○司馬遼太郎『街道を行く11・肥前の諸街道』(朝日文庫)朝日新聞社 1983.2
クリスマス休暇に九州に行くことになった。先に長崎・平戸・五島列島の史跡めぐりの計画を立てていた友人に着いていくことにしたのだが、どこからどう合流するかで、いろいろと迷った。結局、ひとりで臼杵・国東をまわって、平戸で落ち合うと決めたときは、出発の1週間前を切っていた。そこで私は本書を持って大分行きの飛行機に乗り、3日後の平戸到着まで、付け焼刃の予習にいそしんだのである。
そういう事情がなかったとしても、やはり、本書の白眉(著者一行は、博多を起点に唐津~平戸~佐世保~長崎とまわっている)は、平戸について語られた部分ではないかと思う。西海に浮かぶ小さな島を本拠とした松浦氏が、小藩ながら、貿易の利と外交手腕で江戸三百年を生き抜き、歴史に「平戸」の名前を刻むさまは、よくできたドラマを見るようだ。特に初期の藩主はそれぞれ個性的で英明で、次々に主役が交替してもドラマの魅力が色褪せないところは、日本史というより中国史劇の味わいがある。
江戸三百年=鎖国のイメージが強いので、つい忘れがちだが、鎖国に先立つ半世紀、戦国末期から江戸初期の日本って、かなり野放図に世界に向かって開けていたのだなあと感じた。平戸は、その「開かれた日本」の門口だったのだ。やがて「門口」が半閉じの状態で長崎に移された後は、何かと陰険な影が付随しているように感じるけど、平戸のイメージは、ひたすら明るくて風通しがよい。それは、いくぶんかは、元来、貿易と外交を生業とした松浦氏の家風に拠るのではないかと思う。
余談ながら、松浦氏の御館を用いた「松浦史料博物館」の展示物の豊かさには驚かされた。天球儀・地球儀から甲冑具足、茶器、蒔絵の調度品、和漢の版本(『甲子夜話』の著者・34代当主松浦静山が精力的に集めた)、狩野探幽が獅子を描いた大きな金屏風まで。現地に行って、一見する価値あり。
http://island.qqq.or.jp/hp/matsura/
クリスマス休暇に九州に行くことになった。先に長崎・平戸・五島列島の史跡めぐりの計画を立てていた友人に着いていくことにしたのだが、どこからどう合流するかで、いろいろと迷った。結局、ひとりで臼杵・国東をまわって、平戸で落ち合うと決めたときは、出発の1週間前を切っていた。そこで私は本書を持って大分行きの飛行機に乗り、3日後の平戸到着まで、付け焼刃の予習にいそしんだのである。
そういう事情がなかったとしても、やはり、本書の白眉(著者一行は、博多を起点に唐津~平戸~佐世保~長崎とまわっている)は、平戸について語られた部分ではないかと思う。西海に浮かぶ小さな島を本拠とした松浦氏が、小藩ながら、貿易の利と外交手腕で江戸三百年を生き抜き、歴史に「平戸」の名前を刻むさまは、よくできたドラマを見るようだ。特に初期の藩主はそれぞれ個性的で英明で、次々に主役が交替してもドラマの魅力が色褪せないところは、日本史というより中国史劇の味わいがある。
江戸三百年=鎖国のイメージが強いので、つい忘れがちだが、鎖国に先立つ半世紀、戦国末期から江戸初期の日本って、かなり野放図に世界に向かって開けていたのだなあと感じた。平戸は、その「開かれた日本」の門口だったのだ。やがて「門口」が半閉じの状態で長崎に移された後は、何かと陰険な影が付随しているように感じるけど、平戸のイメージは、ひたすら明るくて風通しがよい。それは、いくぶんかは、元来、貿易と外交を生業とした松浦氏の家風に拠るのではないかと思う。
余談ながら、松浦氏の御館を用いた「松浦史料博物館」の展示物の豊かさには驚かされた。天球儀・地球儀から甲冑具足、茶器、蒔絵の調度品、和漢の版本(『甲子夜話』の著者・34代当主松浦静山が精力的に集めた)、狩野探幽が獅子を描いた大きな金屏風まで。現地に行って、一見する価値あり。
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