝々」
ウルムチ方面のバスが分からず、ヒッチハイクしようかと歩き始めたら、町人が大声で「バスが来た、あれだ、あれだ」と教えてくれる・・・、「謝々、謝々」

賓館にたどり着いたのは夜中の12時過ぎ。
ポットの湯で顔と手足を洗う(風呂場のお湯が出なかった)。
ベットが嬉しいねぇ・・・今日は何回「謝々」を言ったのだろうか・・・人民のみなさん、心からありがとう・・・良い旅が出来ました。


 

 

 
 

コメント
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