○笹川裕史『中華人民共和国誕生の社会史』(講談社選書メチエ) 講談社 2011.9
こんな中国史が書けるのか。しかも日本人に!という驚きの1冊である。中華人民共和国誕生(1949年10月)直前の中国基層社会の様相を、徹底して「普通の人々」の側から描き出す。よくある中国近代史に登場する、共産党や国民党の領袖の名前は、一度たりとも現れない。
「定点カメラ」は、中国内陸部、四川省の民衆の間に据え付けられている。なぜ四川省か? ここには、日中戦争期に国民政府の戦時首都となった重慶があり、最も重い戦時負担を強いられた地域だった。続く国共内戦期にも、国民政府の最後の拠点となって、難民・兵士・政府官僚の食糧を支え続けた。最後は疲弊しつくしたとは言いながら、信じられない生産力である。孔明が目をつけただけのことはあるなあ、なんて、とんでもなく時代違いな感心をしてしまった。
本書の叙述は、1945年8月10日(早い!)日本がポツダム宣言を受諾したニュースが、省都・成都に流れたときから始まる。しかし、帰郷のすべを与えられず、異郷に取り残される兵士たち(国土が広いからなあ)、帰郷した兵士を待っていた貧困、家庭崩壊などのつらい現実。そんな中で、1946年6月、内戦が始まり、徴兵と食糧の戦時徴発が始まる。急激なインフレ。人々の間で「富裕者に対する敵意」が高まっていく。
著者の解説、「平時であればいくばくかの顰蹙を買う程度の利己的な悪徳であっても、社会全体が苛烈な戦時負担にあえぎ窮乏化に向かう状況のなかでは(略)断じて許し難いものとして目に映る」は、今の日本にそのまま当てはまるようにも思われた。
国民政府地域において、富裕者への敵意は制御不能となり、公権力による社会秩序は崩壊へ向かう。農民は自ら武装し、生活手段を持たない難民があふれ、汚職の厳正な摘発は末端行政を空洞化させていく。そして、この事態は、新たな権力を樹立した共産党政府が直面した困難でもあった。共産党政府は、真っ白なキャンバスに絵を描き始めたわけではなく、その政策は、当時の社会状況に強く拘束されていたのである。…これって、すごく薄味には、日本で起きた自民党→民主党の政権交代との共通点を感じさせる。
いや、本書自体は、むしろ「総力戦」の遂行が、国家との過剰な一体感をもった日本社会と、より自由でしたたかな中国社会とでは、どのように異なる影響をもたらしたか、という論点で書かれているのだが、なんとなく私の脳裏には、昨今の日本の姿がチラつくのである。
そして、当時の基盤社会の様相は、その後も長きにわたって、共産党政府(中華人民共和国)の政治的手法を規定し続けた。「民意」に対する強い不信と警戒とか、中国の土地改革が、農業発展の論理よりも貧困層に対する社会政策の色彩を帯びたことなど(これに対し、日本の土地改革は農業経営強化策として有効に働いた、と本書は見ている)。共産党政権は、やっぱり根本のところで、今でも「民」を恐れているのか。
本書は、地方新聞と档案(とうあん=公文書)を多数使って書かれている。公文書は、農家の寡婦や小作人から行政機関への請願・陳情書とか(もちろん代書であろう)、地方議会で議決された中央政府の政策への反対表明とか、いろいろ驚くべきものが残っている。それが公開されていて、日本人研究者でも閲覧できる、ということにも、私は驚いてしまった。それと、文中に引用されていた、福地いま著『私は中国の地主だった』(1984)を読んでみたい。岩波新書の青版かあ。
こんな中国史が書けるのか。しかも日本人に!という驚きの1冊である。中華人民共和国誕生(1949年10月)直前の中国基層社会の様相を、徹底して「普通の人々」の側から描き出す。よくある中国近代史に登場する、共産党や国民党の領袖の名前は、一度たりとも現れない。
「定点カメラ」は、中国内陸部、四川省の民衆の間に据え付けられている。なぜ四川省か? ここには、日中戦争期に国民政府の戦時首都となった重慶があり、最も重い戦時負担を強いられた地域だった。続く国共内戦期にも、国民政府の最後の拠点となって、難民・兵士・政府官僚の食糧を支え続けた。最後は疲弊しつくしたとは言いながら、信じられない生産力である。孔明が目をつけただけのことはあるなあ、なんて、とんでもなく時代違いな感心をしてしまった。
本書の叙述は、1945年8月10日(早い!)日本がポツダム宣言を受諾したニュースが、省都・成都に流れたときから始まる。しかし、帰郷のすべを与えられず、異郷に取り残される兵士たち(国土が広いからなあ)、帰郷した兵士を待っていた貧困、家庭崩壊などのつらい現実。そんな中で、1946年6月、内戦が始まり、徴兵と食糧の戦時徴発が始まる。急激なインフレ。人々の間で「富裕者に対する敵意」が高まっていく。
著者の解説、「平時であればいくばくかの顰蹙を買う程度の利己的な悪徳であっても、社会全体が苛烈な戦時負担にあえぎ窮乏化に向かう状況のなかでは(略)断じて許し難いものとして目に映る」は、今の日本にそのまま当てはまるようにも思われた。
国民政府地域において、富裕者への敵意は制御不能となり、公権力による社会秩序は崩壊へ向かう。農民は自ら武装し、生活手段を持たない難民があふれ、汚職の厳正な摘発は末端行政を空洞化させていく。そして、この事態は、新たな権力を樹立した共産党政府が直面した困難でもあった。共産党政府は、真っ白なキャンバスに絵を描き始めたわけではなく、その政策は、当時の社会状況に強く拘束されていたのである。…これって、すごく薄味には、日本で起きた自民党→民主党の政権交代との共通点を感じさせる。
いや、本書自体は、むしろ「総力戦」の遂行が、国家との過剰な一体感をもった日本社会と、より自由でしたたかな中国社会とでは、どのように異なる影響をもたらしたか、という論点で書かれているのだが、なんとなく私の脳裏には、昨今の日本の姿がチラつくのである。
そして、当時の基盤社会の様相は、その後も長きにわたって、共産党政府(中華人民共和国)の政治的手法を規定し続けた。「民意」に対する強い不信と警戒とか、中国の土地改革が、農業発展の論理よりも貧困層に対する社会政策の色彩を帯びたことなど(これに対し、日本の土地改革は農業経営強化策として有効に働いた、と本書は見ている)。共産党政権は、やっぱり根本のところで、今でも「民」を恐れているのか。
本書は、地方新聞と档案(とうあん=公文書)を多数使って書かれている。公文書は、農家の寡婦や小作人から行政機関への請願・陳情書とか(もちろん代書であろう)、地方議会で議決された中央政府の政策への反対表明とか、いろいろ驚くべきものが残っている。それが公開されていて、日本人研究者でも閲覧できる、ということにも、私は驚いてしまった。それと、文中に引用されていた、福地いま著『私は中国の地主だった』(1984)を読んでみたい。岩波新書の青版かあ。