見もの・読みもの日記

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テロリストたち/天誅と新選組(野口武彦)

2009-02-01 23:46:04 | 読んだもの(書籍)
○野口武彦『天誅と新選組:幕末バトル・ロワイヤル』(新潮選書) 新潮社 2009.1

 当今、江戸・幕末の歴史を語らせたら、面白さで右に出る者はいないと思われる野口武彦氏の史談エッセイ。「週刊新潮」連載の「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズ3作目である。第1作『幕末バトル・ロワイヤル』(天保の改革~日米和親条約までの天保・嘉永年間)、第2作『井伊直弼の首』(下田開港~桜田門外の変までの安政年間)に続き、本作は、天誅テロリズム荒れ狂う、文久年間を扱う。

 例によって、有名・無名の人物が入り乱れ、「学校で習う歴史」では、絶対に聞けないような生々しい描写が幾度も繰り広げられる。文久元年(1861)水戸浪士によるイギリス公使館・東禅寺襲撃事件では、警固隊の武士たちが応戦し、乱戦になる。翌朝、オールコックは、血の海、転がる生首などを見て「私は戦場を何回も見たが、剣の傷でこんなに恐ろしいのは見たことがない」と書いているそうだ。日本のカタナって、殺傷という目的のために極限まで進化した、すさまじい武器だったんだなあ、とあらためて思った。

 文久2年(1862)神奈川近郊の生麦で薩摩藩の行列に遭遇した4人のイギリス人。犠牲者リチャードソンは、怒り狂った武士集団にどのように殺害されたか。最初の一太刀から「血の塊と臓腑の一部を落とし」1キロばかり逃げ延びたところで追手に囲まれてとどめを刺されるまで、詳しく読むと、残酷さに慄然とする。なるほど、これでは「文明国」イギリスが態度を硬化させるのも当然だろう。元治元年(1864)の池田屋騒動。永倉新八が口述した『新選組顛末記』に記された現場の惨状はすさまじい。絶対、このままには映画化やドラマ化できないだろうなあ。「斬り落とされた腕や足が狼藉として散乱し」って…。出血させて弱らせるのは戦術のひとつだったそうだ。

 この時期、奸物とみなされた公卿(岩倉具視とか)のもとには、斬り落とされた腕だの耳だのが届けられ、東本願寺には奉書に包まれた首が置かれ、鴨川だの粟田口だのに首やら首なし死体やらが曝された。京都の住人たちは、よく頭がおかしくならなかったものだ、と思う。

 元禄15年(1702)の忠臣蔵事件を最後に、日本では、実用的な武器としての刀剣は長い冬眠期に入っていた。人々は(農民も含め)戦国時代と変わらず武器を所持していたが、「紛争解決の手段として使用することがなかった」のである。それが、短い期間ではあるけれど、崩れ落ちるように先祖返りしたのが幕末というわけか。あとがきに記された「テロそれ自体は決して政権を打倒できない」「(しかし)テロは国家を疲れさせる」という言葉には、考えさせられるものがある。

 そして、この血に飢えた時代にも、全く別の方法で、新しい政治・社会体制を作るため奔走していた人々がいたはずである。本書では、やや影の薄い彼らの活躍は、たぶんシリーズの次巻で明らかになるものと期待している。
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