○九州旅行:平戸(平戸観光資料館~松浦史料博物館~聖ザビエル記念聖堂~最教寺~積徳堂跡~平戸城など)
さて、平戸観光である。今日からは案内人が一緒なので心強い。波止場のバスターミナルに荷物を預けて出発する。まず、埠頭の干物屋さんを覗いて、店の内側に残るオランダ倉庫の壁を見せてもらう。その向かいがオランダ商館の址。平戸観光資料館は、観光地にありがちな、こじんまりした資料館であったが、松浦史料博物館は予想をはるかに上回る充実ぶりで、時間を取ってしまった。詳しくは、12/27のブログ『長崎・平戸の歴史/街道を行く』(読んだもの)に別掲。
聖サビエル記念聖堂の裏道は「寺と教会の見える風景」として名高い。片側が雑木林になった、風情のある坂道である。坂の途中の正宗寺で、松浦宗陽公(隆信)の墓に墓参する。宗陽は松浦家第28代、平戸がオランダ貿易で最も賑わったときに当主である。それから、オランダ橋の辺りをぶらつき、天満屋の鯛茶漬け定食でランチ。いつもの旅に似合わない贅沢をする。
中国商人・王直の屋敷跡、イギリス商館跡を見て、西の高野山とうたわれた最教寺へ。雑多だがおもしろい寺宝も持っている。近代ものの三重塔に登ったあと、境内にある松浦天祥公(鎮信)の墓に参る。法印鎮信は松浦家第29代、彼の治世にオランダ商館が平戸から長崎に移されてしまった。ちなみに松浦隆信・鎮信で検索すると「2ちゃんねる」の「無名でも実力の有る武将」とか「koeiの信長シリーズにでてこないマイナー武将」というスレッドがヒットする(笑)。世の中にはいろんな趣味人がいておもしろい。
さらに境内裏手の丘陵地にある住宅地をうろうろして、松浦道可公の墓をやっと探し当てる。道可は松浦家第25代(本名は第28代と同じ隆信でややこしい)、サビエル来航、ポルトガル貿易時代の当主である。この辺り、道路側から一見しただけでは全く分からないが、現代的な一戸建て住宅の間の抜け道をたどっていくと、苔むした中世の墓地がパッチワークのように残存している。怖いような、おもしろいような。
山鹿流兵学を講じた積徳堂址は、今でも古いお屋敷が残り、ご子孫が住んでいらっしゃる雰囲気だった。木蓮や桜と思しい庭木が豊かに枝を広げていて、早春に訪ねたら、奈良あたりの古京の趣きがありそうである。
亀岡神社、平戸城を駆け足に通り抜け、平戸銘菓カスドースを購入して、バスターミナルに帰りついたのは、外が暗くなり始めた頃だった。15時か16時の佐世保行きバスに乗りたいなんて計画はどこへやら、これはもう19時だねえ、なんて言っていたら、毎時0分の特急バスはもう終わっていて、18:50発の急行バスに乗る。危ないところだった。
車中、五島銘菓かんころもち(サツマイモと餅米を練ったもの)で空腹を抑え、佐世保から長崎行きのバスに乗り継ぎ、この日の宿に到着したのは夜の9時過ぎだった。ホテルのすぐ隣の長崎中華街は、一瞬、イルミネーションを垣間見ただけ。既にどこも店仕舞い。残念~。
長くなったので、翌日の長崎編は項を改めます。12/30を参照のこと。(12/30記)
さて、平戸観光である。今日からは案内人が一緒なので心強い。波止場のバスターミナルに荷物を預けて出発する。まず、埠頭の干物屋さんを覗いて、店の内側に残るオランダ倉庫の壁を見せてもらう。その向かいがオランダ商館の址。平戸観光資料館は、観光地にありがちな、こじんまりした資料館であったが、松浦史料博物館は予想をはるかに上回る充実ぶりで、時間を取ってしまった。詳しくは、12/27のブログ『長崎・平戸の歴史/街道を行く』(読んだもの)に別掲。
聖サビエル記念聖堂の裏道は「寺と教会の見える風景」として名高い。片側が雑木林になった、風情のある坂道である。坂の途中の正宗寺で、松浦宗陽公(隆信)の墓に墓参する。宗陽は松浦家第28代、平戸がオランダ貿易で最も賑わったときに当主である。それから、オランダ橋の辺りをぶらつき、天満屋の鯛茶漬け定食でランチ。いつもの旅に似合わない贅沢をする。
中国商人・王直の屋敷跡、イギリス商館跡を見て、西の高野山とうたわれた最教寺へ。雑多だがおもしろい寺宝も持っている。近代ものの三重塔に登ったあと、境内にある松浦天祥公(鎮信)の墓に参る。法印鎮信は松浦家第29代、彼の治世にオランダ商館が平戸から長崎に移されてしまった。ちなみに松浦隆信・鎮信で検索すると「2ちゃんねる」の「無名でも実力の有る武将」とか「koeiの信長シリーズにでてこないマイナー武将」というスレッドがヒットする(笑)。世の中にはいろんな趣味人がいておもしろい。
さらに境内裏手の丘陵地にある住宅地をうろうろして、松浦道可公の墓をやっと探し当てる。道可は松浦家第25代(本名は第28代と同じ隆信でややこしい)、サビエル来航、ポルトガル貿易時代の当主である。この辺り、道路側から一見しただけでは全く分からないが、現代的な一戸建て住宅の間の抜け道をたどっていくと、苔むした中世の墓地がパッチワークのように残存している。怖いような、おもしろいような。
山鹿流兵学を講じた積徳堂址は、今でも古いお屋敷が残り、ご子孫が住んでいらっしゃる雰囲気だった。木蓮や桜と思しい庭木が豊かに枝を広げていて、早春に訪ねたら、奈良あたりの古京の趣きがありそうである。
亀岡神社、平戸城を駆け足に通り抜け、平戸銘菓カスドースを購入して、バスターミナルに帰りついたのは、外が暗くなり始めた頃だった。15時か16時の佐世保行きバスに乗りたいなんて計画はどこへやら、これはもう19時だねえ、なんて言っていたら、毎時0分の特急バスはもう終わっていて、18:50発の急行バスに乗る。危ないところだった。
車中、五島銘菓かんころもち(サツマイモと餅米を練ったもの)で空腹を抑え、佐世保から長崎行きのバスに乗り継ぎ、この日の宿に到着したのは夜の9時過ぎだった。ホテルのすぐ隣の長崎中華街は、一瞬、イルミネーションを垣間見ただけ。既にどこも店仕舞い。残念~。
長くなったので、翌日の長崎編は項を改めます。12/30を参照のこと。(12/30記)