○『倚天屠龍記』(2009年、中国華誼兄弟電視節目事業有限公司製作)
金庸原作の古装武侠ドラマ、全40集。1話が4~5分割されて、全編YouTubeにUPされているのを見つけて、正月からダラダラ見ていたが、最近ようやく見終わった。違法コンテンツであることは承知の上。中国語版だが、中国語字幕があるので、だいたい筋を追うことはできる。込み入ったところは、関連サイト(チャンネルNECO)や個人ブログ(温故知新的生活など)で情報を補った。
舞台は、元代末期(14世紀)の中国。Wiki『倚天屠龍記』(小説)の概要によれば、「それを手にしたものは武林を制覇し、天下に号令することができる」と言い伝えられる、伝説の倚天剣と屠龍刀を巡る争奪戦に巻き込まれて、幼くして両親を失った主人公・張無忌が、邪教とされた明教の教主となって江湖の英雄豪傑を束ね、元朝に立ち向かい、明朝成立へと導く姿を描く…という物語。
ただし、ドラマは「倚天剣と屠龍刀を巡る争奪戦」にあまり重きを置いていなくて、優柔不断な主人公・張無忌をめぐる、四人の強くて美しいヒロインたちによる争奪戦が見どころ…らしい。万事控えめで一途な小昭(のちにペルシャ総教の教主となって西域に去る)、過激な妹キャラの蛛児(殷離)、ねっとり怖い性格の周芷若(のちに峨嵋派掌門となる)、元朝の奔放な郡主(王女)趙敏(モンゴル名はミンミンテムール)。
確かに終盤「倚天剣と屠龍刀」の所在が明らかになるのだが、そこにあまりカタルシスはなく、アッサリ片付けられていたように思う。中国のドラマって、壮大な世界観から始まり、多彩なキャラクターがどんどん集まり、いったいどうなるんだろう、と期待させれるのだが、実はその「過程」がいちばんの楽しみどころで、日本人が終盤に期待するような「クライマックス」は、無しに終わってしまうものが多い気がする。まあ古典小説の『水滸伝』や『三国志演義』からしてそんな感じなので、中国人は、あまり不満は感じないのかもしれない。
また、ドラマの最終回は、移動式パオに揺られて(行き先はモンゴル?)、趙敏とくつろぐ幸せいっぱいの張無忌で終わり、「明朝成立へと導く」姿までは描かれない。確かに、朱元璋はチラリと登場していたし、明朝の武将、徐達と常遇春も、徐アニキ、常アニキとして登場する(最終回では将軍と呼ばれていた)。朱元璋と天下を争った陳友諒は、終盤の重要な悪役だった。私は、このドラマの前に『大明帝国 朱元璋』を見ていたことが、時代背景を理解する助けになった。小説が明朝成立までを描いているとしたら、このあとの二人には、まだ波乱があるのかな。気になる。
物語では、武当派、少林派、峨嵋派などの武林勢力とともに、明教(マニ教)が一大勢力として登場し、主人公・張無忌は、この教主に任ぜられる。このへんは、どのくらい史実と関わりがあるのかな…。日本・中国に残存するマニ教美術に関心があるので、気になる。あと、2011年夏の中国旅行(安徽・湖北・西安)で、武当山には行ったのだが、合肥で明教寺という史跡を訪ねている。同行した友人に「あれってマニ教と関係あるの?」と聞いたら、「うーん」と考えていたが、どうなのでしょうか。
金庸原作の古装武侠ドラマ、全40集。1話が4~5分割されて、全編YouTubeにUPされているのを見つけて、正月からダラダラ見ていたが、最近ようやく見終わった。違法コンテンツであることは承知の上。中国語版だが、中国語字幕があるので、だいたい筋を追うことはできる。込み入ったところは、関連サイト(チャンネルNECO)や個人ブログ(温故知新的生活など)で情報を補った。
舞台は、元代末期(14世紀)の中国。Wiki『倚天屠龍記』(小説)の概要によれば、「それを手にしたものは武林を制覇し、天下に号令することができる」と言い伝えられる、伝説の倚天剣と屠龍刀を巡る争奪戦に巻き込まれて、幼くして両親を失った主人公・張無忌が、邪教とされた明教の教主となって江湖の英雄豪傑を束ね、元朝に立ち向かい、明朝成立へと導く姿を描く…という物語。
ただし、ドラマは「倚天剣と屠龍刀を巡る争奪戦」にあまり重きを置いていなくて、優柔不断な主人公・張無忌をめぐる、四人の強くて美しいヒロインたちによる争奪戦が見どころ…らしい。万事控えめで一途な小昭(のちにペルシャ総教の教主となって西域に去る)、過激な妹キャラの蛛児(殷離)、ねっとり怖い性格の周芷若(のちに峨嵋派掌門となる)、元朝の奔放な郡主(王女)趙敏(モンゴル名はミンミンテムール)。
確かに終盤「倚天剣と屠龍刀」の所在が明らかになるのだが、そこにあまりカタルシスはなく、アッサリ片付けられていたように思う。中国のドラマって、壮大な世界観から始まり、多彩なキャラクターがどんどん集まり、いったいどうなるんだろう、と期待させれるのだが、実はその「過程」がいちばんの楽しみどころで、日本人が終盤に期待するような「クライマックス」は、無しに終わってしまうものが多い気がする。まあ古典小説の『水滸伝』や『三国志演義』からしてそんな感じなので、中国人は、あまり不満は感じないのかもしれない。
また、ドラマの最終回は、移動式パオに揺られて(行き先はモンゴル?)、趙敏とくつろぐ幸せいっぱいの張無忌で終わり、「明朝成立へと導く」姿までは描かれない。確かに、朱元璋はチラリと登場していたし、明朝の武将、徐達と常遇春も、徐アニキ、常アニキとして登場する(最終回では将軍と呼ばれていた)。朱元璋と天下を争った陳友諒は、終盤の重要な悪役だった。私は、このドラマの前に『大明帝国 朱元璋』を見ていたことが、時代背景を理解する助けになった。小説が明朝成立までを描いているとしたら、このあとの二人には、まだ波乱があるのかな。気になる。
物語では、武当派、少林派、峨嵋派などの武林勢力とともに、明教(マニ教)が一大勢力として登場し、主人公・張無忌は、この教主に任ぜられる。このへんは、どのくらい史実と関わりがあるのかな…。日本・中国に残存するマニ教美術に関心があるので、気になる。あと、2011年夏の中国旅行(安徽・湖北・西安)で、武当山には行ったのだが、合肥で明教寺という史跡を訪ねている。同行した友人に「あれってマニ教と関係あるの?」と聞いたら、「うーん」と考えていたが、どうなのでしょうか。