○長崎:出島~興福寺~崇福寺
2004年12月以来の長崎。前回は「B級史跡めぐり」(同行人の言葉)に徹して、メジャーな観光地にはどこも寄らなかった。なので、今回、最初に向かった出島跡は、指折り数えてみると10年ぶりになる。当時は、限られた展示施設の隣りで、史跡整備工事が進行中だった。今や、商館長の住まいなど、復元された10棟が立ち並ぶ。家具や装飾は凝りに凝っていて、楽しい。たとえば下記は、川原慶賀の『ブロンホフ家族図』(→画像)に描かれたソファのつもり。
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私の「出島」に対する認識も、この数年ですいぶん変わった。以前は、学校の日本史で習ったまま、「鎖国」時代の日本が、「オランダ」一国に向かってしぶしぶ開いた裏口だと思っていた。けれども、当時のオランダ東インド会社はグローバルビジネスの総合商社みたいなもので、徳川政権は、オランダ商社と独占契約を結んだ、と考えるほうが実態に近いんじゃないかと思う。実際は、世界中の物産と情報が、この「出島」を介して日本各地にもたらされ、新しもの好きの民衆から知識人までを熱狂させた。最新の科学知識、外交的な機密情報、珍奇なもの、美しいもの、美味しいもの…。そう考えると、以前の何十倍もわくわくする。
展示の解説板で初めて知ったことがたくさんあった。出島の倉庫が花の名前で呼ばれていた(「パラ」蔵など)とか、商館長ブロンホフが作らせた出島の立体模型が、今もライデン国立民俗博物館に保存されているとか、カピタン部屋を訪ねた司馬江漢の絵には書斎(図書室)が描かれているとか(蔵書はどうなったんだろう!?)。長崎くんちに登場する、本石灰町の御朱印船の帆には、オランダ東インド会社のVOCマークが逆さに描かれているという。えー見たい!
惜しむらくは、ミュージアムショップがあるのに、適当な解説図録を売っていなかったこと。公式ウェブサイト『甦る出島』もいまいちだなあ。写真が小さくて、現場の楽しさが伝わらない。企画展示『出島のプリントウェア~海を越えてきた西洋陶器の華~』は、最近の私の関心と一致して、面白かった。
続いて、長崎四福寺のうち、ランタンフェスティバルの会場にもなっている興福寺~崇福寺界隈を歩く。興福寺の境内の空高く、不思議なかたちの吹き流しがはためいていると思ったら、「興福寺幡」と言って、これが上がると、町の人たちは「そろそろ唐船が入る」と知ったのだそうだ(崇福寺にもあった)。
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唐寺の境内には、トマトのような赤い提灯(紅灯)が所狭しと吊るされ、今にも甘い江南風の中国語が聞こえてきそうな異国ムードにうっとりする。街路には、「万事如意」「合境平安」と書かれたピンクと黄色のひょうたん型提灯も。「合境平安」は「四海平穏」みたいな意味の中国語らしい。(続く)
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2004年12月以来の長崎。前回は「B級史跡めぐり」(同行人の言葉)に徹して、メジャーな観光地にはどこも寄らなかった。なので、今回、最初に向かった出島跡は、指折り数えてみると10年ぶりになる。当時は、限られた展示施設の隣りで、史跡整備工事が進行中だった。今や、商館長の住まいなど、復元された10棟が立ち並ぶ。家具や装飾は凝りに凝っていて、楽しい。たとえば下記は、川原慶賀の『ブロンホフ家族図』(→画像)に描かれたソファのつもり。
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私の「出島」に対する認識も、この数年ですいぶん変わった。以前は、学校の日本史で習ったまま、「鎖国」時代の日本が、「オランダ」一国に向かってしぶしぶ開いた裏口だと思っていた。けれども、当時のオランダ東インド会社はグローバルビジネスの総合商社みたいなもので、徳川政権は、オランダ商社と独占契約を結んだ、と考えるほうが実態に近いんじゃないかと思う。実際は、世界中の物産と情報が、この「出島」を介して日本各地にもたらされ、新しもの好きの民衆から知識人までを熱狂させた。最新の科学知識、外交的な機密情報、珍奇なもの、美しいもの、美味しいもの…。そう考えると、以前の何十倍もわくわくする。
展示の解説板で初めて知ったことがたくさんあった。出島の倉庫が花の名前で呼ばれていた(「パラ」蔵など)とか、商館長ブロンホフが作らせた出島の立体模型が、今もライデン国立民俗博物館に保存されているとか、カピタン部屋を訪ねた司馬江漢の絵には書斎(図書室)が描かれているとか(蔵書はどうなったんだろう!?)。長崎くんちに登場する、本石灰町の御朱印船の帆には、オランダ東インド会社のVOCマークが逆さに描かれているという。えー見たい!
惜しむらくは、ミュージアムショップがあるのに、適当な解説図録を売っていなかったこと。公式ウェブサイト『甦る出島』もいまいちだなあ。写真が小さくて、現場の楽しさが伝わらない。企画展示『出島のプリントウェア~海を越えてきた西洋陶器の華~』は、最近の私の関心と一致して、面白かった。
続いて、長崎四福寺のうち、ランタンフェスティバルの会場にもなっている興福寺~崇福寺界隈を歩く。興福寺の境内の空高く、不思議なかたちの吹き流しがはためいていると思ったら、「興福寺幡」と言って、これが上がると、町の人たちは「そろそろ唐船が入る」と知ったのだそうだ(崇福寺にもあった)。
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唐寺の境内には、トマトのような赤い提灯(紅灯)が所狭しと吊るされ、今にも甘い江南風の中国語が聞こえてきそうな異国ムードにうっとりする。街路には、「万事如意」「合境平安」と書かれたピンクと黄色のひょうたん型提灯も。「合境平安」は「四海平穏」みたいな意味の中国語らしい。(続く)
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