○野口武彦『江戸人の精神絵図』(講談社学術文庫) 講談社 2011.9
「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズをはじめとし、軽妙な語り口で、江戸・幕末史に関する史談エッセイを書き継いでいる野口武彦氏の新刊。と思ったら、新作ではなく、1984年、筑摩書房から刊行された『江戸人の昼と夜』が元本である。著者は、文庫版のためのはしがきで、「1984年は、日本がまさにバブル経済時代に突入しようとしている前夜だった」と振り返っているが、そんな時代背景よりも、1937年生まれの著者が、30代から40代のはじめにものしたエッセイ集で、行間に漂うデカダンな雰囲気が、なんというか、若い!
論じられているのは、だいたい18世紀後半から19世紀前半の100年間。「プロローグ」に、松平定信を論じた一篇を置き、前半「武士的なるものの内景」には、荻生徂徠、佐藤一斎、松崎慊堂、遠山金四郎景晋、藤田東湖など、思想家・官僚が数多く登場する。後半「江戸文学の光と闇」は、上田秋成、銅脈先生(狂詩家)、平賀源内など、文学者・文化人を論じ、私は全く知らなかった、国学者で歌人の萩原広道の源氏物語論にも触れる。
この構成には、ひとこと述べておきたい。私は、どちらかといえば、江戸の文学・文化に親しみが深いこともあって、前半は、かなり読み悩んだ。後半の秋成論あたりから、ようやくスラスラ頭に入るようになって、逆だったらよかったのに~と思ったが、歴史好きの読者は、違う感想を持つかもしれない。
はしがきによれば、このエッセイ群の基本的なテーマは、「昼」的なものと「夜」的なものの対立の構図であるという。ただし、単純な対立の構図ではなく、「昼」の中に染み出した「夜」や、「夜」の暗さを際立たせる「昼」の明るさに注意を喚起するところが、本書の真骨頂と言えるだろう。
難しかったけど面白かったのは、徂徠論。終生、徳川幕府の理論的擁護者の立場を貫きながら、その理論は、朱子学が絶対視する「先王ノ道」の作為性・虚構性をあばいており、つきつめていけば、幕府の正統性を覆すものだった、というのが面白い。ここに登場する徂徠の著書のいくつかを、私は鴎外文庫(森鴎外の旧蔵書)で見た記憶があって、明治政府の官吏であった鴎外は、徂徠をどのように読んでいたんだろう、ということが気になっている。
福地桜痴は『幕府衰亡論』で、幕府滅亡の遠因は家康にあったと言っているそうだ。すなわち、家康の政略は名を捨て実を取るものであったにもかかわらず、家康は「名を以て宗とし、理を以て本と」する儒学、とりわけ朱子学を奨励した。その結果、徳川幕府は事実上「日本の主権者」であったにもかかわらず、ペリーの開国要求に際して、京都朝廷に奏問を行わざるを得ず、以後「攘夷」のポーズを取らざるを得なくなってしまう。
なるほど。パラドックスみたいだが、この解釈は面白い。「幕府は独断専行で和親政策の決定をする権限があったし、またそうすべきであった」と著者は書いている。そうであったら、幕末史は、どんなに分かりやすかったかと思う。
「エピローグ」に再び登場するのは、松崎慊堂。名前は知っていても、エキセントリックなエピソードの少ない、印象の薄い学者先生だと思っていた。しかし、温柔な人柄を慕われ、幅広い交友関係(鴎外の史伝三部作につながる人物たちが多い)を持ち、のちに運命を分ける鳥居耀蔵と渡辺崋山の両人を弟子に持っていたこと、さらに蛮社の獄が起きたとき、六十九歳の高齢を押して崋山擁護に奔走したことなど、初めて認識して、好きになった。人間の「出番」って、いつ回ってくるか分からないものである。
「幕末バトル・ロワイヤル」シリーズをはじめとし、軽妙な語り口で、江戸・幕末史に関する史談エッセイを書き継いでいる野口武彦氏の新刊。と思ったら、新作ではなく、1984年、筑摩書房から刊行された『江戸人の昼と夜』が元本である。著者は、文庫版のためのはしがきで、「1984年は、日本がまさにバブル経済時代に突入しようとしている前夜だった」と振り返っているが、そんな時代背景よりも、1937年生まれの著者が、30代から40代のはじめにものしたエッセイ集で、行間に漂うデカダンな雰囲気が、なんというか、若い!
論じられているのは、だいたい18世紀後半から19世紀前半の100年間。「プロローグ」に、松平定信を論じた一篇を置き、前半「武士的なるものの内景」には、荻生徂徠、佐藤一斎、松崎慊堂、遠山金四郎景晋、藤田東湖など、思想家・官僚が数多く登場する。後半「江戸文学の光と闇」は、上田秋成、銅脈先生(狂詩家)、平賀源内など、文学者・文化人を論じ、私は全く知らなかった、国学者で歌人の萩原広道の源氏物語論にも触れる。
この構成には、ひとこと述べておきたい。私は、どちらかといえば、江戸の文学・文化に親しみが深いこともあって、前半は、かなり読み悩んだ。後半の秋成論あたりから、ようやくスラスラ頭に入るようになって、逆だったらよかったのに~と思ったが、歴史好きの読者は、違う感想を持つかもしれない。
はしがきによれば、このエッセイ群の基本的なテーマは、「昼」的なものと「夜」的なものの対立の構図であるという。ただし、単純な対立の構図ではなく、「昼」の中に染み出した「夜」や、「夜」の暗さを際立たせる「昼」の明るさに注意を喚起するところが、本書の真骨頂と言えるだろう。
難しかったけど面白かったのは、徂徠論。終生、徳川幕府の理論的擁護者の立場を貫きながら、その理論は、朱子学が絶対視する「先王ノ道」の作為性・虚構性をあばいており、つきつめていけば、幕府の正統性を覆すものだった、というのが面白い。ここに登場する徂徠の著書のいくつかを、私は鴎外文庫(森鴎外の旧蔵書)で見た記憶があって、明治政府の官吏であった鴎外は、徂徠をどのように読んでいたんだろう、ということが気になっている。
福地桜痴は『幕府衰亡論』で、幕府滅亡の遠因は家康にあったと言っているそうだ。すなわち、家康の政略は名を捨て実を取るものであったにもかかわらず、家康は「名を以て宗とし、理を以て本と」する儒学、とりわけ朱子学を奨励した。その結果、徳川幕府は事実上「日本の主権者」であったにもかかわらず、ペリーの開国要求に際して、京都朝廷に奏問を行わざるを得ず、以後「攘夷」のポーズを取らざるを得なくなってしまう。
なるほど。パラドックスみたいだが、この解釈は面白い。「幕府は独断専行で和親政策の決定をする権限があったし、またそうすべきであった」と著者は書いている。そうであったら、幕末史は、どんなに分かりやすかったかと思う。
「エピローグ」に再び登場するのは、松崎慊堂。名前は知っていても、エキセントリックなエピソードの少ない、印象の薄い学者先生だと思っていた。しかし、温柔な人柄を慕われ、幅広い交友関係(鴎外の史伝三部作につながる人物たちが多い)を持ち、のちに運命を分ける鳥居耀蔵と渡辺崋山の両人を弟子に持っていたこと、さらに蛮社の獄が起きたとき、六十九歳の高齢を押して崋山擁護に奔走したことなど、初めて認識して、好きになった。人間の「出番」って、いつ回ってくるか分からないものである。