後ろに、「ユキヤナギ」を植えてあるので、常に、覆い被され、虐げられている「ガクアジサイ」です。写真右側も、同じ木にある変身した花。
雨になるようなので、市営図書館から、「長田弘」さんの本、2冊を、借りてきました。
「アメリカの61の風景」と「心の中に持っている問題・・・詩人の父から子どもたちへの41扁の詩」です。
本を読もう・・・と実践したのは、久し振りの事なのです。
昨晩から、読み始めようと思い、まず「心の中に・・・」を開きました・・・う~ん、これは、さてさて・・・なのですよ。
活字が小さくて、読み辛いのです。
当然の如く、メガネをかけて読むのですが、活字を読み取ることに神経を使い、詩の行間に込められた意味などは、さっぱり、感じる余裕がないのです。
それでも、夜中は止めましたが、今朝(8時)までには読み切ったのです。
いやいや、神経の疲れた事、もう、読みたくないと思ってしまいました。
「アメリカの・・・」はエッセイですから、長い文章が連なっています。
返却日までは手元に置きますが、多分、読まない様な気がしています。
子供の頃は、むさぼるように本を読みました。
でも、興味より気力の減退が勝って、読書に向かいません。
悲しい哉、現実なのです。
一篇だけ、紹介させてくださいね。
詩を抜粋するなんて、なんと乱暴な事ですが、あまり長いと、タイピングが辛いのです。
ちょっと、意味不明かも知れませんがお許しを・・・
「余白の時間」 長田弘
天井が高いこと。暗すぎず、また明るすぎ
ないこと。立ったままならば、よく使いこま
れたカウンター、テーブルならば、磨きこん
だ古い木のテーブルに、坐り心地のいい木の
椅子があること。席はいっぱいだが、群れな
しているものはいない。
・
(中途略)
・
空言、歓ビヲ成サズ。きれいな沈黙でつく
られるきれいな余白を、いつも一人のじぶん
のうちにたもつこと。
この詩を読んで、不遜にも、「私と同じ意見」と思ってしまったのですね。
おしゃべりなのに、「沈黙の余白」に憧れる自分自身を想像出来ました。
ご興味を持たれたら、是非、本物の作品に触れて頂きたいと思います。
今現在、雨は上がって、空は晴れ渡っています。
昨秋、鉢から畑に植替えをした「ガクアジサイ」で、まだ、小さな株ですが、花は綺麗に咲きました。来年は期待できそうです。