見もの・読みもの日記

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板橋区立美術館・粉本と写生(榊原悟)

2011-09-20 23:10:57 | 行ったもの2(講演・公演)
板橋区立美術館 『実況中継EDO』記念講演会「楽しい江戸絵」(講師:榊原悟)(2011年9月19日、14:00~15:30)

 展覧会『実況中継EDO』にあわせた連続講演会の1回目。榊原先生の講演は、2008年にも一度、同じ板橋区立美術館で聴いて面白かったので、ぜひまた聴きたいと思い、出かけた。

 今回は、展覧会のテーマが「江戸期の写生」であるのに対し、むしろ「粉本」(模本、お手本)を大事にした狩野派の絵画学習の立場から、「写生」の功罪を考えてみようという趣旨。

 狩野派の絵画学習の実態は、橋本雅邦の懐古談「木挽町画所」(国華3号)に詳しい。その「臨写の階梯」は、以下のようにまとめられる。七八歳で入門し、(1)瓜、茄子など「簡単ノ形状」を描く→(2)養川院惟信が初学者用に編纂した花鳥山水人物3巻36枚→(3)常信の山水人物5巻60枚:画所には3セット備付→(4)常信の花鳥12枚→(5)一枚もの:常信の福禄寿、雪舟の一幅もの等、和漢大家の名画。最後は探幽の聖賢障子(原文ママ)→卒業:師匠の一字を拝領して、郷里に帰り、一家を成す。

 ※この項、榊原先生のレジュメを丸写しするようで申し訳ないと思ったが、Google booksで、榊原先生の『日本絵画の見方』(角川選書、2004)の中身を一部見ることができ、ちょうど該当箇所が公開されているので、再録させていただいた。ご容赦を。

 面白かったのは、(5)の段階に進むと、師匠の制作を手伝いながら、彩色を学ぶという話。「形態を描く」ことに関しては、これほどがっちりプログラムが組まれているのに、彩色はオン・ザ・ジョブ・トレーニングで、習うより慣れろなんだなあ。いまのマンガプロダクションの分業体制にも似ている。じゃあ、狩野派や土佐派の画家について、色が云々という批評は、あまり意味がないということか。

 狩野安信の著作『画道要訣』には「画に質あり学あり」という記述があるそうだ。「質画」とは天性の素質、一方、「学画」とは「習ひ学びて其道を勤めて其術を得たる」ことだという。なかなか含蓄が深い。それから、一字拝領に至った弟子の誓約書の中で、具体的に、絵本(粉本)をみだりに他人に貸したり見せたりしないことや、廃業の際は絵本を返却することが定められているのも面白いと思った。

 今日でも能狂言や歌舞伎などの舞台芸能では、「型」の伝承が基本であり、「型」を失わないために、いろいろと独特のルールが設けられている。そもそも(江戸時代の)絵画を、芸能と別物と考えるのがおかしい、と榊原先生。

 半世紀くらい前まで、美術史家には「絵師は写生する」という刷り込み(!)があった。そのため、実際は粉本に基づく学習成果であるものを、写生と見誤るケースも多かった。ということで、さまざまな実例をスライドで紹介。一見、身近な動植物の生態観察に基づくような博物画も、実は粉本の丸写しであることを示す。これは、70~80年代の荒俣宏さんの西洋博物画の研究でも言及されていたこと。考えてみれば、デジカメも複写機もない時代なのだから、「模写」による情報収集が担った役割は、重大なのだ。

 サントリー本で有名な『桐鳳凰図屏風』には、実に多くの類似品があり、「コピー商品をよしとする土壌があり、絵師はそれに従った」という説明があった。いや、現代の消費者だって、いつも「オンリーワン」の商品が欲しいわけではない。他人の持っているスカーフや食器やベッドカバーの柄がいいなと思えば、同じものを求めるのは、普通の消費行動である。工業複製品が大量に存在する時代に生きていると、オンリーワンが特別に感じるけど、近代以前はむしろ「コピー商品」を入手する喜びこそ、特別であったのではないかと思う。

 『高雄観楓図屏風』に見る「胸をはだけて乳を飲ませる女」や、「井戸端で足踏み洗濯する女」の類例を、古い絵画資料に遡って探してみる話も面白かった。かなり古い時代から、図像の模倣や継承が認められることも分かった。ああいう先例探しは、自分でもやってみたい。そのためには、より多数・多様な絵画資料が、誰でも簡単にアクセス可能になってくれるといいな、と思う。

 展覧会の感想は、稿をあらためて。
コメント (2)
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