姉が丹精して(?)育てている「百合」・・・カメラマンの腕が悪くて、淡いピンクの花色が出ていません。
毎度の如く、眠れなかったり早起き過ぎたりしています。
そんなある日の朝(7月14日)、目が覚めたのが午前4時・・・我家は、まだ、誰も起きていません。
寝ているのも疲れますので、そっと、玄関を開けて(引き戸の音が静けさを破りそうで・・・)家の外に出て見たのですね。
猛暑の続くこの夏とは言えど、辺りの空気はひんやりと気持ちの良い早朝でした。
ふと、南の空を見上げると、残月とでも言うのでしょうか、常の月の光とは違う月が輝いていたのです。
別に、何かの予兆とまでは言いませんが、何故か、吸いこまれるような雰囲気だったのですね。
多分、文学的素養のある人が、こんな月を見たならば、おとぎ話の一つや二つは出来るのだろうな・・・と、文学的素養のない私は、そう思って見ていました・・・でも、不思議な月でしたよ。
相変わらず昼間の暑さに耐えられなくて、コンビニに走りました。
カップの「白くま」にすべきか、はたまた、スティックタイプの「白くま」にしようか・・・しばし、迷いましたが、スティックタイプをゲットしました。
一応、最近、甘味カロリーを摂り過ぎているような気がしたので、調整したつもりなのです。
姉が作った巨大化(?)夏野菜
夕刻、私が管理しているバラにも、水分補給をするために畑に出掛けました。
すると、キュウリの棚の横に、育ち過ぎた(見ているつもりが目残しになってしまう)キュウリが数本捨て置いてあるのを見つけました。
姉は、始末をしているようで、案外、始末に窮するとゾンザイになるという面白い性格なので、この犯人は姉だと確信しました。
キュウリ棚の横にはゴーヤが植えられていますが、ここにも目残しがあるのではと探ってみたら、案の定、大きなゴーヤが残っていたのです。
キュウリは糠漬け用に、ゴーヤはチャンプル用に持ち帰って、その事を姉に伝えると、キュウリは、毎日毎日食べていても食べきれず、ゴーヤはあまり好みでは無いから・・・というので、私が、全部、引き受けました。
私も、毎日毎日、ゴーヤチャンプルと糠漬けキュウリを食べ続ける事になりますが・・・
我が地域は、大体、どの家庭も元は専業農家でしたが、高齢になり農業からは身を引いて、自家消費用に野菜などを作っている家が多いので、夏野菜の収穫も、おおよそ一緒であり、なかなか貰ってくれる家も無いのが実情なのですね。
私は、都会の生活が長くて、キュウリ一本、ネギ一本でも、お隣さんから頂ける訳も無く、必要であれば買うしかない日々だったので、「捨てる」という行為に罪悪感が伴うのです。
収穫物を畑に捨てても、何れは地に帰り、また、翌年のコヤシとなるのでしょうが、収穫までの労力を考えると「モッタイナイ」という思いに駆られてしまうのです。
ぼ~とした日々を過す私だけれど、偶には、ふと目覚めて、こんな考えに浸ることもあるのです。
だから、どうしよう・・・という考えには到達しないのも事実ですが・・・