見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

肥前早春紀行(1):長崎出島・寺町界隈

2009-02-09 23:15:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
○長崎:出島~興福寺~崇福寺

 2004年12月以来の長崎。前回は「B級史跡めぐり」(同行人の言葉)に徹して、メジャーな観光地にはどこも寄らなかった。なので、今回、最初に向かった出島跡は、指折り数えてみると10年ぶりになる。当時は、限られた展示施設の隣りで、史跡整備工事が進行中だった。今や、商館長の住まいなど、復元された10棟が立ち並ぶ。家具や装飾は凝りに凝っていて、楽しい。たとえば下記は、川原慶賀の『ブロンホフ家族図』(→画像)に描かれたソファのつもり。



 私の「出島」に対する認識も、この数年ですいぶん変わった。以前は、学校の日本史で習ったまま、「鎖国」時代の日本が、「オランダ」一国に向かってしぶしぶ開いた裏口だと思っていた。けれども、当時のオランダ東インド会社はグローバルビジネスの総合商社みたいなもので、徳川政権は、オランダ商社と独占契約を結んだ、と考えるほうが実態に近いんじゃないかと思う。実際は、世界中の物産と情報が、この「出島」を介して日本各地にもたらされ、新しもの好きの民衆から知識人までを熱狂させた。最新の科学知識、外交的な機密情報、珍奇なもの、美しいもの、美味しいもの…。そう考えると、以前の何十倍もわくわくする。

 展示の解説板で初めて知ったことがたくさんあった。出島の倉庫が花の名前で呼ばれていた(「パラ」蔵など)とか、商館長ブロンホフが作らせた出島の立体模型が、今もライデン国立民俗博物館に保存されているとか、カピタン部屋を訪ねた司馬江漢の絵には書斎(図書室)が描かれているとか(蔵書はどうなったんだろう!?)。長崎くんちに登場する、本石灰町の御朱印船の帆には、オランダ東インド会社のVOCマークが逆さに描かれているという。えー見たい!

 惜しむらくは、ミュージアムショップがあるのに、適当な解説図録を売っていなかったこと。公式ウェブサイト『甦る出島』もいまいちだなあ。写真が小さくて、現場の楽しさが伝わらない。企画展示『出島のプリントウェア~海を越えてきた西洋陶器の華~』は、最近の私の関心と一致して、面白かった。

 続いて、長崎四福寺のうち、ランタンフェスティバルの会場にもなっている興福寺崇福寺界隈を歩く。興福寺の境内の空高く、不思議なかたちの吹き流しがはためいていると思ったら、「興福寺幡」と言って、これが上がると、町の人たちは「そろそろ唐船が入る」と知ったのだそうだ(崇福寺にもあった)。



 唐寺の境内には、トマトのような赤い提灯(紅灯)が所狭しと吊るされ、今にも甘い江南風の中国語が聞こえてきそうな異国ムードにうっとりする。街路には、「万事如意」「合境平安」と書かれたピンクと黄色のひょうたん型提灯も。「合境平安」は「四海平穏」みたいな意味の中国語らしい。(続く)


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする