「朝顔に つるべ取られて もらい水・・・加賀千代女」
何故か、この句に憧れていて、朝顔を植える時に、何時も考える・・・井戸が無いからつるべも無いし・・・で、今までに、物干し竿とか、雨樋とか、ツルが巻きそうな場所に朝顔を置いて、疑似体験していた。
今年は、庭の隅に打ち捨てられている「うんてい」を、「つるべ」に見做して、数本を纏めて植えて見た。
何の手入もせず、朝顔の為せるまま放置していたけれど、季節外れのこの時期まで花を付け、今までのうち、一番、逞しく成長している。
この「うんてい」は、父が孫のために、自ら作って設置したもので・・・千代女では無く、「つわものどもが夢の跡・・・芭蕉」とでも言いましょうか・・・
書道教室としては、3回目の「市文化祭」に参加した。
今年は、先生が、割合と乗り気になって、生徒さん達に勧めてくれたから、参加人数は多くなっている。
が、私が飽きてきた(秋だから?そんなダジャレは不要!)のだろう。
全く、気持ちが入らない。
今回の我が作品を見ると、ありありと、その兆候を感じるのだ。
一) 元々、熱心な生徒でない事。
二) 目の前にニンジンをぶら下げ無い(つまり、目先に目標が無い)継続は、私には向かない事。
三) 3年目にして、ある程度の参加作品が揃うようになった事で、文化祭参加を言い出した義務感のような責任が無くなった事。
四) 母が生存中は、なかなか、集中出来る時間が持てなくて、月2回1時間半、「書」に没頭し無(に近い)なる時間は貴重であったが、母を送ってからは、毎日が自分だけの時間になり、敢えて、時間を作る必要が無くなった事。
等々、勝手に理由付けているが、多分、そうだと思う。
「あかあかと ひはつれなくも 秋の風・・・芭蕉」
まるで、わが心境のような秋の句に、ちょっと惹かれて、急遽、書き上げた(当然、先生の手本アリ)。
でも、やはり、イマイチ・・・なんだよなぁ
この朝顔、蒔くのが面倒くさくて、庭の隅に捨てた種が育ったもので、何か、生命力というか、意地と根性を感じる。
私には持ち合わせていないものである・・・嗚呼、う~~~む!言葉にならない。