見もの・読みもの日記

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天皇家のひとびと/対論:昭和天皇

2004-12-01 00:40:43 | 読んだもの(書籍)
○原武史、保阪正康『対論 昭和天皇』(文春新書) 文藝春秋社 2004.10

 私は昭和生まれであるが、昭和天皇のことをよく知らない。私の通った中学・高校は天皇(制)なんて語るも汚らわしいという雰囲気があった。昭和ひとけた世代の両親は、苦しい過去を敢えて語りたくない気持ちがあったと思う。その結果、既に「歴史」になってしまった明治天皇や大正天皇はまだしも、昭和天皇の周辺について知っていることは本当に少ない。

 秩父宮、高松宮と聞いても、誰それ?という感じである。昭和天皇の弟宮である彼らには、かなり行動の自由があって、社会各層の見聞も広かったらしい。一方、昭和天皇には、弟宮とは完全に一線を画す、皇統への深い思い入れと責任感が見られる。このへん、昨日の秋篠宮の皇太子に対する発言と重ね合わせて読むと味わい深いものがある。

 島津治子の不敬事件なんてのも、全く知らなかった。新興宗教に傾倒し、昭和天皇の死を予言して、高松宮の擁立を主張した女官である。同じ頃、貞明皇(太)后も、男女に差別を設けない「神ながらの道」という宗教に入れ込んでいる。「ひょっとして皇后は、自分もこの道を究めれば、アマテラスのようになれると思ったのではないか」という原武史氏の指摘は、皇室とジェンダーの問題にからんで、興味深い。なお、昭和天皇というのは、わりと即物的で実証的な水戸学派に類するところがあって、こうした女性たちの復古神道的な心情とは相容れなかったのではないか、とも言う。

 ラストエンペラー溥儀が貞明皇后に心酔していたこと、韓国皇太子の李垠(リウン)を大正天皇や昭憲皇太后が可愛がったということも、東アジアの近代を考えるうえで興味深い。溥儀が満州国に建国神廟を建てるため、日本の皇室から授与された神器を持ち帰った話。明治天皇は八咫鏡を見たが、自分の子孫はこれを見てはならないと記したという話。松本清張の小説『神々の乱心』は、八咫鏡の正体を後漢時代の内行花文鏡だと推定しているとの話。どれもこれも知らないことばかりでぞくぞくした。まだまだ近代の天皇(制)に関する研究って、タブーが除かれたばかりなのだなあ。

 最終章、平成の天皇制は「機関」として完成され、かつてないほど安定した段階に入ったが、その反面に皇太子の「人格否定発言」がある、という原氏の分析には、なるほどと思った。それから、保坂氏の発言、いまの皇室には世間に妥協しすぎた言動が目につく、というのも言い得て妙だと思った。世間からの離反を求めるわけじゃないけど。
コメント
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