見もの・読みもの日記

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華麗なる法脈/妙心寺(東博)

2009-02-15 17:16:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『妙心寺』(2009年1月20日~3月1日)

http://www.tnm.go.jp/

 京都・妙心寺の開祖(初代住持)、関山慧玄(かんざんえげん)の650年遠諱(おんき)を記念する展覧会。「遠諱」というのは、50年毎に行われる大法要(平成21年=650回忌)をいうそうだ。ちなみに妙心寺のホームページでは、関山慧玄の没年を「1360年」と記載しているが、Wikiは「正平15年/延文5年12月12日=1361年1月19日」とする。太陰暦と太陽暦のすり合わせが難しいところだ。

 会場に入ると、まず、その関山慧玄(無相大師)の坐像に正面から迎えられる。明暦2年(1656)の作だというが、江戸時代の仏師もなかなかやるな。温和な微笑みの中に厳しさが宿り、生半可なことを言えば、手に持った竹篦(しっぺい)がピシリと動きそうだ。椅子には紫の金襴を打ち敷き、足元には花瓶・香炉・燭台の三具足を備え、典型的な頂相図の図様である。この展覧会には多くの頂相図が出ているが、最も古いのが『六代祖師像』(鎌倉時代)。磨滅して顔も明らかでないが、のびのびと柔らかな描線が、形式化する以前の頂相図の趣きを伝える。面白いのは、後代の頂相図では、脱いだ靴はきちんと揃えて描かれるのが一般的なのに、この『六代祖師像』では、男子校の下駄箱みたいにバラけて脱ぎっぱなしだ。

 関山慧玄は、その号を宗峰妙超(大燈国師、大徳寺開山)から与えられた。このひとの墨蹟はいいなあ。「関山」の二文字を大著したのもいいし(恥じらうような「関」の字のよじれ具合)、『印可状』もいい。マッチ棒を並べたような、いい加減な書体なのに、筆の走りに美しさがあって好きだ。変わったところでは、関山慧玄の塔所(墓所)の外陣に掛けられた瑠璃天蓋。小さなガラス玉を編んでつくったもの。編み込みで文字を表したり、花のかたちにひねったり、さまざまな技巧を凝らす。中国製(明代)だ。高麗製の小物入れ『菊唐草文玳瑁螺鈿合子(きくからくさもんたいまいらでんごうす)』も、うっとりするほど美しい。禅宗って、意外とラブリー好みなのである。

 妙心寺の実質的な創立者、花園法皇に関する豊富な資料も興味深かった。明暦4年(1658)作の木像『花園法皇坐像』は似てるのかなあ。肖像画で見慣れたお顔とは印象が異なる。ピンと張った耳が、ちょっとヨーダみたい。作者の七条仏師・康知は「運慶十九代」を名乗ったそうだ(運慶流だ!)。

 後半は、妙心寺とその法脈・檀越に関係する、歴史資料や美術品を紹介。私は、山梨・恵林寺(えりんじ)の快川紹喜の書が気に入った。信長に攻められ、焼き殺された人物だが、その弟子・南化玄興は妙心寺58世となり、信長の帰依を受ける。戦国の世は厳しいなあ。西暦「1577」と「IHS」(イエズス会)の紋章が刻まれた南蛮寺の鐘が妙心寺塔頭・春光院に伝わるのも信長つながり? 確かに西洋のベル型で口径部が広い。

 絵画は、等伯、探幽、蕭白、白隠など贅沢なラインナップだが、予想もしていなかったのが、狩野山雪筆『老梅図襖 旧天祥院障壁画』(米国メトロポリタン美術館蔵)。一目見て、これは山雪の!と思ったが、本当に以前から知っていたかは疑わしい。同じ妙心寺の塔頭・天球院の『梅に遊禽図襖』の印象(これも図録でしか見たことない)と混同しているかもしれない。まあいいや。交響楽のように計算しつくされた迫力の構図はこちら(禅文化研究所)のサイトで。左端に添えられた躑躅の赤と山椿(?)の白が効いていると思う。

■展覧会公式サイト
http://www.myoshinji2009.jp/

■妙心寺
http://www.myoshinji.or.jp/

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