見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

長崎B級史跡めぐり

2004-12-30 16:47:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
○九州旅行:伊王島(俊寛僧都墓~千畳敷~灯台~天主堂)、野母崎の観音寺、長崎市内(中華街~聖福寺~福済寺)

 12/22に始まった九州旅行も最終日。この日(12/26)は長崎観光に当てる計画である。ただし、普通にはとても「長崎観光」とは言えないB級史跡めぐりの1日だった。

 早朝7:00(外はまだ暗い)にチェックアウトし、定期船で長崎湾の入口にある伊王島へ渡る。俊寛僧都の墓(むろん伝承)を見にいくためだ。時間節約のため、釣具屋さんで自転車を借りて出発。ところが、小さな島というのはサツマイモみたいに中心部の標高が高くなっていて、意外と急坂が多く、ママチャリでは苦しい。結局、かなりの距離を自転車を押して歩くハメになった。息を切らしながら、住宅の間の細い坂を上がっていくと、見晴らしのいい高台に、俊寛僧都の墓がある。墓石は残念ながら新しい。

 俊寛は「鹿ヶ谷の陰謀」の罪を問われ、丹波少将成経・平判官康頼とともに「鬼界ケ島」に流されたことになっている。普通は鹿児島県の喜界島か硫黄島に比定されることが多いと思うが、伊王島の案内板によれば、平教盛が3人を憐れみ、自分の荘園が肥前嘉瀬庄にあったので、仕送りに便利な伊王島に彼らを流し、清盛へは『薩摩の硫黄島に流した』と報告したのだそうだ(伊王島町教育委員会)。うーむ。よくできた説明ではあるが、どうもせこいなあ...

 それから、康頼が能を舞ったという海岸の大岩・千畳敷へ。今度は高台に自転車を停めて、ひたすら下る。最後は、登山用のロープを掴んで岩に下りるのだが、ちょっとこわい。高所恐怖症の気のある私は波打ち際までは行けなかった。灯台、天主堂を見て長崎港へ戻る。

 次は、バスで1時間の行程にある野母崎の観音寺へ。ここは天井絵が有名だが、我々の目的は木造千手観音立像(国指定重要文化財)である。実は、事前に「拝観したいのですが」という電話を入れたら、「別に予約は要りません。いつでも拝観できますよ」というお答えだった。行ってみたら、確かに天井絵は(外陣からではあるが)拝観できる。しかし、ご本尊の前には厚い幔幕が下がっている。ご朱印をいただきながら「観音様は?」とお尋ねしたら「ああ、ご開帳は18日だけです」と言われてしまった。くぅ~、ちゃんと確かめればよかった。しかたないので1時間かけて再び長崎市内に帰る。同好の士が同じ失敗を繰り返さないよう願いつつ、ここに書きとめておく。

 しかし、そのおかげで、あきらめていた中華街でランチができたのは、観音様のお導きかも知れない。「蘇州林」というお店で飲茶にした。マントウに東坡肉を挟んだ中華バーガーが美味しい!!

 それから「長崎四福寺」と言われる中国寺院のうち、2つ見残しているという同行人の希望に従って、聖福寺と福済寺をまわる。聖福寺は静かなたたずまいが好ましかった。中国寺院もああいうふうにほうっておくと、侘び・寂びの趣きが出てよい。聖福寺は亀の背に立つ大きな観音が目印の、あざとい近代建築という記憶があったのだが「原爆で焼ける前は古いお寺だったらしい」というので訪ねてみる。久しぶりのお客に上機嫌のおばさんから、なぜか堂内にあるフーコーの振り子の熱心な説明を聞かされたが、往時の写真も数葉見ることができた。

 そろそろ時間になったので、駅前から空港行きのバスに乗り込む。これにて九州旅行レポートは終了。(12/30記)
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