見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

大河ドラマ『平清盛』第21回まで

2012-05-28 20:52:01 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHK大河ドラマ『平清盛』第21回「保元の乱」(2012年5月27日放送)

 『平清盛』の感想を書くのは、第6回「西海の海賊王」以来だが、毎回欠かさず見ている。今日はちょっと…という出来の回もないではなかったが、おおむね満足。なので、27日「保元の回」の視聴率がワースト記録更新の10.2%だと聞いても、世間の評価と自分の評価は一致しないものだな、と冷静に受け止めた。

 第18回「誕生、後白河帝」から第21回「保元の乱」までは、間然するところなし。いや、もちろん、もうちょっとここで説明を入れてくれたら、このセリフは要らない、みたいな欲はあるのだけど、そんなこと言っても仕方ないではないか。今回は、後白河方の信西と崇徳院方の頼長が、同じ「孫子」を引きながら、夜討の是非に関し、真逆の結論を引き出すところが面白かった。あれ、オリジナルだよね、たぶん。実務家・信西のしたたかさと、現実の見えない学者肌の頼長の差異が際立っていたし、戦闘のプロである武士が、公家の命令に従わなければならない不条理もよく分かった。

 そして、ラストシーンの焼け落ちる白河北殿は、白河法皇の世の終わり、すなわち「院政」という、古代から中世への過渡的な形態の終わりと、戦闘能力が万事を決する「武者の世」の開幕を告げているように思われた。

 私はこの時代の「史実」に詳しいわけではない。ただ、大好きな軍記物語や説話物語、および、比較的古い時代の絵画資料や、考古出土資料を見ることでつちかってきた、平安末期の「イメージ」に、このドラマは、とてもよくフィットすると感じている。『平治物語絵巻』から抜け出してきたような武士の扮装には、胸が躍る。セリフは、もちろん当時のままにするわけにはいかないだろうが、ところどころ、非常に古い言い回しが挟まれるのが嬉しい。昨日も「去(い)ね」って言ってたけど、分かったかなあ、若い視聴者。前回、頼長が「わたくしの才(ざい)」と言ったのも、「財」に聞き間違えられそうだと思った。

 美術はとても頑張っているので、室内のしつらえなどが映ると、ちょっとした小物、屏風の絵柄、頼長の部屋の漢籍(冊子)の積み置き方、時子が大切にしている源氏物語(巻子)の表装なども、気になってしまう。この数回、ドラマの本筋の心理描写だけでも緊張感があるのに、セリフも聴き逃すまい、美術も見落とすまい、と思うので、けっこう疲れる。でも楽しい。

 これまでのところ、どの登場人物もイメージどおりで、キャスティングにハズレがないのも素晴らしい。創作キャラや創作エピソードも、私は、この時代の「イメージ」に寄り添った「遊び」として、だいたい許せている。主人公がダメだという声もあるが、史実/伝統的イメージの清盛が、あまり爽快感のない人物だから、仕方ないのではないか。白河、鳥羽、崇徳、後白河は絶妙だった。歴代の天皇が、エキセントリックに描かれることを不快に思う人々もいるようだが、それは古代の天皇たちに対し、逆に愛と敬意が足りないのではないかと思う。

 昨日の回で、私が特筆しておきたいのは、清盛と忠正の対決シーンで、先に忠正の矢が尽き、清盛がまだ一本を残していたにもかかわらず、その矢を投げ捨て(絶対有利な勝機を捨てて)剣を抜き、忠正に斬りかかるところ。ああいう大事な描写をさらりと済ませてしまうのは、時代考証家その2の先生がおっしゃるごとく、脚本家の方がシャイなせいだろうか。というわけで、今後にも期待。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする